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私も既に先祖・先祖をたどる旅~葛藤を終わらせるために③



私自身ももう次世代を産んでいる。無罪ではない。
上の世代から回されたツケを清算しないまま子どもを産んで、もう14年も母親をやっている。

そうなってみると上の世代が故意でツケを回そうとして回したんじゃないことも理解できる。悪気がないから余計に始末が難しいというか。

そして私はもう、ただの次世代でも被害者でもない。

親という先祖になっちまったのだ。

願わくば、葛藤は子孫につながない。

私が親のそばで子育てをしなかったのは、
祖母と母のように心が通わずに怒鳴りあう悲しい姿を、
決して繰り返すまい、という強い恐れからだった。

今になって振り返れば、
母と私との組み合わせは決して同じものにはならなかったとは思うが、
そんな冷静な判断もできないくらい、
私は幼い自分の見ていた光景の記憶に心を脅かされていた。

祖母を葛藤なく愛せる孫というものに憧れて、
そのために実家との距離を選んだ。

私のこの葛藤は、誰にも話せなかった。話す機会もなかったし、聞かれなかったし、そしてそんなにおかしいこととも思っていなかった。

ただ、高知に来て、実家と距離が離れすぎた。
そして実家を当たり前に頼りに仕事して子育てしてる人たちを目にして、「ここまでして離れないといけなかったんだっけ?」とふと我にかえったことで、自分の選択したことを振り返れるようになったのだった。


さて、南部の土地をフィットで走り出した私のそばには、
パートナーである夫もいない。
私を産み育てた親もいなければ、私が産み育てた子どももいない。

私は妻でもなく、娘でもなく、母でもない。

ただの私として先祖の土地をめぐる。

誰にも分かち合えないさみしさもあるが、誰にも気兼ねなく動ける自由もある。

車がないと不便な場所をゆくには、免許と運転の経験が大いに助かる。

私は人生で何度目かの「27歳で夜間の教習所に通って目的もないのになんとなく免許をとった自分への感謝」と「運転せざるをえない状況を乗り越えてきた自分」を、一人、広い南部の土地を走る車中でかみしめた。

まず走らせたのは母のいとこの家である。

何度か年賀状を書いているので、大体の住所もわかる。

アポはないが、いちかばちかで会いに行った。
というのも、私の母は居ても居なくても大丈夫なアポなし訪問が大得意である。
多分、そういう文化で育ってるんだろうから、
先方がおうちに居さえすれば、
野菜わけにきた近所の人くらいの感覚で受け入れてもらえるんじゃないか、と踏んだ。

高知のお土産はいくつか買い込んでいる。

いてもいなくても、置いてくればいい。

という、なんともラフな、突撃親戚訪問、となった。



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