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うっかり自分の心まで回収に出さないように




私のように、

頭のなかが散らかりやすい人間は、

目に見える部屋も

散らかっているのかもしれない。

私の周りは、わりと散らかっている。


家の中を片付けたいと志して、

もう何年も経っている。


散らかっているのが

決して心地よいわけではない。


私が、

神社やお寺が好きな理由は、

場が整っているからだ。

本当は、自分の家も、

あんな空間にしたい。


人間の欲望とか煩悩とか

削ぎ落とそうとしてる神社やお寺みたいな空間を、


藁半紙の学校便りの裏紙にかいた

子どものイラストも宝に見えてしまって

捨てられない私が

家の中で作れるものだろうか。


お菓子作りや手芸とは違って、

家の中スッキリ計画の

希望と努力は捨ててない。



私の場合は、片付けが中途半端なうちに、

やりたいことが次々と出てくる。

一つの出来事で頭に浮かぶ、

いわゆるハッシュタグが多すぎるのだ。

#片付け #夕飯#お迎え#おやつの支度#庭に鳥がきた#トイレに行きたい#買い物#畑#作付け計画#何するんだっけ

みたいな。


それは、

やりたいことや、大事なものが、

私という1人の人間としてやるには

多すぎるということなのかもしれない。

もう2人くらいスペアでほしい。

パーマン(藤子不二雄のアニメ)の 

コピーロボット(鼻のボタン押すと自分のコピーができるロボット)を本気で渇望した日が

この10年で何度あったことか。



どれも、あきらめたくない。

どれも、やってみたい。

経験してから、死にたい。


ならば、ひとつひとつ、

現実的に事を為すのみだ。

手を動かし、足を使い、ぎこちないが頭も使う。


まずはひとつひとつ、

自分の世界になくてもいいものを、

視界から消して、

聴きたい音を響かせる。


自分の身体を使って出来る範囲から、

自分の見たい世界をつくる。


生命は即ち時間だと、

誰かが言った。


自分の時間を、

何に使うか、

自分の生命を

何に使うか。


生命があるのは、

当たり前じゃない。

身体が動くのは、

当たり前じゃない。



生命があるうちに、

身体が動くうちに、

この世で為すことは、


自分で、決める。

それは、

実は、とても怖い。

何が起きても、誰のせいにもできない。

言葉はとてもシンプルなのに。


私は、

美しいものを

見るために、

生きてる。

美しいものは、自分で探しにいく。


私は、

美しい音を聴くために

生きている。

だから、美しい音を探しにいく。


私は、

幸せになる言葉を

交換するために

生きている。


だから、

自分がどんな言葉のやりとりで

幸せになるか、

自分の心にきく。


自分の心にきくのが、

実は結構難しい。


家庭や学校や大きな社会で

聞こえて来るメッセージ。

大人の言うことをききなさい、

専門家の言うことをききなさい。


それは決して間違ってはいない。

それも愛ゆえなのがわかるのは、

メッセージを伝える親という立場になった

今だからわかるし。


でも、自分が大人や親になった今、


対して自分の心にきくって言うのは、

言葉でも、ビジュアルでも、

リアルでも、メディアを通してでも、

あまり強いメッセージとして

周りから与えられてこなかったな、

と思う。


自分の心にきくやり方も知らなかった。

今は、手探りで見つけている最中。


いい悪いではなく、

今まではそういう時代だったんだと、

解釈してるし、愛は充分受け取っている。

感謝。本当に。


今の私は、

自分の心の声に

素直でいたいと思う。

はたからみたら間違いも多々おこすだろうが、

もう既に40年も

色々

間違えながら迷惑かけながら、

不様に生きてるから、

今更だわ。


間違えないように、嫌われないようにしても、

間違えるし、必ず好かれるわけでない。


そんなら違う努力をしたい。


誰がなんと言おうと自分を貫く!なんて、

かっこよくキメたいけど、

現実に怖気付くことのなんと多いことか。

ブレブレの、

使い終わった巻終わり待ちの

メトロノームなみに、

日々揺れている。(揺れすぎだし)


それでも、

一番大事なものを

うっかり不用品と一緒に手放さない努力はしたい。


世界でたった1人の自分を好きでいる心。


もう日差しが暖かくなったから、

色んな虫たちが目覚める前に、

もう私の世界になくても大丈夫なものと

さよならする。


ありがとう。

今までの私を生かしてくれて。

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