BAHAMA KITCHEN - 開業編 其の二
はいども、オッティです。
サクサクと続きいってみましょう〜。
今度は少し自分の方に話を向けて、30代を過ぎた頃から少しずつ感じていたことに以下のような思考があった。
体力的な面でDJはまだまだ頑張りたいところだが、ダンスの面ではあっと言う間に厳しくなっていくだろう。
また今の収入でこのままいくにはちょっとどうなんだろうか。
普通に一般論で考えたら、30代後半にもなればピークアウトするものだし、このままこの感じでダラダラ続けていくのは嫌だな。
みたいな感じだ。
角が立つと嫌なので語弊がないようこの感情を補足しておきたいのだが、ダンスを踊り続けることが嫌なわけではない。
そして、40代、50代、60代と、ダンスを仕事にしている大先輩達を否定したいわけでもない。
むしろそんな先輩や先人の方々の強さはリスペクトしている。
自分のダンス感、人生感として生まれてきた思考なだけであって、ダンス自体に対してはむしろ一生踊っていたいし、ダンスがあることで人生は豊かになる、というかそういうものであって欲しいと思っている。
ただ、仕事として、お金をいただくツールとしてはあまりダラダラ中途半端にプレイヤー(ダンサー)でいたくないな、と思い始めていた。
とはいえ収入源が無ければ生きていけないわけで、直ぐに何かを変えることができる筈もなくダンスの仕事は仕事でちゃんと真剣に向き合って続けていく。
この頃の思考はまたちらほら登場するので、ここが同じ頃(30代)なんだ、と認識していただけると幸いだ。
この頃のSODEEPの活動メンバーは主に5人で、U以外の自分含む4人はそれぞれがダンスの仕事をしていた。
唯一Uだけは上京してからここまでずっとアルバイトをしていて、まぁそのうち飲食の企業にでも就職して料理でやっていくんだろうな、とは思っていたし、彼を見てきてダンスを仕事にするという意欲はあまりなかったように感じた。
※BAHAMA KITCHEN開業直前のUの仕事は某飲食店にて社員としてやっていた?かもしれないが人の細かな雇用状況なので記憶が曖昧につきすみません。
ずっと近くでUを見てきてさらに色々と思いが募っていく。
先に述べていたようにダンスを仕事にしている自分含む4人は一般的、普通に考えて、この先プレイヤーとしての仕事、そして体力は確実に落ちていくだろうが、逆にこれまでアルバイトとはいえ飲食店の仕事をしてきたUは、SODEEPのブランドも利用しつつ自分のお店を開いたり、アプローチ次第ではむしろここから成功していくポテンシャルが一番あるのではないか、と思っていた。
出店などの経験で、飲食×音楽×ダンスのような繋がりも増えてきていたようだったし、U本人もお店持てたらな、という意欲が高まってきているように自分には見えていた。
Uが自分の店を持ちたいという意欲、そしてそこに向かうサポートをしてくれる方々との繋がり、加えて自分個人的な人生感、思考としても次のフェーズに向かうべきだ、という部分などが噛み合い、BAHAMA KITCHENの店舗を創ろうという動きが出始めていく。
ここでの個人的な次のフェーズへ、というところも後にまた細かく書いていこうと思う。
話を戻して簡単に言うと、投資という形になれどもUをサポートし店を創り、またそのお店が自分含めSODEEPそれぞれのダンスなどの活動に活きてくればそれも良いことであり掛け算になっていければ、SODEEPとして飲食店という側面からも発信、アプローチをできれば、そんなイメージでUの店を創ろうといった感じである。
よりリアルで細々した部分やそれぞれの感情には多少ズレはあるかもしれないが、BAHAMA KITCHENという店舗を立ち上げるにあたり軸となる経緯はこんなところかなと思う。
さて次回は最終的にBAHAMA KITCHENを立ち上げるまでの自分の動きや思考について、さらに細かく書いていく予定なので楽しみにしていただけたら嬉しい。
つづく〜。