大阪・関西万博への見方が少し肯定的になった話 <後編その3>
私の2025年大阪・関西万博への見方を少し肯定的に変えたシンポジウムについてのレポートです。
<前編>での概要、<後編その1>での事例1、<後編その2>での事例2につづき、事例3「万博学という視座」の内容ついて紹介と私の感想をお伝えします。
これまでの記事はこちら↓から
◉事例3)万博学という視座
発表者、佐野真由子 京都大学大学院教授について
調べてみると、 教育学研究科 教育学環専攻 教育社会学講座 のご担当でした。
また、最近の研究課題として、
「領域横断的な万国博覧会史研究を通じた新しい戦後史叙述の可能性」
「国際博覧会条約(1928年)及び博覧会国際事務局(1931年)の成立に関する研究」
が挙げられていました。
▪️「万博学」とは
さて、事例3の報告内容は、
「万博学」の紹介と、この視点から見た万博はこれまでどうだったか、来年の万博をどう見ているか、でした。
「万博学」という学問をご存知の方は多くないのではないかと思います。
正式な定義を確かめると、
…とされていました。
また、次の点を重視していると書かれています
要は、万博には開催当時の社会の状況が反映されているので、万博に見られる特徴や変化から人間社会を見ようという視点(文化人類学・社会学・歴史学)だと私は理解しました。
そのわかりやすい、かつ重要な例として話されたのは次の歴史でした。
▪️人間動物園とは
この「人間動物園」、かなり以前に聞いた記憶はあるのですが、詳しいことは忘れていました。それで調べてみると、東京新聞のWeb記事が見つかりました。
この記事によると、「人間動物園」と言えるものは、1889年のパリ万博で始まっていたそうです。いつまで実際に行われていたのか、今回の話ではわかりませんが、80年以上経ってやっとやめることになったということですね。
そして、同様の展示が、厳密には万博ではありませんが、1903年に大阪であった第5回内国勧業博覧会(内国博)で、民間パビリオンとして設置されていたようです。
内国博は、明治政府が国内産業の奨励のために1877年から開催。第5回からは脱亜入欧の政策のもと、他国の参加もあり、「明治の万博」と称されたとのことです。
この時に「見せ物」となったのは琉球民族や北海道のアイヌ民族、台湾の生蕃(せいばん)、インド部族のバルガリーなど。「7種の土人」として、生身の人間がそのまま「展示」され、解説者がムチで指し示しながら紹介したほか、「性質が荒々しいので笑ったりしないように」との立て札もあったという、と記事に書かれていました。
この記事の主旨は、民族問題についての2025年大阪・関西万博への警鐘です。
…という、先住民族の復権運動に取り組む室蘭工業大の丸山博名誉教授の言葉や、
…という国学院大の吉見俊哉教授(社会学)の意見を紹介していました。
期せずして、この10月に行ったウポポイや二風谷の資料館での経験、また、台湾客家について知ったこととつながってきました。
▪️万博学から見た大阪・関西万博
話を佐野先生の話に戻します。
先生のメッセージとして私が理解したものを簡潔にまとめると、
ー万博学の知見から言えば、
万博は美しくない現実の不平等を映し出してしまうものだ。
ー万博を見てきた者としては、
・万博というイベントは国が絶対的な基本単位だが、国を超えた人と人の交流や対等な対話を重視すべき。人が主役の「熟慮型万博」となるよう、リーダーシップを発揮してほしい。
・今回、未来を描くことが強調され過ぎている感がある。現実を見据えるべきである。
・日本を知ってもらう機会にしようと考えるのは<参加国マインド>。みんなが発信する舞台を提供し、多様性を包み込もうとするのがするのが<開催国マインド>。開催国マインドを持ってやってほしい。
ー歴史的に見れば、
「第3次世界大戦前夜の万博」とされることは確実。
国威発揚型・先端技術紹介型にとどまるのか、そうならないのか、
この戦いの世界の中で161の国の人が6ヶ月という長い間同じ場所にいる機会をどう使うのかをしっかりと見たい。
終わりに
🔹この記事でご紹介した佐野先生の発言、
「万博学的には、この万博が第3次世界大戦前夜の万博とされることは確実。そこでどんなやり取りの末に何が行われたのかを評価することになる。」
…を聞いて、
千里文化財団、国立民族学博物館がこの3人の方を呼んだ意図がはっきりと見えたと思いました。
対等に多様な人々が交流を楽しむ動きを促す機会の創出。
助ける立場と助けられる立場の入れ替わりを前提とした敵意のない社会構造への取り組みの推進。
これらの理念を反映した万博にするかどうかは歴史に評価されるのだぞ、
だから頑張れ、応援しよう!ということなのだと。
わかりあい、よりよい関係を築いていくための民族学という方向性を感じていました。このシンポジウムもその一環だと思っています。
このシンポジウムの報告は以上です。
長文をお読みいただきありがとうございました。
コメント欄でみなさんのご意見をお聞かせいただければ幸いです。
<お断り>
実際には3人の方からの事例報告のあとパネルディスカッションが行われたのですが、そこでの発言内容は、それぞれの事例報告の中に反映させました。
<追記>
佐野先生が話しておられた内容の多くは、委員をされていた経産省の万博のあり方を検討する委員会(万博計画具体化検討ワーキンググループ)で2019年2月にすでに資料として提出されていました。私の紹介を補う物としてお読みいただければと思います。↓
佐野先生提出資料:https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/osaka_kansai/banpaku_wg/pdf/001_06_00.pdf
掲載ページ:経済産業省「万博計画具体化検討ワーキンググループ」
https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/osaka_kansai/banpaku_wg/001.html
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