朝ごはんが、いちばん好き。
朝ごはんがすきだ。
周りにはわりと、「朝は忙しいし食べない」という友人も多いのだけれど、わたしはどんなに眠い日も忙しい日も、朝ごはんを食べないと気が済まない派。朝ごはんを抜くなら化粧に手を抜く、というほど。なんなら、朝食べたら昼はいらないってくらい。
元来食べることがだいすきということもあり、食事というものに対する執着はわりかし強い方なのだけれど、三食の中でどれがすき?と言われると、絶対に朝ごはん、と答える。
わたしは低血圧も相まって、とにかく朝に強くない。寝れるなら寝れるだけ眠りたいので毎朝ギリギリまで眠っているし、朝にやることを前日から残しておくとほぼ100%忘れるかできないので、やるべきことはなるべく朝に残さないようにしている。そんなわたしが、朝ごはんだけは何があろうと、絶対に抜かさないようにしている。自分で言うのも何だが、結構すごいことだと思う。
前述どおり食への執着がすごいので、たとえば旅行に行く、となると、「なるべく多くおいしいものを食べられる旅程」を組むくせがすっかりついている。始発になろうと帰りが遅くなろうと、なるべく旅先でおいしいものを食べたい。日帰りでも、なるべく三食旅先で食べたい!となると、必然的に早朝に家を出て、旅先での滞在時間を物理的に伸ばすしか手がない。
一人旅で使用する宿は大体ゲストハウスか、ホテルを利用する際も素泊まりであることが多いので、ホテルの朝食を利用することはほぼない。ホテルはホテルで、なんとなく特別感があるとろとろのスクランブルエッグだとか、別に何の変哲もないけれど積まれているだけでテンションが上がる(そしてむちゃくちゃ食べてしまう)ボイルソーセージも最高に好きなのだけれど、「ここで朝ごはん食べたいな〜〜」というお店の近くに宿をとってすこし早起きしてパンをテイクアウトしたり、道ゆくひとを眺めながら朝ごはんプレートを食べるのは旅先の楽しみのひとつである。
先々月、まだコロナがさほど大変なことにはなっていなかった頃、京都に行った。失業したり何やらでしばらくふらりと旅にも出ていなかったので、一泊だけ、と自分へのご褒美に。
徐々に新型ウイルスの影響が広まってきていた頃合いで、ふだん人で溢れかえっている京都も、びっくりするくらい空いていた。行き交う言葉が日本語ばかりの京都なんて、とてつもなく違和感があったのを覚えている。
妹と会い、長らく会えていなかった関西の友人と会い、その隙間時間、二日めの朝に久しぶりに柳月堂に寄った。ここのくるみパンが食べたくてうずうずしていたので。
柳月堂のくるみパンは、三回中二回は鴨川を飛び交うとんびに獲られている。河原で一口二口食べたところを、空から掻っ攫われたのだ。
空からの急襲に人などなす術はない。思えば鎌倉でもクレープを獲られた。どんくさい人間を見分ける力が鳥にあるかは知らないけれど、さすがに勝ち越しされるとこちらも学習する。鴨川を眺めながら外で食べても良かったけれど、雲行きも怪しいところであったし、今回は早めに起きて一旦ホテルに戻り、ホテルの部屋で食べることにした。
家へのお土産を含め両手の袋にパンパンに詰まったパンと、ついでだからと立ち寄った出町ふたばの大福を抱えて、小雨が降る中ホテルに戻った。部屋に備えつけられていたケトルがバルミューダで、もうテンションはうなぎ上りである。ホテルのシンプルな部屋いっぱいに、インスタントコーヒーとパンのにおい。椅子はなかったのでベッドに腰掛けてテレビボードに皿を置いて、豪華でもなんでもなかったけれど、とてつもなく贅沢に感じた。
新型ウイルスの影響がさまざまなところで現れ始めている。元来引きこもりの性質だから、家で過ごすことに特段抵抗はない。けれど気軽にいろんな場所に行けないことは、やはりストレスではある。この騒ぎが収束したら、といまは妄想を楽しむしかできないけれど、この騒ぎが収束したころ、行きたいと妄想していた店の数々が必ずそこにあると限らないことも、とてもかなしい。こんな時だからこそ、とテイクアウトを利用したりしているけれど、外出を自粛しなきゃ、大切なひとを守らなきゃ、という気持ちや事情も、それでも仕事をしないと暮らしが立ち行きいかなくなってしまうひとの事情も、両方わかってしまうから難しいところだ。それでもやっぱり、自分が何とかなったら、という不安より、自分が誰かの大切なひとを大変な事態に陥らせてしまったり、大切な人が大変なことになってしまう不安が大きい。
そんなことを考えてばかりだと気持ちも落ち込んでしまうので、休みの日は家でおいしいものを食べて、自分の機嫌の舵を取ることにしている。朝ごはんがおいしいと、一日の気分が全然ちがう。朝だからあんまり凝ったものは作らないようにしている。ただすこしだけ手をかけて、ふだんはトースターで焼くパンをフライパンで焼いてみたり、アーモンドバターを塗ってトーストしてみたり、フレンチトーストにしてみたり。
きのうは最近お気に入りのサンクゼールのアーモンドバターでアーモンドトーストを。
これでもか!とたんまり塗って、ナッツを散らしてふたたびトースト。サクサクして香ばしくて、100点どころか500点くらい。いつか食べに行きたいな、と思っている姫路のアーモンドトーストに想いを馳せながら、幸せに浸った。
そして本日は、超熟のフォカッチャでフレンチトーストを。あまじょっぱいのがすきな方にはぜひおすすめしたい、別名カロリーおばけ。でもまあ、朝ごはんですし。多少カロリーを摂取したって、日中動けばモーマンタイ。これを作って食べる時はかならず、シティベーカリーのフレンチトーストが頭に浮かぶ。ベーコンがのってて、あまじょっぱいやつ。あれを食べるためだけに都会に出たい。
超熟の漢字を間違っているけれど、ゆる〜いレシピをつけてみたりした。
朝ごはん、このくらいのゆるさで作るのがちょうどいい。朝から牛乳何mlとか、砂糖何グラムとか、正直むちゃくちゃめんどう。自分で食べるものなんて常々同じ味である必要もないのだし、甘すぎたら甘すぎたな〜ワッハハ!で笑っとけばいいのだ。
おうち時間を楽しむのも楽しいのだけれど、はやくいろんなものが元どおりになるといいなと、心から願っている。そしてこんな中最前線で頑張ってくださっている医療関係者の皆様や、介護従事者の皆様や、教育関連の方々や、戦々恐々としながら笑顔で働いている接客業の皆様に、はやくいつも通りが戻ればいいな、と思っている。
かくゆうわたしも接客業の片隅に籍を置いているので、来てくださる方への感謝と不安の狭間でいろいろ考えるところはある。「いつもどおり」の大切さなんてわかっているつもりでいたけれど、改めて考える毎日だ。いつもどおり、はやく戻りますように。