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[映画感想文]│役者を観る映画『複製された男』『ザ・ウォーカー』

最近観た2本の映画は、何れもセピアでスモーキーな映像が印象的だった。そして何れも、邦題がガッカリ気味というかミスマッチなものだった。

複製された男

ジェイク・ギレンホールを観る映画である。何しろ一人二役であるわけだから、ジェイク・ギレンホールが好きな人ならば、もうそれだけで満足ではないだろうか。

そんな本作、邦題を読んで監督の名前を見れば、「あぁそういう雰囲気のSFね」という先入観ができてしまう。しかし、原題は「Enemy」となっており、もし仮に邦題が「エネミー」であったならば、全く違う気分で観始められただろうし、ふたり目のジェイク・ギレンホールが登場した瞬間の「おや?」という気持ちはより大きなものだっただろう。そういう意味で、可能性を潰す迷惑な邦題と言える。

それは観始めてから90分後、つまりラストにも感じられてしまう。何故ならば、こちらとしては「複製」ありきで鑑賞していたのだ。その部分の種明かしとか、陰謀めいたものの存在を心待ちにしていたわけだ。これがもし、「エネミー」というタイトルであったならば(というよりも『複製された男』でなければ)、もっと早い段階で、SFというよりもサイコスリラーなのではないかと気付くことができた筈だ。そうなっていれば、もっと多くのことを考えながら鑑賞したことだろう。

実際、本作はマトモに整合性が取れた話とは言い難い。『マシニスト』のような話であり、その具体的な種明かしがされない映画だと考えれば落ち着く。

過去の過ちや後悔に苛まれるジェイク・ギレンホールが、過去の亡霊と実在する人間との間で揺れ動き、倒錯する物語なのだろうと思う。蜘蛛に象徴される不安や恐怖が、大きさや形を変えて徐々に迫ってくる描写というわけだ。本当のエネミーが蜘蛛なのか、変わり映えのしない生活の中で刺激を求めてしまう自分自身なのかは不明だが、少なくとも「複製された」と明言してしまうのは間違いであるやうに感じられた。

『ザ・フラッシュ』でもエズラ・ミラー(たち)による違和感のない掛け合いには驚かされたが、本作もジェイク・ギレンホールズは実に自然な掛け合いを見せてくれた。演じ分けもきちんとなされており、それだけでも見応えのある作品と言えるだろう。

やたらと裸を出したがるのは大きなノイズに感じられたが、ミスリードを狙う意図などがあったのだろうか。そういった部分を再確認するためにも、今度改めて観てみよう。『エネミー』として。

ザ・ウォーカー

ビルの谷間を渡る映画ではない。かといってゾンビものでもない。原題は『The Book of Eli』であり、これまた受ける印象が全然違う。『STARWARS』に『スカイウォーカー』と付けられてしまったような感じだ。素直に『イーライの本』でも良かったのではないか。宗教色が強く出てしまうから、「イーライ」の名を隠したかったのであれば理解できる…か?

『複製された男』と違い、冒頭に原題が大きく表示されるので、そこまで先入観を持たずに観られるのは親切(?)だ。ただ、逆に原題が判明してしまうと、大事そうに持っている本が何なのかを察してしまう。それが大きな問題にはならないし、一応ラストにチョッとした仕掛けは用意されている。やたらと嗅覚について言及してたのは少しわざとらしかったが。

その仕掛けが若干蛇足気味に感じられてしまうのと、仕掛け自体に少し無理があるのは残念なところだ。それでも、荒涼とした無機質で破滅的な場面が続いた後の、豊かな水や緑が広がる景色は、映画のクライマックスとして相応しかった。最後にイーライが着ていた衣装の色にもハッとさせられる。

しかし、それらが全部、これまで語られてきた世界の設定と噛み合わない気がしてならない。ゴールとなった島には、たまたま善良な人間しか残っておらず、たまたま潤沢な資源や食糧が残っていたとしよう。しかし、あれだけ水の確保に苦労していたというのに、海の水位は高い。そういうことを言い出すと、意外と確保に苦労していなさそうに見える電力や燃料の問題もあるし、紫外線が一気に降り注いだにしては無防備な人々も気になるし、それ以外の汚染について一切言及されない点にも違和感があるし、石鹸が無いんだか有るんだかよくわからないし、色々と細かな設定の甘さが気になる。

そんなことは気にしないで、やたらと気合の入った殺陣や、銃撃戦でのカメラワークあたりで盛り上がろうぜ!という映画なのだろうか。最後の最後でイーライの武器を装備して、急にバイオハザードみたいな感じになることからも、外連味重視で楽しむのが正解な気もする。…であれば、別にこういう面倒くさい設定にしないで良かったような気がする。

とにかく、私の中では『マッドマックス』みたいな『リベリオン』だった。『マッドマックス』にハマれなかった私なので、どうもこのディストピア感がモヤモヤを加速させられてしまったようだ。画面はずっとモヤモヤしているし。

アクションシーンだけでも観る価値があるとは思えたし、悪そうな正義の味方をするデンゼル・ワシントンと、善人ぶった独裁者のゲイリー・オールドマンが観られるのも面白い。こちらもまた、役者を観る映画だった。

本当はもっと深い映画なのかも知れないけれど、私はコテコテの日本人なのだ。これくらいの楽しみ方が丁度良さそうじゃないか。

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