怪しいスピリチュアルより、勉強を頼れば良かった
分数の計算も危うい私は、夏休みドリルをゲットした。小学生の時、夏休みの宿題に出た5教科ドリルだ。
今までの算数ドリルも続かなかったから、買うのを渋った。
でも旦那さんの「興味を持ったなら、やってみても良いんちゃうかな。次は続くかもしれんよ」の言葉が後押しになった。
意外にも楽しさを感じ、3週間も続いている。
なぜ今、学び直しをしているのか。自分のために、小学生の算数くらいできた方がいいと思うから。分数や割引は日常生活で使う。それらができないせいで、気が付かないところで損したこともたくさんあると思う。
私は、親からは「女に学は必要ない」と言われ続けたこともあり、勉強せずに何も考えず過ごした。学校には、給食食べにと昼寝のために行っていたようなものだ。
勉強しないとどうなるか。
人に言われたことしかできない。自分より偉い人には逆らえない。自分の可能性が小さくなる。学があれば、もっと学校や仕事の選択肢が増えたかもしれないのに。自分を過小評価して「そんなもんか」と諦めているから搾取された。
一番良くないところは、不満を垂れるくせに、自分では状況を改善しようとしない(もしくはできない)ところだ。
そして私は怪しいスピリチュアルにもハマった。
頼れる人もおらず、毎日嫌なことばかりで、とにかく何も考えたくなかった。わかりやすく”導いてくれる”から楽。しんどいことから逃げれば”幸せ”がある。怪しいスピリチュアルはドラッグと同じ。抜け出すまで何年もかかるし、残るものは後悔だけだ。
これらの経験から、自分しか自分を幸せにしてあげられない。お金、美味しいもの、高価な物、あらゆる快楽は一時的な満足に過ぎない。すぐに足りなくなり、また欲しくなる。
一方で、勉強は持続的な幸せと達成感を与えてくれると思う。テストで100点取る、人に自慢できる資格があるのが私の幸せじゃない。
昨日できなかったことができるようになる。人の言葉を鵜呑みにせず、疑問を持ち、自分で考え行動することができる。昨日の自分より成長しているのを実感した時、次の学びへの意欲になる。
今の私にとっての学びは、得体のしれないものに頼るんじゃなくて、自分やその知識に頼って生きられるようにしたい。
とにかく今は、このドリルの完結を目指す。学んだことを活かせるような勉強をしていこう。そして、「学び方」を教えてくれる旦那さんには感謝しかない。