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性別を忘れてる

ただ楽しんでいる時、自分を忘れていることに初めて気づきました。

最近は、性別すら忘れているように思うのです。
これが「遊び」ということなのかもしれません。

年齢を意識するのも面倒になりました。
顔や姿形が以前とは違っても、「年だなあ」とは思いません。
ただ、「一刻一刻、死に向かっているのだから自然なこと」と、そう考えるだけです。

この頃、死に対するネガティブな思いはすっかり消えました。
むしろ今は、「死を祝いたい!」という生意気な思いが、私にとって大事なものになっています。

人生の終わり方をどうでもいいと思うことはできません。
他人の死を見つめながら、自分はどんなふうに生きて終わりたいかを考えるようになりました。

だからこそ、私の目標は「祝えるほどの死」です。
それが、私にとって一番高いところに掲げた標識です。

高すぎる目標かもしれません。
でも、一応、そういうことにしました。

過去も現在も、苦痛さえも含めて、すべてを受け入れられる幸せを感じています。
それは、これまでのたくさんのハプニングが私をここまで連れてきてくれたからです。
おそらく、抑圧という厄介な感覚が少しずつ減ってきた表れなのでしょう。



私はもう一度、生まれようとしています。

なぜなら、私はすでに一度「死んでいた」のだとわかるからです。
もう一度、生まれ直して、あの頃の“アレ”と繋がりたい。

でも、“アレ”ってなんだろう?

きっと、子供時代に体験した真の喜びのことです。
私はそれから遠ざかり、忘れてしまったのです。
けれど、その違和感だけはギャップとしてずっと感じていました。

そのギャップが苦しかった理由なのでしょう。
自分を見失い、迷子になったような状態。

怖くて、心細くて、寂しくて……。

寂しい時、人を頼ると、かえってもっと寂しくなりました。
それでも最終的には、得体の知れない安心感に支えられて生きてこられたのです。

不思議なことですね。

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