日航123便墜落事故(事件)・第75回〜冷戦のあの時代を思い起こしての夜中の戯言
昭和50年代から昭和60年代にかけて。北海道苫小牧市の国道36号線では、陸上自衛隊の車両、車列がしょっちゅう行き来していた。むろん、目的があってのことだろう。
地元の社会党や共産党関連の人は目を光らせていたのかもしれない。なにをやってるのやらと。自衛隊が演習やる際は、道庁に報告義務があったと思われる。が、自分は、そんな義務の遂行など信じちゃいない。なぜなら、冷戦時代だったから。
社会党や共産党に知られたら、ソ連に通知が行く。信憑性はわからないが、そんな話、噂はあった。それが冷戦時代。
123便事故のあの日。あの日の話をすると、どの軍艦はどの軍港にあって、戦闘機はどこどこの基地に配備されてて、あの基地には配備されてなくて、とかいう話になる。相模湾には■隻いたんだと。そういうのは自治体に報告義務があるという。
たぶん、半分は当たっているが、半分は当たっていない。それがすべてなら、情報がソ連に筒抜けになる。実情、および数字のズレはあってしかるべきだろう。
筒抜けなら、とてもおめでたい国ということになる。アメリカにどやされる。
よくも悪くも、民間人が軍の実情など知りえるわけがない。知られるようじゃマズい。それが冷戦時代。
さらに、各米軍基地にF-4ファントムが何機配備されてるかなんて、日本国民が知るわけがない。最新鋭のステルス機云々なんて、トップ・シークレットだろう。めだつ原子力空母の寄港とはワケが違う。
いや、原子力潜水艦はいくらでも来てる気がする。
そんな世の中はいやだと言っても、仕方ない。
あの日、相模湾にいた日米の軍艦の正確な内訳を、民間人が知ることはできない。知りたくて知りたくてたまらないのはわかるが、確証がない。新聞に出てるというが、それを読んで全面的に信用できる人は、おめでたいと思う。冷戦時代に生まれ育った自分は迷わず疑う。そうして、数字が違うのはありうること、仕方ないと思う。
ただ、だからといって、あの事故の核心に触れることは100%無理とは思わない。思いたくない。