「感謝の乱用」は、猛毒。
SNSやメール、投稿などで、とにかく
「感謝。」
を連発する人、口癖のように使うけど、その人の態度を見てたら、
ひとかけらも感謝してないやんけっ💢
という人、周りにいませんか?そういう人から発せられる「感謝ビーム」にものすごい違和感を持っていたんですが、昨日、たまたまこちらのnoteを拝見して、そうそう!まさにそれ!と感動したのでご紹介したいと思います。
まず、誤解のないように先に言っておきます。生きていく上で、
感謝すること、有難いと思うことは、ものすごく大切です。ってか、基本です。
あらゆることに感謝も有難みも無ければ、生きてる幸せを感じることもできないし、そもそも人間関係も人生もうまくいかない。そんなことは、皆さんうすうす感じていらっしゃると思います。
でもね。
SNSや、便宜上交わされる言葉、社交辞令、日常会話で、不自然にぶち込まれる「感謝。」とか「ありがとう。」とか必要以上にへりくだる態度に強烈に違和感があるんですよ。ラーメン鉢の底に書いてある「ありがとう」とか(あ、あれは、スープまで全部飲んでくれてありがとうって意味だから、正しい使い方か)。
その「感謝。」の根底には、
「ああ、何事にも感謝って言う俺って、めっちゃ謙虚。人間出来てるよな。そんな俺の凄さに気がつかん周りの奴らは、アホばっかりだよな。」
って、思ってません?そういうのって、仏教でいうところの「慢」に当てはまるんじゃないかと思います。
私、数年前、こんなつぶやきをしたことがあります。
これって、ただの「感謝の乱用」じゃないのかな?
たしかに、思ってなくても、実際に口から出す、文章にするだけで、無意識への定着化をはかり、幸せを引き寄せる効果はあるかもしれない。
でもね。(パート2)
たとえ、それで幸運を引き寄せたとしても、「ああ、これが、感謝とつぶやいて俺が引き寄せた幸運だ!」と自分で気がついて、ちゃんと受け取ることができるのかな?
そもそも、幸運って、何を指す?
宝くじで1億当たる事?
道で200万円入ったぶっとい財布を拾うこと?
もうね、事故にも事件にも災害にも巻き込まれず、無事に生きてるだけでめっちゃ幸運なんじゃないの?そこに気付かない人が求める幸運って、身の丈を超えてて、もし手に入ったとしても、持て余して自滅しちゃうんじゃない?
先ほどご紹介した、長田英史(おさだてるちか) / NOT SHIPさんのnoteの中に、
思考停止の感謝はただの逃避
自分で感じ考え判断すること
って大きく書いてあるんです。
そして、極めつけは、
もう、まさにおっしゃる通り!
全国ドームツアーで、触れ回っていただきたいほどの尊い内容だなと思います。
秋の夜長に、感謝の本質、何がどうありがたいのか?をじっくり考えてみると、口から発する「感謝」の言葉に、ほんの少し真実味が増すかもしれないですね。
感謝。
(って、この使い方が軽いっちゅうねん)