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名前は宝物
今回も珈琲次郎さんの企画に参加。「パートナーの呼び方」をテーマに書いてみる。
珈琲次郎さんの奥様も一緒にテーマを考えているそうだけど、いつも目の付け所がいいなと思います。書くのも、他の方の記事を読むのも楽しいです。
私は旦那さんの名前に「さん」を付けて呼んでいる。彼はブッダのような人だ。穏やかで全てを包み込んでくれそうな寛大さがある。彼を尊敬しているから、自然と「さん」付けになった。カナダに住んでいると「さん」付けがない文化だから、彼を呼び捨てにする。これには今も慣れない。
彼は私を呼び捨てにする。2人きりでふざけてる時は、「まいころ」と呼ばれることもある。私が床に寝転んでいる姿を見て、子犬がコロコロしているように思ったらしい。
旦那さんと出会ってから、人の名前を呼ぶ・自分の名前を呼ばれるのは大事だなと思うようになった。「ひとりの人」として尊重し合うことだから。そして名前は、その人の生きてきた証でもあると思う。
私は親に名前を呼ばれた記憶がほとんどない。「おい」、「お前」、「しょーもない女」だった。
たかが名前くらいで…と思うかもしれないが、その影響は大きい。親にもらった名前を親に呼んでもらえないから、私はどうでもいい存在だと思うようになった。「私は」を主語にして、意見を主張できなくなった。自分がボロ雑巾みたいに扱われてもどうでも良かった。
旦那さんには毎日たくさん名前を呼んでもらえる。その口調からは愛情や信頼を感じるし、「私」を認識してくれているんだなと思う。
彼のおかげで、いつしか「私は」を主語に意見を言ったり、行動できたりしている。そして私自身を認識することで、自分の発言と行動に責任を持てるようになった。
夫婦間だけでなく友人、家族、SNSで交流する人、自分の周りで関わる人の名前をたくさん呼んでいこうと思う。
自分の名前も、誰かの名前も宝物だ。
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※もし話とテーマがズレてしまっていたらごめんなさい。呼び方から「名前」の大事さを考えていると、こういう意見になりました。
これまでの珈琲次郎さんの企画で書いた記事。