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「英語力がなくても何とかなる」の誤解
留学した人の中には、『英語力がなくても何とかなる』と言う。それは、限られた期間の留学やワーホリだから言えるのかも。
私も留学して間もない頃は、日本人の多い街にいた。値段は高いけど日本の食品や生活用品は、気軽に手に入った。日本食レストランが多く、ダウンタウンでは母語が毎日聞こえた。シェアハウスも日本人ばかりだった。
知り合いは日本語のみで仕事をしていた。その頃の私たちは、「英語できなくても何とかなるね」と話していたし、何も困らなかった。
今思うと、「何とかなった」んじゃない。優しい人たちが「何とかしてくれた」。
日本人が多い街といえど、病院、買い物、銀行、家の契約などは英語だ。私に代わって旦那さんが色々手続きをしてくれた。私のジェスチャーで、意図を汲み取って助けてくれた人もいた。
それらの経験を忘れて、「英語力がなくても何とかなる」と言うのは軽率だ。
私は永住権を取った。これも旦那さんのおかげ。彼は日本語と同じように、英語が話せる。手に職もあり、カナダの大学も出た。彼は英語での新たな仕事や可能性に繋がっている。自分の意志を淀みなく相手に伝え、理解してもらうには、やっぱり言葉が必要だと感じる。
もちろん、言葉が「すべて」とは思わない。態度と表情で示して、言葉以上に伝わる経験もたくさんある。
私は旦那さんとカナダでずっと、暮らしていくつもりだ。せめて、日本語でできることを、英語でもできるようになりたい。言葉で困らなければ、人とのコミュニケーションがより楽しくなるだろう。挑戦したいことにも躊躇が減るかもしれない。
そして長く住むなら言語の前に、カナダの「当たり前」を知ることが大事。歴史、文化、人種や背景を知る必要がある。いくら言語が堪能でも、それらを学ばないと馴染めない。それが、別の国で生きること。日本の常識で、日本とカナダを比べていては生活が不満だらけになる。
本当の意味で『何とかなる』とは、誰かの親切に甘えるだけではなく、自分自身で環境に馴染もうとする努力だ。