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純粋な欲求と欲望の違い、そして知性 + 正しい自己分析

純粋な欲求

  • 身体が必要とするものに基づく

  • 自然で素直な感覚

  • バランスを保つ傾向がある

欲望

  • 快楽を求める

  • 外的な影響や習慣による

  • 過剰や偏りを生む傾向がある


欲望が純粋な欲求を上回ることは、誰にでも起こりうることです。しかし、そのことに気づき、自分の行動を観察することで、必要なものを選べるようになります。

純粋な欲求は「必要」を意味しています。

気づきは、自分自身(心と体)と向き合う第一歩です。その積み重ねが、より自然で健全な生き方へとつながります。

大切なのは、欲望を否定しないことです。欲望を否定すること自体が欲望であり、さらに欲望を生むことになるからです。こういったことを考えるときは、常に感情を脇に置いてください。そうすれば、余計な欲望を生むことはありません。

こうしたことに気づけるのが「知性」です。

そして、このプロセスこそが知性の一部だと言えます。日々の生活の中で、欲求(必要)と欲望を区別し、それに気づいて行動していくことは、まさに知性の表れです。

一歩ずつ、自分の欲望と向き合いながら、純粋な欲求に寄り添える日々が増えていくと素敵ですね!


ちなみに、「知的」と「知性」の違いについて、改めて調べてみました。

知的(Intellectual)

「知的」は、主に知識や論理的思考力が高いことを指します。学問や理論的な理解に関連する場合が多いです。

知性(Intelligence)

「知性」は、知識や理性、論理的思考力を持ち、それを活用して深く考える能力や性質を指します。知性には、感情的知性(他人の感情を理解し、共感する能力)や社会的知性(社会的な状況を理解し、適応する能力)も含まれます。

「知性」は「知的」の基盤となる内面的な能力を意味します。そのため、知的な行動や雰囲気を持つ人が必ずしも高い知性を持っているわけではないという場合もあります。


私は常にこの二つの言葉の意味を把握していたのですが、世の中では曖昧に使われていることが不安でもありました。

インテリは、インテレクチュアルのことです。この意味で知的な人をインテリと呼んでいるのなら正しいのですが、しかし、一般的には「インテリジェント」の意味を誤解して用い、インテリと呼ぶことがあります。それは違います。

インテリジェンスとは、知性を意味しているのです。幼い子供たちは知性的です。経験がない分、危ういだけです。

知性のない人なんていません。しかし、より知性的な人とそうでない人の違いはあります。もし知的に偏り過ぎているのなら、知性に立ち帰ろうとしてみませんか。


良い例えなのかわかりませんが、教室で勉強している人の写真と、心地よいカフェで考え事をしている人の写真を思い浮かべてください。

教室で勉強する人 → 知識や論理に焦点を当てる「知的な活動」

カフェで考え事をする人 → 自然体で内省する「知性的な行為」

どちらも大切であり、どちらが欠けても豊かな人生には結びつかないと感じませんか? 必要なのはそのバランスですね。

純粋な欲求と欲望も、そのバランスをとることから始めると良いのではないでしょうか。

人それぞれ、今どの段階で何を学んでいるのか外側からはわかりませんが、その都度、必要なバランスがあると思います。


最後に、自己分析について気づいたことがあります。

自己分析をして、完了したと感じたのであれば、それは知的な分析をしたということでしょう。そう判断した時点で自らそこで成長を諦めたということになります。知性的な人であれば、成長は終わることがないと気づいています。

自己分析とは、知的にするものではなく、知性を働かせるものです。そうしてこそ、段階ごとに自分自身を知り尽くすような理解が可能なのです。


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