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夏休みの終わりに思い出した

新学期の始まりまであと1週間。

この時期になると、毎年2学期が始まるのが不安だった頃を思い出して あの時の自分をそっと優しくハグしてあげたくなる。

事件になるようなイジメをされていたわけじゃないけど、なぜかわからない「無視」。
物の「紛失」。
そしてこちらを含み笑いしてヒソヒソ話しながらの目つき。
何かの役員にやたらと「推薦」される。(人前で話せないタイプの私には絶対不向きな役なのに「〇〇さんがいいと思いまーすwww」ってやつ)
今なら対処できるけど、あの頃の私には無理だった

クラスが変わる4月はそんなに怖くなかった

上手くいかなかった人と離れられて、今度は「いいクラスかもしれない」っていう淡い期待もあったから

でも2学期の開始は「やっぱり生きづらい」クラスになってることはわかってるわけで、そこに入っていかないといけないんだよね。
(まして2学期って長いんだよ…行事も多いし…)
冬休み終わって3学期は冬眠したように静かに2ヶ月やり過ごせば3月には春休みだから、やっぱりきついのはもうすぐ2学期が始まっちゃうってわかってたこの時期

そもそもなんでいつも「いじめられる側」だったのか、考えてみると ものすごくはっきりとした「理由」が2つあった

① 先生の言うことを聞いて 真面目に掃除や係の仕事をしっかりしたり、宿題を忘れなかったり、いわゆる「優等生」だったから

② 私より先にいじめられている子に話しかけたり一緒に行動していたから「私も標的になった」

理由はわかっていたけど、それをやめる気は無かった。
だって「私は間違ってない」っていう確信があったから

あんな人たちに負けたくないって思いもあった

幸いクラス全員がそんなおかしな人たちだったわけじゃない。
どの学年も40人以上の中のいつも4〜5人の女子グループだけだから、あとの人とは何事もなく過ごせてた。
(ある意味毎年どのクラスにも1割強のおかしな生徒がいると考えると…どうなってるんだろうね?)
だからなんとかやり過ごせてたのかもしれない。
酷い体験をした人からしたら「そんなのイジメのうちに入らないよ」ってやつなのかもな。

だから〇十年も経ってるのに、いまだにモヤモヤしている自分がすごくイヤだったのだけど、数年前、くま@HigherHattori さんが こんな↓ツイートをしてくれて、やっと気持ちが落ち着きました

『「許す」と「手放す」は似て非なるもの。
許すの過程に手放すがある。
許しとは愛そのものなので、一朝一夕でできることではない。
もちろんその境地に達するために日々学びがあるわけだけど、人を許せない自分を責めなくていいですよ。そもそも許せるようになるのは今世では難しいかもしれません。

手放すとは、自分の中に沸き起こる怒りの感情を手放して心をゆるゆるにするということであり、それだけで相手に対する執着が薄れて楽になれます。
でもこれ、相手を許してまた仲良くするということではないので、許せなくても大丈夫てす。
とりあえず、怒りが湧いてきたらその感情を手放す。

それができるだけでも人生幸せに生きていけます。

さらにその上の境地(自分も他人も同じという観念)に到達したとき初めて許せると思うのです。

許すとはそれほど高次の意識なので、できないからといってご自分をおせめになさらぬよう。』

私には許すことは難しいかも。
でもなんとか手放せるようにしたい。

別にコレは私に当てたものではなく、ごく一般的な考え方としてのツイートだったのだけど、大人になってもモヤモヤしてた私に光のように届いた言葉だった。
許せないけど、そんな気持ちは手放すようにできたらいいな。

追記
随分前の事だけど、中学を卒業して10年以上経ってから化粧品売り場で声をかけられた。
綺麗な美容部員の女性に見覚えがあった。
いじめられていた隣のクラスの女の子だった。
特別の仲良しでは決してなかった。美術や家庭科や体育など2クラス合同で受ける授業の時に1人だった彼女に声をかけてよく一緒にいた。

「よく私ってわかったね!」と聞くと「〇〇さんのことは忘れるわけない!1番優しくしてくれたもん」との返事に泣きそうになった。
となりクラスのたまに会話するだけの私が1番優しくしてた…
辛かったね…
中学の時から色白で綺麗だったけど、仕事もあってお化粧が上手でモデルさんみたいに美しくなっていた。
「〇〇さんが私を応援するっていってくれたから、今は接客するこの仕事につけたの」
ってとても感謝してくれた。

ごめん、私はあなたに何を言ったのか実は覚えていないの。
でも私の言ったことであなたが前向きになれたのならすごく嬉しい。

やっぱり私は間違ってはいなかったんだね。
ありがとう。



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