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怪しいスピリチュアルより、勉強を頼れば良かった

分数の計算も危うい私は、夏休みドリルをゲットした。小学生の時、夏休みの宿題に出た5教科ドリルだ。

カナダの夏休みは宿題がないから、自主的にドリルで勉強する子もいるらしい

今までの算数ドリルも続かなかったから、買うのを渋った。

でも旦那さんの「興味を持ったなら、やってみても良いんちゃうかな。次は続くかもしれんよ」の言葉が後押しになった。

意外にも楽しさを感じ、3週間も続いている。

夏休みの2ヶ月で終えるように組み立てられている。一週間の間に英語、算数、理科、社会、アート・クラフトがある。1教科3ページほど
イラストが多く、自分の身近にあるものを使った歴史や算数問題だから興味が湧く
ドリルが「2ヶ月」という期間のゴールがあるのも良い

なぜ今、学び直しをしているのか。自分のために、小学生の算数くらいできた方がいいと思うから。分数や割引は日常生活で使う。それらができないせいで、気が付かないところで損したこともたくさんあると思う。

私は、親からは「女に学は必要ない」と言われ続けたこともあり、勉強せずに何も考えず過ごした。学校には、給食食べにと昼寝のために行っていたようなものだ。

勉強しないとどうなるか。

人に言われたことしかできない。自分より偉い人には逆らえない。自分の可能性が小さくなる。学があれば、もっと学校や仕事の選択肢が増えたかもしれないのに。自分を過小評価して「そんなもんか」と諦めているから搾取された。

一番良くないところは、不満を垂れるくせに、自分では状況を改善しようとしない(もしくはできない)ところだ。

そして私は怪しいスピリチュアルにもハマった。

頼れる人もおらず、毎日嫌なことばかりで、とにかく何も考えたくなかった。わかりやすく”導いてくれる”から楽。しんどいことから逃げれば”幸せ”がある。怪しいスピリチュアルはドラッグと同じ。抜け出すまで何年もかかるし、残るものは後悔だけだ。

これらの経験から、自分しか自分を幸せにしてあげられない。お金、美味しいもの、高価な物、あらゆる快楽は一時的な満足に過ぎない。すぐに足りなくなり、また欲しくなる。

一方で、勉強は持続的な幸せと達成感を与えてくれると思う。テストで100点取る、人に自慢できる資格があるのが私の幸せじゃない。

昨日できなかったことができるようになる。人の言葉を鵜呑みにせず、疑問を持ち、自分で考え行動することができる。昨日の自分より成長しているのを実感した時、次の学びへの意欲になる。

今の私にとっての学びは、得体のしれないものに頼るんじゃなくて、自分やその知識に頼って生きられるようにしたい。

とにかく今は、このドリルの完結を目指す。学んだことを活かせるような勉強をしていこう。そして、「学び方」を教えてくれる旦那さんには感謝しかない。


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