夢から覚めて
夢を見た。
わたしはカラーの色を見ることが多い。
のんびりした畑や沢山の木々が広がる田舎の風景、道すがら眺めている家はたいてい古ぼけている。
屋根は錆びたような茶色がかった赤だった。
人の姿はない。
わたしは何かをしていた。
人を探していたのか、目指す家を探していたのかわからない。
道端でわたしはひとりの男の人としゃがみ込んで話している。
しんみりした調子で、とつとつと話している。
その男の人もわたしを心配しているのか、何かを問うてきている。
わたしに対して言いたいことがあって、やっとそれを口にしている。
自分の後悔の念を伝えてきている、というのはなんとなくわかる。
その時のやりとりは思い出そうとするほどするりと逃げて遠くなってもどかしい。
夢の中ではその男の人が誰なのかとあまり気にならない、というかわかっているのだ。
目覚めたぼんやりした頭でその断片がぐるぐるしていた。
あれは別れた夫だ。
心配して謝っていたのように思える顔は見えなかったけど、間違いなくあの人だった。
決して悪い人ではなかった。
真面目に家族のために働き、料理やゴミ出しもしてくれた。無駄遣いはしなかったし、女遊びもギャンブルもしない。
お酒を飲んで暴れることもなかった。
付き合っていた時に、将来女性は子供を産むんだからと言ってその場でたばこをやめた。
太り出したのを機に片道30分弱の駅までの道を雨の日も風の日も歩いていった。
子供たちのことも可愛がってくれた。
顔も良くもなく、そして悪くもない。
なによりわたしを好きでいてくれた。
別れた理由を説明しても理解してもらえるかどうかわからない。
なぜならこれは片面だからだ。
昔のレコードのA面とB面のように人もまた違う一面がある。
もう少し早く話し合っていれば間に合ったかもしれない、とは思わない。
自分を偽って目隠ししてきたのだと気がついてしまったあとでは、どんなに言葉を尽くされても届かない。
落胆されても悲しい思いをさせても、怒りをぶつけられても、責められても、揺さぶられてもなんとも思わない。
わたしは薄情な人間なのだろうか。
そうふいに思うこともある。
家族という体系を壊し、子供たちを悲しませてまでしあわせになろうとするのは間違いだったのだろうか。
そう悩んだこともあったが、わたしは自分のしあわせを選んだのだ。
そして今は自分が好きだ。
気持ちに正直に生きている。
今あの人に伝えたいことがあるとすれば、あなたも幸せになってという言葉だ。
身体に気をつけて。
どうか幸せに。