心がなんだか苦しくてキュッとなってた時に偶然出会った「ほどよい忘れ方」
何かのネットニュースで紹介されてた記事を読んで、珍しく心に響いた。
そこには92歳の現役のお医者さん藤井英子さんという方が書いた本が紹介されていて、タイトルは「ほどよく忘れて生きていく」と書いてあった。
最初は、お医者さんが書いてる本だから痴呆症の本?と思ったのだけれど、全然違ってちょっとした生き方アドバイスみたいな本だった。
普段はあんまりこういう種類の本は読まない。
でもそこに少しだけ紹介されてた文章を読んで、なんと、びっくりするほどスッと心に入ってきて、心の凝りが取れた気がした。
紹介されてた文章はこういう感じ
著者の藤井英子医師は89歳で開業されたそうだ。この記事には今92歳と書いてあった。92歳、気が遠くなる数字だ。
今でなければ心にスッと入ってきたかどうかわからない。大体が、ここに書かれてることを忘れるもんか、忘れるなんてとんでもないっていう感じで生きてた気がするから。
全ての状況に当てはまるかどうかはわからないけれど(特に、仕事の時なんかは、完璧を求められるし、自分なりに完璧じゃないと気が済まないし、競争も致し方ない)今の私の呑気な状態だからか、なんとなくなるほどねと思えた。
特に、1「自己犠牲」と、6「心配」と、7「親だから」。
自己犠牲の注釈が「自分さえ我慢すれば・・・多くは思い込みにすぎない。」っていうのが「思い込みかあ、そうなんだね」と思うと楽になれたし、6「心配」の「今できる目の前のことを積み重ねる。」ていうのも、わかってる、わかってるけど心配しちゃうし、その心配に囚われて何にもしてない時間がある気もする。
7「親だから」は、私は親じゃないからアレなんだけど、お父さんのことをああした方がいいんじゃないか、今、どんな気分なんだろうか、困ったり寂しかったりしてるとしたら、何をしたらいいんだろうかって、あれこれ必要以上に気にしすぎて世話を焼きすぎるのもこれに含まれると思う。
おまけに彼は自分でなんでもできるし、そんなに弱くない。よく考えてみたら私を育ててくれた人のうちの1人なんだもの。
お母さんがいなくなってから、私がお母さんの代わりにお父さんを幸せにしなくちゃと気合満タンでずっときてたから、正直ちょっとだけ疲れたりすることもあった。第一、お母さんの代わりにはなれるはずもないしね。
人生の大先輩がいうことだから素直に話を聞けるのかも。
最近ではちょっと息苦しくなったら、この部分を読み返したりして、初めてこの文章を読んだときの気持ちを思い出そうとしてる。
「ほどよく忘れて生きていく」
ほどよくっていうのがいい。気が楽になる。
教訓めいたものを読むのはあんまり好きじゃないけれど、突然出会ったこの言葉になんとなく癒されて、頑張りすぎなくていいよって言われてるようで(いや、何を頑張ってるのかよくわからないけれど)最近のお気に入り。
言葉との出会いは、タイミングだと思ってる。
同じものを読んだはずなのになんとも思わなかったものが、年を重ねたり、状況が変わったりなんかして、突然染み込んでくる時がある。
そういう時は素直に受け止めようと思う。
偶然だとしても、出会うべき時に出会った大切なものなんじゃないかと思うから。