蛇にピアスを、登場人物の名前から考える
お久しぶりのnoteかと思いきや
まさかの映画考察?!
そんな考察考察したものではないけど、
きのう思いつきで深夜2時から見始めた
『蛇にピアス』のちょっとした感想です
(ドセンチメンタルでした)
色んな人が考察してたので、私なりの解釈もメモ
なので気軽によんでくださいー!
結論
・誰がアマを殺したのか
・誰の子を産んだのか
の考察が多く書かれてたけど、私は
・シバがアマを殺した
・シバの子を産んだ(アマでもいいけど)
と思ってます
理由
理由は簡単というか、
登場人物の名前からこれそうだよな~と思った、それだけ
(どこかで誰がが同じ考察してるだろうけど)
シバについて
アマが死んだあと
シバとルイが淡々と過ごしていく生活の中の会話で
シバが、
「そろそろシバっていうのやめてよ」
「柴田キヅキ、みんな何故かシバっていうんだ」
といって、そこからキヅキ呼びになるシーンがあった
今までのシバは多分インドの神「シヴァ神」のことで、
神話の世界では破壊と創造を司る神といわれている
どちらかというと世間一般でも破壊のイメージが強く、制御しきれない恐ろしい力を持つ破壊神である
(ちなみにシヴァ神は女の形をしているので、
シバが男もイける口といってたのもなんとなく納得感がある
それにシバが「俺は、神の子かもしれない」と戯言をいうシーンからもこの作者がつけた名前にも深読みする意味がありそうな…感じがするよね)
なので、恐らくシバは単純に
物語の中で「生活の破壊」の役割をもってたことは容易に想像出来る
マッドなサディストだったシヴァ神がアマを破壊してしまったという見方が自然ですよね
で、アマが死んだ後に
キヅキ呼びになるのは、単純に「築く」の意味に変わる
創造の意味なので、ルイの新しい生活を創造しているところとか
行動が変わり始めたシバ自身なんかを表していそうですよね
アマとルイについて
アマは単純に、アマデウスと名乗っていたので
恐らくそのまま「アマデウス」という意味
アマデウスはモーツァルトの歌劇の名前なんだけど(見たことは無い)
”神の愛を受けた子”という意味があるらしい
ちなみに、ルイの「ルイ14世」は
太陽神と言われていたらしく
アマは「太陽神とシヴァ神に愛された人」
という見方が出来そうだ
さらに深読み
そうすると、アマはマッドなサディストシヴァ神に愛されて死んだことになる
のだけど
同じ神であるルイに愛されて殺されたという意味も纏うのでは?
と思った私
・ルイには心を殺されて
・シバには体を殺された
と考えてる
シバは「女の方が痛みに強い」と言っていたのが伏線になっていて
身体の痛みに耐えられなかった男のアマが死んでしまったのだけど
そのコントラストで「女は身体ではなく心の痛みには弱い」みたいな所も描かれていたのかなと
アマは心の痛みを感じているルイといることで
病みはせずとも
心が締め付けられるような苦しみの中にいたのかなーと思う(アマ、ピュアすぎるよ)
あ、単純にルイの組合員に関わる過去の行動や様々な伏線ありきで「ルイに殺された」というのもあるだろうけどね!
もしかしたら最後にシバと会ったのは
アマは人間のピュアさを表してるだろうから痛みとか自傷という意識はなく
「ルイに秘密でシバに新しくかっこいいものを施してもらおう~」と思って安易に殺されてしまったのかもね!そこも残酷だよね!
シバは、ルイがどうとかではなく多分ほんとにアマのことが好きで、破壊したくてたまらなかったんだろうね!歪んだ愛だ…
もっと他の考察書きたいけど今日は
名前の考察ということでここまで
最後に、妊娠?シーンのこと
映画のオリジナルラストシーンであった
ルイがお腹を抱える様子だけど
個人的にはあれは要らないかなと思ったシーンである
なので個人的にシバの子でもアマの子どちらでもいいのだけど
恐らく創造の神になったシバの子だろうなという思ってる
シヴァはインドの神なのだけど
インドは基本輪廻転生という生まれ変わり思想があるので
恐らく死んだアマが、シバの手によって
生まれ変わって誕生するのだろうな
という読み
シバが「俺が神ならニワトリみたいなアホを創造する」※ニワトリ=アマ
みたいなことをいってたシーンがあるので多分そう
ルイちゃんがアマの愛の仇である歯を飲み込んでいるので、アマと一緒になったルイが
アマの要素を持った何かを産むことはおかしく無さそうだし
ただ、このシーンは
原作を読んだ映画製作関係者が
「誰が殺したのか?」というテーマだけじゃ
考察映画として観客が物足りないだろうから
安直に「誰の生なのか?」というテーマも
こじつけで貼り付けた感が否めないなー…と
でも見方を変えればめちゃくちゃ考えられたラストシーンだな!
あってもなくても楽しめたな!
すごく面白い映画だったー!
またいつか見ます