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もういない3人の母親の存在
私には3人の母親がいたけど、みんないなくなっちゃった。私は母親に縁がないのかな。
実母とは私が3歳の頃に離れた。思い出が少ないまま、あっけなく逝ってしまった。最期を看取ることができず、病気で寂しく弱る彼女を冷たく突き放したことはずっと心に引っかかっている。
継母は私を愛してなかった。私が4歳の頃から一緒だった。彼女に衣食を与えてもらえなかったわけではない。妹と弟が生まれてから、連れ子と実子の「差」が目立った。継母たちと父親から逃れた時、「あんたの帰ってくる家なんかないで」と突き放された。
義母は本当の母親のように思っている。厄介な家庭で育った女が、大事な息子の嫁になるのを嫌がる人もいるはず。なのに彼女は、「もううちの子になったらええねん」と笑って言ってくれた。やっと母親から大事にされる感覚が分かったのに、彼女も逝ってしまった。
お母さんとの思い出。編集はせず当時のまま残しておくことにした。ミスドを家族4人で食べることはもうないけど、思い出はずっと大事にしていこう。
私は母親になりたいとは思えない。「今は」なのか「これからも」なのかすら分からない。
そういう意味でも、母親に縁がないのかもしれない。
モヤモヤした中で、今は誰かの妊娠や出産報告が辛い。
勘違いしないでほしい。命の誕生は喜ばしいことだ。生まれた子供、その家族が幸せなのも嬉しい。それは間違いない。
単に私は羨ましいだけなんだ。母親が健在な人、母親と良好な関係を築けている人たちが、母親のサポートや愛情に支えられてる。自分にないものだから眩しくて、いいなと思う。
羨ましいとか、出産報告が辛いとか言えば、周りに否定されるのかもしれん。そう思うこと自体が「悪」とされるかもしれん。
結婚、家族、妊娠や出産のことは、色んな考え方があって、それぞれに大事にしている想いがあるからこそ意見がぶつかりやすいんだろうな。
でも自分までネガティブな想いを否定したら、誰かの幸せを喜べなくなるし、誰かの死を受け入れることだってできなくなる。
嬉しいことを文字にしておきたいのと同じで、辛いことだって文字にすることで自分の心が楽になることもある。
私が誕生した日だから、母親のことも考えてしまう。「もういない」と痛感した。
「母親」の存在は、子供にとって大きい。母親との思い出が良いものであれば心の支えになるし、苦いものであれば一生引きずってしまう。
「少なくとも2人のお母さんは、Maiに笑っててほしいんちゃうかな。」
泣いている私にそう声をかけてくれた旦那さん。2人のお母さんと旦那さんに感謝しながら、今日は美味しいものを食べよう。