宮崎県椎葉村に行ってきた(2)
前回に引き続き、椎葉村での体験エッセイ。
前回記事はこちら。
今回は時系列順に書くのはやめて、印象的な出来事やテーマごとに書きたいと思う。
森の宿 三越での5泊
まずは三越さんでの思い出を書きたい。今、一番書かずにはいられないのは三越さんのことなのだ。あんなことになるとは当時は知る由もなかったのだから。
三越さんには9月7日、8日、9日、12日、13日と宿泊した。椎葉村での宿泊先の確保(ましてや長期滞在)はなかなか大変で、滞在期間中さまざまな宿を転々とした。そのなかでも一番多く宿泊したのがこの三越さんだったのだ。
はじめてお世話になるという7日、Katerieから三越さんへと移動しチェックイン。東京にいるときに電話で話して声に聞き覚えのあった女将さんが出迎えてくれた。物腰の柔らかい、とてもやさしい感じの女将さん。住所と名前を記し、夕飯を18時半でお願いした。部屋はたしか「りんどう」という名の、階段を2階へ上がって正面すぐのところだった。趣のある和室で、一人利用では広々と使うことができた。窓を開けていると川がすぐそばで、川の水音がよく聞こえた。バルコニー(ベランダ?)も広く、風が心地よく感じられ、解放感のある部屋だった。
お食事
18時半になり、1階へ。これは基本的に毎回この時間のルーティーンになっていった。他の宿泊客も同じ時間の方がほとんどで、毎度顔を合わせるのも一つの楽しみであった。
山の中だから、海の幸は出ないだろうと安易に考えていたら、いやはや、海の幸も山の幸も満遍なく出され、それはそれはお腹いっぱいにしてもらった。お刺身は毎晩出していただいたはずだ。旅館や民宿のお食事というのはたいてい量が多いものだが、その期待を裏切らないボリュームであった。小鉢もあるなかで、カレーライスととんかつ(それも結構なサイズ)が揃い踏みした日は思わずそう来たかと思ったものだ。
朝ごはんだって結構しっかりとした量だった。少なくとも自分では家であんな量は食べない。何とも幸せなことだ。
夜にしろ、朝にしろご飯は自分でよそうことになっていた。いわゆる家庭用の炊飯器に入った熱々の白飯。これを各々が茶碗によそうのだ。なんかこのひと手間がすごくいい。すでによそってもらっているのもいいが、自分で席を立ち、炊飯器が置かれた場所まで行き、自分でよそって、また席に戻る。これだけの動作なのだが、これがあるのとないのとではなんか味わえる雰囲気が変わる気がするのだ。意外にも自分でご飯をよそうという行為は尊いのかもしれない。…東京で初めてやよい軒に行った時、ドリンクバーのごとくボタンを押してご飯をおかわりするシステムに絶句したのを思い出した。
旅先での出会いと祝杯
7、8、9と夕飯が一緒になった男性2人組がいた。おそらく工事関係の方で、宮崎市内から来ているらしかった。初日こそ会釈しか交わさなかったが、2日目には向こうから話しかけてくださり、軽く会話をした。それでも他愛のない会話に終始していたのだっけ?その辺の記憶はあいまいだ。
何よりもガッツリと話したのは3日目のこと。お2人が翌日には椎葉を離れるということで、「兄ちゃん、飲める?」ということで思いがけずお酒をご馳走になってしまった。年齢を聞かれ、「ちょうど昨日23歳になりました」と言っちゃったもんだから、「なんだい昨日言いなよ」なんて流れになってすっかりおごってもらってしまった。
どうやら自分と歳の近いお子さんが関東に住んでいるが、コロナでしばらく会えていないとのことだった。そうしたこともあり、よくしてくださったのかもしれない。美味しいお酒でした、ありがとうおっちゃん。おかげさまでいい23歳のスタートを切れました。
ヤモリ
いつだったか忘れたが、風呂に行くときのこと。階段を下りていき残り一段くらいになったところで、上から何かが降ってきて階段の端に落ちた。どうやらヤモリらしかった。水辺が近いと言えば近いのでイモリだったかもしれないが、天井?や階段にいるのだからヤモリだろう。多分人生で始めて見たヤモリであった。家を守るヤモリ。ちょっといい気分になった。
ちなみに、お風呂は湯船につかることは一度もなかった。シャワーだけでいいと言ってあったこともある。一度くらいは浸かってもよかったかもしれない。シャワーは、非常にぬるかった。いや、ほぼ水だった。なぜだろう、入浴時間が遅すぎたのだろうか。カランの方ではばっちりお湯が出たのだが、どうもシャワーだとその温度が保たれる気配はなかった。夏だからよかったが、ちょっともったいなかったな。
台風14号が牙を剥いてしまった
時計の針は進んで17日朝。台風接近に伴い僕は村を出るよう促され、急遽17日朝のバスに乗って村を出て、宮崎市内のホテルでの引きこもり生活を始めた。
村では警戒感がかなり強まっていた。椎葉に来た日の5日とは違い、椎葉に直撃するコースらしかった。普段から雨が多い地域とはいえ、滞在期間中ほとんどの日が雨模様だったことからも、かなり土砂災害の危険性が高まっていることがうかがい知れた。村では数年前に死者が出た土砂災害が起きている(ちなみに、我が母は息子が椎葉に行くと言ったら「何年か前に台風かなんかで土砂災害起きてなかった、そこ?」と言い、「椎葉、聞いたことあるわ」と言った。僕は全く知らなかったから、末恐ろしい)。
だからこその賢明な判断を下してくれたのだと、今は心の底から思う。急な離村でちゃんとご挨拶ができないままの方も数多くいたが、僕は今回を唯一の訪問にする気がなかったし、動けるときに動き避難するという選択は正しかった。
18日は宮崎市内もかなり大荒れだった。ホテルに閉じこもっていたから外の様子ははっきりとはわからなかったが、雨風の音はかなり強かった。僕は小学校低学年の頃に福岡で経験した台風を思い出していた。雨の強さも然ることながら、実は風の強さ、そして風の音というのはかなりの不安感を人間にもたらす。これは暴風雪で名高い北海道・留萌でも体験したことだから間違いない。
18日夜や19日午前は慣れない宮崎の民放局を見たり(mrtばかり見た)、NHKを見たりして被害の現状を追っていた。椎葉のお隣、諸塚の累積雨量がバグっていた。半端じゃない量の雨が降っていたらしい。でも、これには残念ながら納得した。市内に出るべく乗ったバス、つまり17日朝の時点でもかなりそのあたりでは強い雨が降り、ドデカい水たまりができていたのだから。いよいよ心配が募った。土砂災害警戒情報の色ごとの区分けでも、県北エリアは一際濃い色に染まっていた。
その一報は自らググって見つけた。この記事だ。
唖然とした。ついこの間まで自分が宿泊していた三越さんではないか。目を疑った。見るも無残な姿になり果ててしまっていた。従業員の皆さんは無事とのことで、不幸中の幸いとはまさにこのことだが、それにしても衝撃だった。
この第一報ののち、三越さんあたり一帯の様子は椎葉での象徴的な被害だったらしく、全国ニュースでも報じられるなど、何度もこの光景を見ることとなった。見るたびに少しずつ建物も崩れ落ちてしまっており、ついこの間までの思い出が消えていくようで、居たたまれない気持ちになり、だんだんと見ていられなくなった。
これほどまでに自分が深くかかわったものが自然災害の影響をもろに受けたのはこれが初めてのことだと思う。それだけにあまりにショックで、女将さんをはじめ、従業員の皆さまのことを思うと、本当に悲しくて悲しくてやりきれなかった。これだけの被害が出てしまったら、今後はどうなるのだろうか?
全国レベルの報道では、三越さんのところの地盤がえぐられた被害が大きくクローズアップされたが、なんせ四方八方が山の椎葉村。被害は各地で出ているらしく、続報も出ている。静岡でも断水が続いたり、各地で何かしらの復旧が続いているだろうが、自分の住む地域が何ともなかったらそれで終わりという態度はしないように気を付けたい。
・続報
今は静かに、再訪できる日を心待ちにしたいと思う。
人生で一番「兄ちゃん」と呼ばれた2週間
台風のことばかり書いていてもいけない。気が滅入ってしまうし、前を向いていくしかないのだから。
椎葉でのおよそ2週間の期間ははじめましての連続だった。都会じゃ会話をしないような場面でも、ふとした会話にはじまり、実は東京から来てて...と話が広がるのだ。「わお、東京!」という反応はある程度予測できていたが、毎度毎度その反応をされると、たまたま今東京に住んでいるだけ、そして東京愛のかけらもない(江戸愛はある)僕としては東京を背負うのは荷が重かった(誰も背負えとは言っていないだろうけど)。
一番最初に言われたのは、先述の三越さんでご一緒した市内から来てたおっちゃんだと思う。朗らかな表情で、兄ちゃんと呼んでくれた。一人っ子の僕は人生で兄ちゃんと呼ばれることはまあなかった。普段も、同世代が多い場所に暮らしているし、学生さんと呼ばれることはあっても、兄ちゃんと呼ばれることはほぼない。だから不思議と新鮮に聞こえ、体に染みる感じでスーっとその言葉が入ってきた。
移動パン屋さんのおっちゃんにも言われた気がする。いろんな人に言われたから正直全部は覚えていないが、お会計の時に言われた気がする。あのおっちゃんもどうして移動パン屋さんをしているのだろうか。すごく気になる。今度またお話を聞いてみたい。
椎葉で最後の3日間宿泊した民宿「ひえつき荘」のばあちゃん(あえてこう書かせてもらう)が、回数的には一番兄ちゃんと呼んでくれた気がする。食事の時には、「美味しい?」と聞いてきて「はい、美味しいです!」と答えると、「よかったねえ~!」と返してくれた。このやり取りは毎晩行われた。
自分でいうのも変だが、今思い出すとすごく微笑ましい光景だった。
台風接近に伴い、さまざまな宿にキャンセルされるなかで「もしどこも空いていなかったらうちに泊まりな」と言ってくれたのもばあちゃんだった。大変ありがたい一言だったが、結果としては市内に退避することになった。17日朝は宿の目の前の停留所からバスに乗ることになり、乗る瞬間まで見送りをしてくれたことには感謝しかない。情のこもった兄ちゃんというあの声は忘れない。
実は、宮崎市内でも兄ちゃんと呼ばれた。が、その話はこのあとに譲る。
コインランドリーにて
宮崎県に約2週間という長期滞在をした。椎葉にいようと、宮崎市にいようと洗濯をする必要が出てくるのには変わらない。椎葉滞在中には一度、椎葉村交流拠点施設Katerieのコインランドリーで洗濯をした。予定ではもう一度くらい回したいなと思っていた矢先、市内への退避。急に取った市内ホテルの宿で洗濯をお願いしようかとも思ったが、そこはホテル。超高い。無理。
というわけで、台風が過ぎ去りお天道様も輝いていた20日にコインランドリーに行った。
スマートフォンで最寄りのコインランドリーを検索すると、何店舗か出てきた。その中でもホテルから近く、キレイそうな場所を選びお昼前に行ってみることにした。
台風による大荒れが信じられないくらいにさわやかな天気で、気温も秋を感じさせる心地よいものだった。10分も歩かないくらいでお目当てのコインランドリーが現れた。利用者は誰もいない。中へ入って、早速どの洗濯機で回すのがよいか検討を始める。どうしたって、内容量からすると割高になるのは仕様がないとあきらめていたから、極力小さめのドラム式洗濯機を選んで無料のドラム洗浄をし終わった時だった。
外の駐車場に軽自動車が1台停まった。誰か利用者が来たらしかった。入ってきたのはメガネをかけた女性。その女性はおそらく常連客。慣れた様子で洗濯機たちを眺めている。だが、その手に洗濯物らしきものは見当たらなかった。
いよいよ僕が洗浄し終わった洗濯機に洗濯物を入れようとしていると、その女性が近づいてきてこう教えてくれた。
「12時~13時だと半額になるよ、お兄ちゃん」
いまだかつてコインランドリーでタイムセール、それも半額になるなど聞いたことがない僕は驚いた。信じられないという顔をしていたのだろうか、その女性は室内の掲示のところまで僕を連れていき、確かにそのセールが実施されていることを見せてくれた。おまけに曜日ごとのセール(何曜日かは忘れた)についても教えてくれた。
そうなんですか、ありがとうございますと防戦一方の僕。使おうとしていた洗濯機よりももう一段階小さめのやつをおすすめされ、その点で非常に助かった。おかげで安く選択できた。感謝だ。
だが、会話の流れで発した「地元の人間じゃないので」の一言を皮切りに、「何歳なの、4年生?大学院生?」、「あやっぱり」、「どこから来たの」、「あーそう、どういうあれで来たの?」、「いつ帰るの?え、明日!なんだもっといればいいのに」、「なんでまた椎葉に?」、「あら出身は札幌なの?」、「寒いところの食べもの美味しいわよね」、「北海道お魚美味しいでしょ、でも私魚卵は無理なのよ、明太子は食べれるけど」、「宮崎って、これってものないでしょ?チキン南蛮有名って言ったってねえ~...」、、、と途切れることのない猛攻を食らった。
別に質問されるのは嫌じゃないし、宮崎の地元の方とお話しできたのは嬉しかったが、僕を1ミリも見放すまいと言わんばかりの眼光の鋭さには参った。こんなおせっかいおばちゃんが令和にいることに驚いた。この県の中で一番都会であるはずの宮崎市内中心部のコインランドリーに残るコミュニティに感動すら覚えた。
だって、だってだ。その女性の後、タイムセールめがけて続々とお客さんが来たのだが、コインランドリーの職員さんとそのおばちゃんは歓談しているし、他の女性も飲み物を差し入れしていた。こんな井戸端会議的な空間になるのか、コインランドリーって。知らなかった。
極めつけは、おばちゃんが僕にお弁当をくれたのだ。タダで。結構しっかりしたボリュームのある仕出し弁当を。信じられるか??さっき初めてたまたま会ったばかりの人間にお弁当をくれるのか。コインランドリーの職員さんにもお弁当をあげていた。これはまあ、わかる。普段からの関係性があるからだ。だが、僕はどうよ?え?宮崎に行って最大の驚きと言っても過言ではないかもしれない。ここが椎葉なら百歩譲ってあってもいいかもしれない、そういう光景が。でも、宮崎市だぜ?それも中心部のコインランドリー。
とにかく驚いた。そして心から感謝している。ありがとう、おばちゃん。そしてたくさんしゃべってくれてありがとう。
コインランドリーを去ってから、近所の公園でお弁当を食べた。想像以上に美味しかった。タダでもらっちゃ申し訳ないくらい腹の足しになった。
また、コインランドリーで会えることを楽しみにしたい。
つづく(かも)。
肝心の椎葉村図書館についてまだ書いていない。そして、山々で遊んだことも書いていない。少し時間を空けるかもしれないが、書こう。
またその時まで。
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