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人の意見に賛成できなくとも、尊重はする

 「私、あの子のこと嫌い。Maiちゃんもそう思わへん?」
 「え?そうかな?私はあの子のこと好きやけどな〜。」
 「…ふーん。」

翌日、その子は嫌いと言った子と仲良くしていた。昨日まで冗談を言い合っていた子たちまで、気まずそうに私を避けていく。

 はぁ…。今度は私がターゲットか。ついに、学校にまで居場所が無くなったな。めんどくせー。とりあえず、昼休みまで寝よっと。

あ〜。また私は、やってしまった。

今年作った読書アカウントで、仲良くなった人がいた。本の好みも似ていて、頻繁にコメントのやりとりもしていた。その人が好きな本を勧められて読んだのだけど、私の好みには合わなかった。「〇〇な部分は面白かった。でも〇〇な理由で、私は苦手だった。せっかく勧めてくれたのにごめんね。でも他の作品を読んでみる!」と伝える。

その時は相手も理解してくれたようなやりとりだった。でもそのやりとりの後すぐに、その人からのライクやコメントがなくなる。なぜか共通で仲良くしている人からも、絡みが無くなった。

あれ?何かがおかしいぞ?でも気のせいやんな?コメントをしにいってもそっけない返事。前は気心知れた感じだったのに、初めましてみたいな文章。

身に覚えのある学生時代を思い出して、ズキッと胸が痛む。でも自分が思ったことを素直に伝えた。本の感想に「正解」はないと思っている。相手がその本が好きなことは否定もしていない。自分の中で相手の意見に尊重を持って、苦手な部分を伝えた。なのに、こんなあからさまに避けられるのか。

みんなと同じものを好きになれない。私って、やっぱりおかしいんかな?困ったときの旦那相談室へ駆け込む。彼は料理をしながら、私の話に耳を傾ける。

「それは本末転倒やな。本だけに。そもそも”好き”ってのは、『みんなと同じものを好きになる』のではなく、好きな物が同じ人たちが集まるものやねん。好きな物が同じじゃなくても、好きへの”思い”が似ている人は仲良くなれる。人の意見に賛同できんでもな、リスペクトができるかどうか。オレがMaiに勧められた本を読んで、意見が違って嫌いになる?」

「ううん。そりゃ、好きな人と同じ熱量で『好き』と言えないのは寂しいけど、それがその人の意見なら、私は受け入れるし納得できるよ。誰かを意図的に傷つけたりする意見以外はね。」

「それが、人の意見に賛成できんくても、尊重(リスペクト)するってことやねん。どちらにせよ、『自分と同じものを好きじゃないあなたは嫌』って思う人と、Maiが望む意見交換はできひんのちゃうかな。」

そうかもしれん。必ずしも、自分と同じものを好きであってほしいとは思わないから、誰かと好き嫌いを話すのは楽しい。「好き」への純粋な想いから離れて、人よりどれだけ多く本を読んだか、どれだけ多くフォロワーさんがいるかで優劣をつけるものじゃない。

でも、何も言わずにバタンと心の扉を閉められたら混乱する。原因が分からないからこそ、モヤモヤが残る。いつまでもそれを引きずってしまう私に、旦那さんはニコリと笑って言う。

 「哲学者も言うてるけど、『愛せない時は通り過ぎよ』やで。」

心の扉を閉ざされて、一回は歩み寄ったけどアカンかった。それなら敵にも回さず、関わらず、歩幅が違うかったんやと思って離れるしかない。通り過ぎよう。

 私も相手もおかしくない。お互いの考え方が違うかっただけ。

自分のアカウントを見ると、私の好き嫌いを素直に伝えて、肯定する人や私の意見を尊重しながら、自分の思いを伝えてくれる人もいるやん。そういう人との意見交換を大事にしていきたい。思ったことはちゃんと伝えるし、好きじゃないことは好きじゃないって言う。

でもリスペクトを持って、人と接したい。自分の気持ちに胸をはっていたいし、自分の「好き」を忘れずにいたい。