アメリカの食事に飽きて、ただ、美味しい栗ご飯が食べたかったの。ただそれだけなのに。
1998年から2001年まで、アメリカ西海岸オレゴン州ポートランドに住んでました。最初は語学学校に行って、カレッジを卒業して、5か月就職活動して小さなベンチャー企業で働いてました。
住んでいたアパートの敷地には、大きな栗の木があって、秋になると、こんな感じの美味しそうな栗の実が木の周りに大量に落ちています。
でも、現地の人は、全く気にしない。
熱い視線を向けているのは、私とリスだけ。
よし、今年は、いっちょ、栗ご飯を作ってみるか。
そう思い立って、大量の栗を拾って帰ってきました。
固い皮をむいて、渋皮も取って、ご飯3合の上に、綺麗に皮をむいた栗をセット。もちろん、ごま塩も用意して、
これで、美味しい栗ご飯が食べられるぞー。
膨らむ期待を胸に、待つこと1時間。
蓋を開けると、
超、いい匂い~。
おお!待ってました。これぞ栗ご飯。
待ちきれず一口だけ、味見してみると、
マズっ!渋っ!これ、渋栗やんっ!
よく行く日本食レストランの女将に、このことを話したら、
「ああ、それなー。私もずいぶん前に騙されたんや。子どもら連れて、公園で大量に栗拾ってきて栗ご飯作ったけど、渋過ぎて食べられへんかってん。」
「あれ、食用ちゃうで。」
衝撃的な最後の一言を耳にした時、誰も知らないお宝を見つけた小さな子どもの様に高揚した私のハートは、粉々になっていました。
ただ美味しい栗ご飯が食べたかっただけなのに。
それだけなのに。
栗だから食べられると信じて疑わなかった私が、バカだった。
そんなものに騙されるのは、リスと私ぐらいだったのだ。
この経験がトラウマとなり、
あれ以来、何十年も、栗ご飯を口にしていません。
思いついた時に、昔の海外体験を綴っています。
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終活って、ひとりでやろうとすると、途中で挫折したりします。趣味:終活って言ってる終活プロデューサー(終活P)の私を頼ってください!多分お役に立てると思います。