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効率厨・アーキテクチャ・日本人
隠れ情弱なボクがこのワードを知ったのは、先日のNHK-BSの「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」のゲーム篇。でもおかげで最近のモヤモヤを言い当てる便利な「取っ手」を得た。
DXとかデジマを巡るコロナ以降の空気についての個人的所感。
デジマって、客を集め売り上げを上げ、勝ち続けるためのゲーム。
⇨効率厨がはびこる
そのお膳立てとしてDXによるツール導入がある。
⇨アーキテクチャによる支配構造
これは人手不足と効率化へのソリューションとして抗えない「正解」。
⇨米国文化の勝利
そんなわけで、DXコンサルタントが大量発生して、デジマ要員が引っ張りだこになってる。というか、それ一色。
ダッシュボードとかでビジネスや顧客が可視化できると、高次元の戦略的な判断に集中できるって言うけど、戦略的判断を担う上層部がデータリテラシー低いから、結局DXはオペレーションの効率化に価値を見出すことで話がまとまってしまう、だから導入とオペレーションという手段に終始する。
これが概観。
で、モヤモヤは何かっていうと、
自分で考える楽しさってどっかにいっちゃった?ってこと。
ツール合わせの人間仕様が問われる世界じゃん。
米国文化からの産物?
さて、そんなツールって、大抵は米国で生まれて日本にやってくる。
(SAPはドイツか)
理系のCS(コンピュータサイエンス)、DS(データサイエンス)と、
文系?のビジネスに対するリテラシーをしっかり結合させて、
実ビジネスを写し取り、さらに回路として洗練させたソフトウェアをデザインして世に出す。
「市場を席巻するぞ!」という気概(アニマルスピリット)がすごいし、思想の広め方にも精通してるから、実際に世界を席巻していく。
高度なことが誰でもできる、という知と技術の民主化っていうイデオロギーも、なんか抗しがたい。
アーキテクチャ
こうしたツールのアーキテクチャって、この行動をとってこの成果を上げることがゲーム(ビジネス)を前に進める道筋っていうことを規定するので、ユーザーが自覚するまでもなくアーキテクチャ自体がユーザー行動を完全に制御してしまう。ユーザーは達成感に向けて夢中になる。そこには別の解釈も余白もない、洗練されたソフトウェアというワールドデザインだ。
日本はゲームにおけるワールドデザインでは世界に冠たる作品を生み出してきた歴史はあるが、ビジネスのような生々しいオトナの世界では難しいのか。
ただ、持ち前のゲーマー資質がこうした米国発のビジネスツールの使いこなしにハマると、やたら使いこなしや攻略法をロジカルに詰めて達人化していく。こういう人がいま人気。
効率厨
効率厨って、とにかく最短で最大の成果に辿り着くことに執心する、ある意味で賢いプレイヤーのことだと理解するが、一方でウザさもあるってわけだよね、周囲との軋轢というか。あ、今の世界観で言うと、使いこなせないひとのほうがウザいってことになるんだろうけど。
ツールを使いこなしてビジネスの成果をあげることに覚醒したプレイヤーは、会社にそのすばらしさと、誰でもその世界に来れるということを訴えようとするけど、なかなかわかってもらえない、わかっても動いてもらえないっていう場面は、日本だと多いみたい。ツールのアーキテクチャにハマり結果を得たら、その世界観に傾倒するのは自然だと思うし、そこにはビジネス的な「善」しかない。エバンジェリスト、伝道師になるよね。
頑張っている方、いますよね。
日本人
一方でヘンな国、日本ではこのアーキテクチャに対する不思議なチートが起こるらしい。
たとえばセールスフォースのようなツールで顧客アプローチのステータスを数段階のレベルで登録する。初期の接触でヒアリングレベルだとか、もう契約承認の最中だとか。
で、普通は実態を反映したステータスで登録するから、この先の売り上げ予測やリソースの適正化などの判断に役立つわけだが、日本人のメンタリティはここでオカシなことをやる。
相当手応えがあって、契約まで行けそうっていう状態なのに、まだまだ分かりませんよ、そんなに期待しないでくださいって感じで、低いレベルで登録する傾向があるんだって。
だから、まだまだ分かりません、が、いきなり、はい契約決まりました!みたいなジャンプをする。これではアーキテクチャがぐちゃぐちゃだ(笑
なんかわかるけどね、そのサラリーマン美学、原点は植木等か?
知らんけど。まあ確実にそういう部族は駆逐されるけど。
米国の会社員のほうが、ジョブディスクリプションに対して忠実に働くという面があるんでしょうね。だからよりツールが成果を上げやすい。
結局は、四の五の言わず上位下達、軍隊式に定められたミッションとタスクを忠実に履行する集団は、多くの場面で大きな成果を得る。
ティール組織、レッド組織なんて言われたけど、日本でも業界No.1企業に軍隊的な統率力を見ることは多い。
DX、デジマを徹底して導入運用すれば勝ち組になれる、というのは全然ウソではない。
ゲームやるひと、させるひと
でも、なんか仕事ってゲームだっけ?結局ゲームか。
稼ぐってゲーム?やっぱゲームか。
喜ばれるってのもゲームか?それもゲームか。
世界中の全員がゲーマー、だしな。
モヤモヤ。
だったらゲームをデザインする方がいい、
アーキテクチャをデザインしたい。
しかし、アーキテクチャにおけるハイパフォーマーが
アーキテクチャつくれるのか?
そこがどうも違う気がして一層モヤモヤする。
日本人って世の中に実装されるソフトウェアを次々につくれたりしないの、これからも?
企業再生の冨田さんも、いまのコンサルはテンプレート業になっちゃったから、それ10年もやっちゃうと使いモンにならない、と言ってる。
要するに経営を左右する判断能力を訓練されないから、ビジネスマンとしての深度が養われないってこと。結局、効率厨はアーキテクチャの配下にあるわけで、アーキテクチャ作れないってことなんだと思う。
オペレーターに経営はできない。
そしてだ、そうこうしてる間にAIエージェントがそういうことを丸ごと飲み込んでしまうっていう未来が近づいているようで。
ホワイトカラーの消滅ってやつね。
そうすると、もう人間がやることってアーキテクチャを常に上位互換、あるいは創発していく、そんなメタ認知能力、ワールドデザインにしか残ってないんじゃないか?
知や技術を「だれでも簡単に」使えるようにする民主化が、一般社会の探求心を後退させてない?と思う。立ち止まって考えたり疑ったりすることに、何のインセンティブもない世界。むしろ忌避される。
ただ、ごく一部のコミュニティの人だけが全力で世界を獲りにいってる。
ごく少数のアーキテクチャつくる側と他全てのユーザー側の分断が深くなって、一部のワールドデザイナーだけが世界をコントロールするような構造。富はすでにそうなってるけど、知の世界も占有度が高まってるってことない?
日本の知的エリートの歩む道を考えると、塾行っていい学校はいって、文系理系に分けて、だいたい同じメンツが、だいたい同じ会社や役所に入って、でもそこは大抵は先達が築き上げた利権の基盤がある組織で、破壊的なイノベーションは要請されないわけで。あと、理系と文系が分かれてきたから、両者の交わり方がうまくできないから、宝の持ち腐れっていう状態に対して不感症になってるというか。
で、どうすりゃいいのさ?
教育環境を変えるだな。それはまた別の機会に考察。