【映画】『小学校 〜それは小さな社会〜』:日本流の社会化メカニズムを丁寧に描いた、感動もさせる秀作。他国版も作ってほしい。
大学時代の友人から教えてもらって観てきました。
The making of a Japanese.(日本人はこうして作られる)という英文タイトルを見ての私の印象は…
「日本社会の規範を身につけさせる『社会化』の様子を描いた映画か。自分を抑えて集団を優先する価値観をどのように教えているのかを批判的に見ているのだろう。でも、どのように作品化しているのかは興味があるな。」
…というものでした。
しかし、実際に観てみると、予想を超える豊かな内容を含む、児童・教員・親の心情を記録映像の良い編集で描き出す、また、映像も美しい映画でした。
子どもたちや先生がたの涙にもらい泣きをしてしまう観客が何人もいることが鼻をすする音でわかりました。
どんなところが良いと思ったのか、また、大学で教育社会学を専攻した者としてどんなことを考えたのかをお話ししたいと思います。
🔹映画の概略
概略の紹介は、公式サイトの文章を使わせてもらいましょう。
この紹介を読んで知ったのですが、この監督は1年と少しの間、授業のある日の4分の3程度は現場にいたようです。
その上で編集に1年を掛けたとのこと。
それだけ密着していたから十分な素材があり、児童・教員・親御さんの心情の機微や変化を映像で紡いでいけたのだ、そして、ここぞという部分にていねいに絞ることで、1年と少し(新入生が入学の準備をするところから、2年生になって次の新入生を迎えるところまで)の日々を99分の作品に自然な形で凝縮することができたのだ、と納得できました。
🔹「いいなぁ」と素直に思ったところ
3つに絞って紹介しようと思います。
1つめは、数人の子どもたちにスポットをあて、その子たちが緊張を強いられる場面でどう対応しようとしたのか、周りの子どもたちがどう関わっていたのかを発言や表情でつぶさに追っている点です。
小学1年生と6年生を撮影対象にしているのですが、例えば1年生が算数で使うカードをなくしてしまう場面があります。その時の恥ずかしい、悔しい思いの表情と周りの1年生が「他の子のカードに紛れてるかも知れないから」と言って他の生徒に事情を話して協力を求める様子が流れるのです。
新しい世界に放り込まれた少し前までは「幼児」だった子どもが「うまくいかない」状況におかれた時の表情がいじらしく、1年生が級友のために動いている姿がとても健気で頼もしく、心が動かされました。
と同時に、よくその表情をカメラに納め、言葉を拾っていたものだと驚きました。まるで筋書きのあるフィクションであるかのようでした。このような場面がいくつも出てきました。これは2000時間の滞在と700時間の撮影があってこそのものでしょう。
2つめは、先生がたが子どもたちを「成長」させようと厳しく迫る時に、その理由の説明に言葉を尽くしておられる点です。例えば、中学進学を控えた6年生に提出物の指導をする場面がありました。単に出しなさいと叱るのではなく、中学ではさらに提出物が増えること、同じ状態のまま中学に進んだら困ってしまうことを心配していることを伝えた上で、これからどうしていこうと思うのかを自分の言葉で話させます。
逃げ道をなくした上で決意表明させるとはきついなあ、というのが私の最初の印象でした。しかし、頭ごなしの指導は戦前の軍事教練につながるものでやってはいけないといった内容の大学教授による教員研修を、いつもは着ていないスーツ姿で真剣な表情で受けている様子や、規律と自由・自発性のバランスにいつも気を使い平均台を歩いているようだと先生が話す場面がそのあとで流れると、先生がたの心情が立体的に立ち上がってきます。
撮影期間がちょうどコロナ禍の初期に重なっていたのですが、教室の消毒をしたり、Zoomでの指導を練習したり本番で接続に苦労しながら始めたり、職員会議で他の学年の先生から改善点を指摘されたりする様子も流れます。楽ではない状況でなお言葉を尽くす指導を続ける先生がたの姿勢に頭が下がりました。
30代〜40代ではないかと思われる先生が多い学校でした。年上のリーダーについていくのと比べると、同年代で共通の価値観を見出しながら協力して仕事をするのは楽しいようで苦労が多いと思います。「よくやっておられる。ありがとう。」と言葉をかけたくなりました。
3つめは、小学校の6年間での成長が見事に描かれている点です。1年生の進級と6年生の卒業を、生徒と先生がた両方の表情と言葉でていねいに描き出すことによってこれに成功しています。
入学前に家でお母さんが自分の子どもにお盆に乗せた食器を落とさずに運ぶ練習をさせる場面が初めに出てきます。そしてランドセルを初めて担いで登校、入学式への入場や学校を案内される時のワクワク・ドキドキしている様子。そして、掃除の仕方や手の挙げ方を習う様子。この1年生が次の1年生を楽器の演奏で迎える場面が描かれます。また、これに並行して6年生については、卒業式の準備、当日の式と式後のお別れの様子が描かれるのです。
60歳の私には、若い先生が自分の息子たちのように、子どもたちが自分の孫のように思われて、彼らの苦労や思いをそばで見続けている感覚になるため、目頭が熱くなりました。周りの席からも鼻をすする音がいくつも聞こえていました。「よくがんばったね。成長したね。」
🔹教育社会学的な視点で批判的に考えると
教育社会学というのは、教育を対象とした社会学の一分野です。教育〇〇学には、他に哲学・方法学・心理学・行政学などがあります。
この映画のキャッチフレーズはこうなっています。
「6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、12歳になる頃には、日本の子どもは“日本人”になっている」
つまり、小学校での教育を通して、「人間」としての成長をしているのではなくて、他国と区別される「日本人」としての価値観や資質を身につけているということです。
では、この映画の中で見て取れる、教育目標とされた「価値観や資質」はどんなものでしょうか。指導があった場面を思い出して書き出します。「▶︎」の前が指導の内容、後ろがその背後にあると私が考える価値観やメッセージです。
どうでしょうか。自分が子どもだった時と比較すると、同じだったなぁと思うものもあるのですが、全体としては、相互点検や努力不足の指摘など、より厳しくなっているように思いました。
ただ、厳しいだけではないところにうまく機能している秘密があります。
たとえば、演奏に自信をなくした1年生に担任の先生が寄り添い、励まします。「失敗したら、先生も一緒に叱られてあげるよ。だから、やれるだけやってみよ。」と声をかけて。
また、生活指導に厳しい先生がHRで体を動かすゲームを生徒としっしょに楽しんで生徒におもちゃのハンマーで頭を叩かれたり、卒業式前の集会で若い男の担任の先生が泣きながら「自分が泣いてしまうのはみんなを愛してるからだ」と話したりするのです。
子どもたち同士の支え合いもありました。1年生が、うまくいかなくて泣いている子に「大丈夫?」と寄り添ったり、逆上がりのできない子の背中に手を添えてできるようにしてあげたりと。
先生たちが情を大切にした関わりや、おそらくはクラスの仲間作りの成果として生まれる子ども同士の思いやりが、息苦しくなりそうな環境でも子どもたちが何とか挫けないで日本人へと「成長」していくことを可能にしているのではないかと考えました。(詳しく触れませんが、家庭でのフォローも紹介されていました。)
🔹映像として客体化することで客観視できる
私の分析に賛成される方もそうでない方もいらっしゃるでしょう。しかし、映像として客体化することで、日本の学校、正確にいうと日本の公立小学校で行われていることを客観的に見ることや、この素材をもとに意見を交換できることが素晴らしいです。
この映画では、教科指導以外のいわゆる特活(特別活動)を主に描いていました。しかし、学校で児童・生徒に伝えられる価値観は、教科指導の中にもあります。家庭科の中での家庭経営、歴史認識や、英語や国語で取り上げられる題材のテーマもそうです。これらも含め、他国との比較が行われれば、さらに日本社会の価値観を相対的に見つめることができるでしょう。
他国の特活や教科指導について、同じようなドキュメンタリーが制作されることを期待しています。
みなさんのコメントをお待ちしています。