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NETFLIX『百年の孤独』ゆる過ぎる演出に驚いた。

良くない意味で美しさが持つ危うさが先行している。

確かに、映像は美しく、豪華で、荘厳で、細部まで手が込んでいる。

ホセ、ホセジュニア、そのまたジュニア、
その他膨大な数の登場人物が、
顔が姿がはっきりするので、

その点では原作よりも混乱は避けられる。

しかし、その美しさ、イメージしやすさが、
時に過剰に感じられ、
かえって物語の本質を隠してしまっている気もする。

演出、カット割り、
カメラワークもゆるすぎる。

「百年の孤独」の世界は確かに壮大で幻想的だ。

しかし、そこに立ち現れるのは、安い言い方をすると、
どす黒くギラギラしたカオスの美しさであるべきではなかったか?

このドラマがその真髄に迫ることができたかどうかは疑問だ。

原作の持つ荒々しさ、混沌としたエネルギー、
そして何よりも登場人物たちの苦悩が、
どこか遠くに追いやられてしまっている。

映像の美しさは、むしろその苦しみや闇を隠し、
視覚的には心地よいけれど、
物語の本当の力が希薄になってしまった感が否めない。

南米文学の象徴とも言えるマジックリアリズム。

あの独特の奇妙さと現実と幻想が交錯する世界観を、
映像としてどう表現するかは確かに難しい。

しかし、

混沌を混沌のまま表現したかつての映画監督たち、

パゾリーニやクストリッツァ(少し違うがこの人たちならできそうな気がする)が示したように、
このジャンルを本当に理解し、
具現化できるチームはそう多くはない。

彼らが描いた、暗い中にも希望を感じさせるカオスの中にこそ、
真のマジックリアリズムがあるのではないだろうか。

もし「百年の孤独」を映画化するなら、

もっと無骨で、時に醜悪な映像でその深い闇を表現してほしい。

形式、スタイルは違うが、

サグラダファミリアのように、

何世代にもわたって造り続けることができるような、
壮大な構想を持った作品群にしてほしいとも思う。

寺山修司がすでにその本質を掘り下げたように、

中国のサム・クワー、
ドイツのトム・ティクバ、
ポーランド、ミハウ・ガズダ
韓国なら数人いる。

こういう監督たちが、
俺ならこう撮る!
というような多くのパターンの、
原作に縛られない、
映画版ドラマ版百年の孤独を観たい。

もっと暴力的で過激な表現があってもいいのではないか。
美しさだけでは、この物語の持つ深い力は決して伝わらない。

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