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発達障害をカミングアウトしてほしい?

発達障害をカミングアウトしてほしい?

とある放送で とある方(個人的には大好きな方である)から
こう話があった
「発達障害のことを 周囲にカミングアウトしてくれたらいいのに」

「発達障害とカミングアウトしてくれれば その子の特性のある行動も
クラスメイトへ説明が付くし 理解してくれるのではないか」
という主旨だったように思う

わが家の長男は「発達性協調運動障害」と「ADHD」と診断をされている
普通級に在籍している立場であり
クラスの中には こう思われる親御さんもいる
という現実を 突きつけられたような気がして
放送を聞いてから数日 考え込んでしまったでのある

ママ友の娘さんの話

親友の娘さんのクラスにも
おそらく発達障害と思われる子がいるとのことだった
根が真面目な息子さんは その子について
「なんであの子だけ 決まりが守れないんだろう・・・」
「授業中に 急に騒いだりするんだよ・・・集中できないよ」
と愚痴をこぼすことも しばしばらしい

ママ友も定型発達の息子さんに
クラスメイトの特性について
息子さんが理解できるように 説明してあげることが難しいと話していた

当事者の親でさえ わが子の障害を理解して
わが子に合った 接し方をすることを難しいと感じるのに
障害名を ひとつポンと 伝えるだけで
クラスメイトや親御さんに 理解してもらえるかどうかということは
なかなか難しい問題だ

まずはこんな伝え方

ひとまず 障害名をカミングアウトする という点は置いておいて

あなたは虫が苦手よね 虫を見たらパニックになるでしょ
それと同じように 〇〇君は大きな音が苦手 なんだって
だから 騒がしい場所ではイヤーマフをつけているんだって」とか

「〇〇ちゃん 話すのが得意ではないから 言葉にならない時に
泣いたり 怒ることで 自分の気持ちを 周りに伝えようと
しているのかもしれないね
あなたももしかしたら 知らない国で 知らない言語で話す人ばかり
だったら とても孤独だと感じ
伝わらないかもしれない言葉で 泣き叫ぶかもしれないね
〇〇ちゃんも同じ気持ちかもよ?」
とか

そんな言葉でだったら 少しは伝わるのかなと思う
むしろ 障害名だけでは その人を知ることにはならなくて
内容が伴って はじめてその人を知るという ことになる

保育園や 学校でも 普段から 障害だけでなく
「みんなの違い」を 学べる機会があったら いいのにな

マタニティマークに例えてみる

マタニティマークをつけるもつけないも自由だ
マタニティマークを付けたことのある人は
席を譲ってもらったり 道を開けてくれたり 荷物を持ってくれたり
そんな親切にされた経験がある一方で

マタニティ マークをつけていることで
心無いふるまいをされた方も 少なからずいるのではないか
「妊婦だからって偉そうに 優先席の前に堂々と立ちやがって」と
言われたり 「病気じゃないんだから」と言われたり

たとえ 本人が周囲に知らせるサインを出していても
それを受け取る側の 意識は様々なわけだ

誰もが凸凹をカミングアウト?

「〇〇さんのお家には お父さんはいる?」
「〇〇さんは もしかしてLGBTQ?」


クラスメイトに・・・ もしくは職場の同僚に・・・
簡単に このような質問ができるだろうか
聞かれた方は「それを知ってどうするの?」である

障害だと知っていたら 配慮できたのに?

いやいやそうじゃなくて・・・
障害だと知っていたら それなりの配慮ができたのに!

そう思って下さる方も いるかもしれない
もしくは
「お父さんがいないと知っていたら 配慮できたのに」
「LGBTQだと知っていたら 配慮できたのに」とか?

「何か助けてあげられることはないか」 
「気持ちを理解をしたいな」という 
想いをもってくれることは とてもありがたいことだと思う

ただ 相手がどのように受け止めてくれるのかは 千差万別
こちら側も その人がそれを表明してくれないからには 見えないんだよね

だからこそ
受け止め方が 千差万別である社会 に対して  
「障害」もしくは 
生きづらさ と思われる何かを持つ 一方だけが
「私にはこんな障害がありまして・・・今後お見知りおきを!」と
とカミングアウトするという考え方については
はて!? と首をかしげてしまいたくなるのである

カミングアウトするしないの二択ではない

私は絶対にカミングアウトするとか
私は絶対にカミングアウトしないとか
そう言う二者択一ではなく

分かって欲しい時に 分かっていて欲しい誰かに伝われば
その人は それで十分ではないか
と思うだけである

この人には 知っておいて欲しい
この人なら 理解してくれるのでは?
この人なら 手を貸してくれるのでは?
理解して欲しい 相手やタイミングは 自分で決める
で良いんじゃないかなぁ

クラスメイトの手助け

かく言うわが家も
教室への行き渋りが続いている長男
普通級にはなかなか足を運べず
通級教室に入り浸っているのだが

クラスメイトが休み時間に
代わる代わる様子を見に行ってくれ
「次の音楽はリコーダーだよ。おいでよ!」
「給食は食べに来いよな!」とか
声を掛けに来てくれているらしい

大人があれこれ心配するより
子どもは長男君が困っている様子を見て
「俺、様子見てくるわ〜」
「〜んじや、俺も!」
てな感じで 自然と力を貸してくれていて
すごいなぁと感心するばかりである
なんだかさ 涙が出ちゃうね

みんなありがとうね

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