見出し画像

地域で楽しく過ごすためのゼミ 22年4月

 2022年4月25日、地域で楽しく過ごすためのゼミが開かれました。

 今回の課題図書は『正義論 改訂版』(著:ジョン・ロールズ 訳:川本隆史/福間聡/神島裕子 2010年 紀伊国屋書店)です。担当は渡辺です。
この文章では、実際にゼミで使用した要約文章の修正版を掲載します。
※当日の要約文章に納得いかなかったので修正しました。

〈以下要約〉

選定の理由

 本ゼミの第一回では、地方創生においてその役割が肥大化しがちな行政および政治を相対化するために政治哲学を取り上げた。そこでも本書は当然の様に取り上げられていた。本書は一般的にリベラリズムの代表的な理論書と言われているが、現代においてリベラリズムが意味するところと本書の内容は必ずしも一致していない。やはり行政や政治を考えるうえで、リベラリズムの理論をキチンと知ることは必要であろうし、無理にでも機会を作らねばこういった本は読まないであろうという考えから本書を選定した次第である。

本書の主題

 本書は政治哲学における古典の一つである。本書の意図するところは、近代の道徳哲学のなかで優勢であり続けてきた功利主義に対抗するための体系的な道徳の考え方を構築することである。具体的には、ロック、ルソー、カントに代表される社会契約の伝統的理論を一般化、抽象化し、正義に関する体系的な説明の代替案を提供することである。

論旨の展開

 今回の要約は抜粋なので、論旨の展開と言えるほどのものはないが、基本的に本書の核となるアイデアである、正義の二原理と原初状態

第1章 公正としての正義 各用語の定義+本書の核となる仮説の提示
第2章 正義の諸原理 原初状態で選ばれる正義の二原理の定義
第3章 原初状態 原初状態の定義、正義の二原理が選ばれる事の論証

要約(1節300文字程度)

 要約については、筆者が序文で「学説の最も優れた縮図」と記載している節の内、第一部にあたる部分を行う事とした。

第一部 理論

第一章 公正としての正義

第1節 正義の役割

 正義は社会の諸制度が第一に発揮すべき効能である。正義にかなった社会では〈対等な市民としての暮らし〉を構成する諸自由は不可侵であり、全ての人々に確保される。この主張の究明のため、主張を解釈し評価する正義の理論を案出する必要がある。そのために、まずは正義の諸原理の役割を考察する。社会とは〈相互の相対的利益を目指す共同の冒険的企て〉であり、諸原理とは、社会の基礎的諸制度における権利と義務の割当て方、そして社会によりもたらされる便益と負担との適切な分配を規定するものである。そしてこれら諸原理は、効率性や協調性、安定性などの観点から評価可能であり、比較してより望ましいものが選ばれるべきものである。

第2節 正義の主題

 本書の正義の優先的な主題は、〈社会の基礎構造〉─社会制度が基本的な権利と義務を分配し、社会的協働が生み出した利益の分割を決定する方式─である。政治の基本組織・政体、経済と社会の重要な制度編成が〈主要な諸制度〉にあたる。これらは、人々の暮らしに対する影響力が極めて大きいためである。本書の射程は二つの点で制限される。まず、他の社会から孤立している社会の基礎構造の正義を判定する方法を定式化している点である。次に秩序だった─全員が正義に則って振る舞い、諸制度の維持に努める─社会を対象としている点である。本書がこのような理想状態を扱うのは、それが現実を体系的に把握するための基盤となりうるからである。

第3節 正義の理論と中心理念

 本書は社会契約を一般化し、正義の構想=〈公正としての正義〉を提出する。契約の合意対象は、社会の基礎構造に関わる正義の諸原理である。〈公正としての正義〉における諸原理の選択は〈原初状態〉─〈無知のヴェール〉を被った合理的な諸個人が相互に利害関心を持たない平等な状態─で行われる。そこでは、特定個人を優遇する諸原理は合意されず、公正なものになる。具体的に以下二つの原理が選択される。

(1)基本的な権利と義務を平等に割り当てる事
(2)不平等は全員の便益を補正する場合にのみ受け入れられる事

 また、公正としての正義は二つの部分から成立している。

(1)初期状態とそこに課せられている選択問題の解釈
(2)合意される諸原理の論証

第4節 原初状態と正当化

 原初状態での合意が公正だとすると、諸原理の正当化は、合理的な人びとによる諸原理選択の問題と換言出来る。何が選択されるかは、初期状態の内容により変わるが、原初状態は正義の考察のために初期状態を哲学的に推奨される形で解釈したものに相当する。その解釈により〈無知のヴェール〉や当事者たちが平等かつ諸原理を理解し行動する能力があるという条件が導き出される。また、上記のような解釈を導く作業には別の側面もある。それは、原初状態で選択される諸原理と〈正義に関するわたしたちのしっかりした確信〉を比較することで相互に修正し、それぞれが適合する〈均衡〉状態を作り出す事が出来る。これを〈反証的均衡〉と呼ぶ。

第二章 正義の諸原理

第11節 正義の二原理

 原初状態で合意される〈正義の二原理〉を暫定的に提示する。

①各人は、平等な基本的諸自由の最も広範な制度枠組みに対する対等な権利を保持すべきである。ただし他人の諸自由の同様な制度枠組みと両立可能でなければならない
②社会系・経済的不平等は、不平等が各人の相対的利益になるとき、かつ全員に開かれている地位や職務に付帯するときにのみ認められる(一部省略)

 これらはそれぞれ社会の基礎構造の以下側面に対応する。

①─平等で基本的な諸自由の規定・確保
②─社会・経済的不平等の指定・固定
 ⇒所得と富の再分配、職権と責任の格差を活用した組織設計

 ①は②に優先し、社会・経済的利益のために、基本的諸自由が侵害されないことを意味する。

第12節 第二原理の複数の解釈

 第二原理を詳しくみると、2つの言葉に対してそれぞれ2種の解釈が可能なため計4種の解釈が可能である。

 才能に開かれたキャリアとしての平等とは、生来の富や能力に応じて職業選択の機会が与えられるため、①や②が正義にかなうとは言い難い。効率性原理はいわばパレート最適原理の事であり、農奴制や貴族政をも容認しうるものであるから、これも正義にかなうとは言えない。結果として④の解釈が最善と言える。

※パレート最適─他の個人の満足を減ずることなしに、いかなる人の満足も増すことができない状態。

第13節 デモクラティックな平等と格差原理

 ④解釈は、公正な機会均等と格差原理から成り立つ。格差原理とは、社会の最も不遇な成員の予期を改善できる場合のみ、良好な状況の人々の予期を高めることが正義にかなうというものである。対象を最も不遇な成員に限定するのは、各集団の予期は〈緊密な接合〉を為しており、彼らが便益を得ると、その間の人々も便益を得られる可能性が高いためである。第二原理に以上の解釈を適用すると以下のようになる。

 社会的・経済的な不平等は次の二条件を満たすように編成されなければならない─(a)そうした不平等が最も不遇な人びとの期待便益を最大に高めること、かつ(b)公正な機会の均等という条件のもとで全員に開かれている職務や地位に付帯すること

第14節 公正な機会均等と純粋な手続き上の正義

 公正な機会均等は、種々の地位が全員に開かれる事を要求する。そうでないと、閉め出された人々の主要な権利が剥奪されてしまうからである。また、その分配は、人々の権利要求とシステムの承認があって成立するため、〈純粋な手続き上の正義〉(結果に対する公正の基準はないが、精確な手続きを経れば結果を公正と見なす)の問題として検討すべきである。これには発生しうる多様な状況に、逐一対処する必要がなくなるという実用的な利点がある。またこれは、分配内容ではなく、分配を行う制度枠組が正義にかなうか、権利要求へどう応じたかが重要となる事を意味している。これを、権利要求なしの単なる配分の問題とすれば功利主義になりかねない。

第15節 予期の基礎としての社会的基本材

 功利主義、格差原理ともに、予期による個人間比較が必要であり、予期の評価・測定方法が問題となる。格差原理では二通りの方法で個人間比較の客観的根拠を確立する。

①格差原理で問題となるのは最も不遇な地位の人々であり、それを代表する人物がわかれば、以降個人間比較は不要となる。
②個人間比較は社会的基本財(権利、自由、機会、所得、富)の予期からなされ、更に第一原理により、自由、権利は均等に分配されるため、(1)職権に付随する権利・特権(2)所得および富についてのみ考慮すればよい。

 また〈公正としての正義〉では、各自はどんな人生計画でも追及する平等な自由が保証されているため、各自の人生の満足度について問う必要はない。

第16節 関連する社会的地位

 社会の正義/不正義を判断するには、一定の地位を代表する個人を取り上げ、そこから社会がどう映るかを考察すれば良い。しかし、地位は多様で、全てを考慮することは不可能である。正義の二原理が適用された場合、人は二つの地位─①〈対等な市民としての暮らし〉②所得及び富が分配された境遇によって規定される地位─を持つことになる。②は自発的に就けるため、①から判断すれば良い事になる。次に格差原理の観点から、最も不遇な集団の識別が問題となる。識別方法は様々にあるが、都度是正していけば、いずれ識別方法は底をつく。しかし、我々は配慮を申し立てる資格を有するので、その後も評定は可能である。①の地位から判断を行えばよい。

第17節 平等を求める傾向

 二原理はメリトクラシーを引き寄せるという批判に応える。まず、生来の分配・分布は正義でも不正義でもなく、単なる事実である。しかし、このような偶発性に身を任せるのではなく、それを最も不運な人びとのために利用する事が、正義の二原理である。また、格差原理は最も不遇な人間に偏ったものに見える。しかし、人々は、社会的協働の制度枠組なしに生活できない以上、制度枠組みを全員にとって公正なものとする格差原理を選ぶだろう。これは、格差原理が互恵性の構想の一つを表明するものであり、言い換えるなら〈友愛〉を、政治的概念として具体的に表したと言える。以上から二原理はメリトクラシーを引き寄せるものでない事は明らかである。

第三章 原初状態

第20節 正義の構想の擁護論の性質

 一定の目的を有し、一定のやり方で互いに関係している複数の合理的個人が、多種多様な行為方針の中から選択する場合、そこに均衡が生まれる。しかし、均衡それ自体は正義を保証するものではない。原初状態の特徴は、そこで達成される全ての合意が公正となるように初期状態を特徴づけることにある。つまり原初状態は純粋に仮説的状況であり、現実に存在しない。しかし原初状態は私たちの現実での道徳的推論や振る舞いに対して影響を与えるという重要な役割を果たすものである。初期状態の解釈は多数存在し、〈公正としての正義〉はその一つに過ぎないが、それぞれの構想に対し反照的均衡を用いることで最も望ましい初期状態を選択できるはずである。

第21節 複数の選択候補の提示

 原初状態において、人々はあらゆる構想から選択することとしたいが、人々に可能な構想を提示しうるために、それらの構想をどう特徴づけるべきか、更に、そうした構想の中から最善の選択肢を選ぶことが出来るかという問題が発生する。この問題に対処するため、人々に選抜候補リストを与える事とし、その中から最善の一つを選ぶように要求する形にすることとする。これは不満足な論じ方ではあるが、最善の解を探ることは実際の所難しい。そして、このような手続きによっても、社会正義の問題に対する一般的な解答は指し示されるだろう。候補の比較を通じて得られた推論や理由付けが基礎構造の望ましい特徴を導き出し、望ましい構造を得られるかもしれない。

第22節 正義の情況

 社会においては、人々が協働したり、利害を巡って衝突したりと正義が必要になる情況が発生するが、この状況をもたらす条件を〈正義の情況〉と呼ぶ。この条件は様々な事項から成り立っているが、議論の単純化のために、以下2点を強調しておく。

〈適度な希少性〉 諸資源は、協働が不要となるほど豊富ではないが、協働が破綻するほど過酷でもない
〈利害関心の衝突〉 協働の当事者たちは、異なる狙いや目的を持ち、入手できる資源を巡って対立する

 人間の社会は〈正義の情況〉により特徴づけられており、それは原初状態の中に個人の相互関係を反映させる事を志向している。個人相互の関係こそが正義にまつわる争点の土俵を提供する。

第23節 正の概念の形式的諸制約

 原初状態において、人々は多種多様な仕方で制限を受ける。これら制限を〈正義の諸概念〉と呼ぶ。選択候補に求められる形式的条件は以下の5つが挙げられる。

①一般的 ─原理は誰にでも理解可能である
②普遍的 ─原理はあらゆる人に妥当する
③公示性 ─原理はあらゆる人が知っている
④順序づけ ─原理はあらゆる権利要求を順序付ける
⑤最終性 ─原理から導かれた結論は覆らない

 以上を総合すれば正義の構想は〔1〕一般的な形式をまとい、〔2〕適用においては普遍的である原理の集合をなし、それは〔3〕道徳的人格相互の対立する権利要求を順序付けるための〔4〕最終の控訴裁判所として〔5〕公共的に承認されるものでなければならない。

第24節 無知のヴェール

 原初状態は、そこで合意される原理が正義にかなうような手続きを設定する事を目標としており、無知のヴェールはそのための道具である。無知のヴェールは、当事者たちの知識を、社会が〈正義の情況〉にある事、そしてそれに付随する社会に関する一般的事実のみに制限する。そして原初状態とは、具体的に存在するものではなく、合理的な熟慮・討議の際に設けられる、一定の条件と制約であると理解すべきである。それはどんな人がいつ採用しても違いの生じないものでなければならない。そして、原初状態における特定の情報に対する制約は、特定の人間に有利となる原理が採用される事を防ぎ、特定の正義構想が全員一致で選択することを可能とする。

第25節 当事者たちの合理性

 原初状態の人々は合理的だが、各自の善の構想を知らない。人々は自分たちが合理的な人生計画を抱いていることは知っていても、その内容については無知である事を意味する。この状態における合理性とは、より多くの社会的基本財を選好し、かつ成功の可能性が高い計画に従うという事である。また本書の特別な想定に〈相互に利害関心を持たない(公平無私の)合理性〉がある。これは、人々が嫉妬や虚栄心に動かされず、また自他の格差を広げる事を追求しない。言い換えれば、彼らは他者に勝つことではなく、自分たちが得られる得点の最大化を目指す。また、彼らは正義感覚の能力を有しており、遂行できない原理は選択せず、選択した原理を遵守する。

第26節 正義の二原理にいたる推論

 これまでの論考から二原理の選択は妥当に思われるが、より体系的に擁護したい。そのため正義の二原理を、社会正義の問題におけるマキシミン解(マキシミン・ルールにより選ばれる解)として考えてみる。マキシミン・ルールとは、予想される最悪の結果により候補をランク付けするものである。このルールの適用条件は以下の3つだが、原初状態と二原理はその条件を満たすため、この考えは原初状態において正義の二原理が選ばれる事の擁護となりうる。

①状況の発生確率を考慮しない =無知のヴェール
②選択者は最小限以上の利得を求めない =二原理の構想は最低限を保証する③却下される選択候補は殆んど受託出来ない =他の候補は最小限を保証しない

第27節 平均効用原理にいたる推論

 原初状態において平均効用原理(一人当たりの効用最大化を目指す) が選択される論拠を考察する。原初状態において、個人がリスクを考慮せず確率論的な路線に沿って推論し続けた場合、彼らはその社会で得られる効用の期待値を最大化すると考えられる。つまり、彼らは平均効用を最大化する=平均効用原理を選択する。ただ、効用を個人間比較可能とする観念は、近年概ね放棄された存在であり、代替として現時点で承認されている効用観念(フォン・ノイマン=モルゲンシュテルン型効用関数)を用いた場合、平均効用原理は、高いレベルのリスク回避を考慮したものとなり、それは格差原理に類似したものとなる。これは格差原理の支持の決め手となる。

第28節 平均原理にまつわるいくつかの難点

 平均原理には二つの難点がある。第一の難点は、自分たちがどのような人になるかの確率の客観的根拠が存在しない事である。第二の難点は予期に関するものである。予期は各個人の効用から計算されるが、効用は異なる個人の選好に基づく。つまり、原理によって人々に与えられる状況は、各個人にとって価値あるものであるとは限らないのである。以上2点のような不確実な賭けに出るよりも、二原理に合意する方が合理的と考えられる。また、功利主義的な推論は、適切な意味を書いた予期に関する純粋な形式的な数式にたどり着く。そうした数式表現は、原初状態の形式的条件からは受け入れられないものでもある。

第29節 正義の二原理を支持するいくつかの主要な根拠

 以下二点から、平均効用原理よりも二原理が推奨される。

①最終性
 当事者は、受け入れがたい帰結をもたらす原理に合意しないことから、基本的権利を保護する二原理が選ばれる。
②公示性
 正義の構想が安定するためには、構想が社会システムにより実現していることが公共的に承認され、その承認が構想に対応する正義感覚を生み出す傾向が必要である。効用原理においては、犠牲を払う人たちが、正義感覚とそれに必要となる自尊心を養うとは考えにくい。二原理による社会では、全ての人の善が相互便益の制度枠組みのなかに含められるため、人々の善は公共的に肯定・擁護され、人々の自己肯定感が支えられ、正義感覚を生み出す傾向が生まれる。

第30節 古典的功利主義、不偏性、そして厚意

 古典功利主義は、不偏・公平で共感能力のある観察者という概念と結びつく。観察者は完全に共感的存在と仮定する。観察者は社会の全員に対して等しく共感を寄せることで、社会の満足の総量を測る。つまり古典功利主義は共感的であり、人々が他者に対し利害関心を持たないとする正義の二原理とは異なる。原初状態において当事者たちが利他主義であれば、古典功利主義が採択されることになる。しかし仮に全員が利他主義だった場合、何が正しいかを決定する原理を含んでいないため、正義の二原理が必要となる。そして、この議論は利他主義を棄却するものではなく、正義の諸原理があれば、利他主義もそれと矛盾することなく成立するものと考えられる。

内容のザックリまとめ

 今回要約を行った理論部分に関して重要となってくるアイデアは以下の3つであり、それらを次のように例えて考えるとわかりやすいかもしれない。

①原初状態 =シミュレーション装置
②正義の二原理 =筆者がシミュレーション装置を使って出てきた解答
③反照的均衡 =シミュレーション装置の利活用方法

①原初状態 =シミュレーション装置
 原初状態とは、簡単に言えば誰もが同意しうる正義の諸原理を導くためのシミュレーション装置である。筆者はこのシミュレーション装置を以て、公正な正義の諸原理を導きたいのである。さて、シミュレーション装置が優れた解答を導けるかどうかは、その装置(=原初状態)の設計にかかっているわけで、当然、原初状態が妥当なシミュレーション装置であるかどうかを議論するわけである。

②正義の二原理 =筆者がシミュレーション装置を使って出てきた解答
 さて、仮にシミュレーション装置が問題なく作動することがわかったら、次に何をするかと言えば、当然その目的であった解答そのものについて見ていくことになる。正義の二原理は筆者が原初状態というシミュレーション装置を使って出した解答である。解答がどのような結果であったか、それがシミュレーション装置の中でどのように弾き出されたかなどが記述される事になる。

③反照的均衡 =シミュレーション装置の利活用方法
 さて、解答がどのようなものであるかわかったら、次はそれをどうやって使うかという話になる。しかし、あくまでシミュレーション装置は仮想的な話であって現実ではない。当然そこには齟齬が発生する。我々が直観的に正しいと感じていることと、回答の間に違いがある事は十分にあり得るだろう。この時どうすべきだろうか、二つの方法が考えられる。直観が間違っていると考えて、直観を修正する方法。そしてシミュレーション装置が間違っていると考えて、装置の方を修正する方法。これを繰り返すうちに、シミュレーション装置の出す解答と我々の直感が食い違わない均衡点に到達する。この状態を指して反照的均衡と呼ぶわけである。これらアイデアの中で、反照的均衡についてはあまり紙幅が割かれていない。

 こんなザックリまとまるなら、こんな長大な文章は書かないわけで、上記の文章には多くの間違いや誤解を含んでいると思われるが、シミュレーション装置の設計と暫定的に正しいと思われるシミュレーション結果の話だと考えて読めば、少しは読みやすくなるかもしれない。

感想・批判

 読んではみたものの、本当に意味が分からなかったという所が感想ではあるが、それではどうしようもないので、頑張ってそれっぽい感想と批判を書く。

 まず、全体としてこの本をどのように理解すれば良いのかという事であるが、本書の目的は立憲デモクラシーの哲学的擁護論を新たに提出することにある。筆者は立憲デモクラシーを重要なものと捉えているのである。立憲デモクラシーは欧米の長い歴史の中で育まれてきた政治的形態であるが、その理論的基礎が脆弱であると筆者は考えている。その理論的基礎がいわゆる功利主義である。功利主義に対する批判は本書に書いてある通りであるが、これを、民主主義を正当化する手段として用いるには、欠陥が多すぎる、つまり立憲デモクラシーの正統性が揺るがされかねないと筆者は考えているわけである。立憲デモクラシーの正統性を確かなものにするために、筆者はこの正義論を記したわけである。

 この正義論は、要約の中にもある通り、ロック、ルソー、カントに代表される社会契約論の流れに連なるものとして書かれている。そして、その仮想敵として考えられているのが、アダム・スミス、ベンサム、ミルなどに代表される功利主義である。前者と後者の大きな違いは、そこに経済的な損得勘定が入っているかどうかという点にある。功利主義の理論家達は、経済学者でもあり、その理論は道徳の範疇というよりも経済や社会の仕組みを中心に据えたものになっている。そして、彼らの登場以後、道徳をメインに据えた理論よりも、経済学などを用いて社会政治の在り方を論じたものが主流になっていくのである。そういった潮流の中で、また改めて道徳の観点から政治を捉えなおそうとしたのがロールズなのである。実際本書を読んでいると、ロールズが人間には尊厳が必要であると説いている部分が散見されており、利益と言ったものではなく、人間は如何にあるべきか、という所を重要視していることがうかがわれる。

 なお、本書はロールズの数々の論文を合わせて一冊の本にしたものであるため、全体として内容の重複や論旨の流れがいびつな部分があるように思われる。出版した後、数々の批判が寄せられ、更なる改訂が加えられることで、よりその傾向は強まっているように思われる。メチャクチャ読みにくい。

 今まで以上に批判のしようがないくらい専門的で込み入った内容であった。原初状態と無知のヴェールのアイデアを正確に捉えようとするのは非常に困難ではあるものの、アイデア自体はわかりやすく、何らかの仕組みや制度を考える時のヒントとして十分に機能しうるもののように思う。政治的なものに限らずとも、自分以外の立場になってものを考える方策として、無知のヴェールというアイデアは日常でも十分にしよう出来うるものノように思う。気が向いたら被ってみることをオススメする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?