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冒険中に毎日同じものを食べ続ける理由

冒険中の食事事情

私は北極を歩く間、毎日同じものを食べ続ける。

朝、日中の行動食、夜、と基本的に3食である。正確には2食プラス行動食で、日中は12時間ほどソリを引いて歩く間、休憩のたびにこまめに栄養補給をしている。

その3食の内容は異なるが、朝、行動食、夜にそれぞれ食べるものは、毎日同じであり味もほとんど変えない。それを2ヶ月ほど続ける。

行動食で私が食べる「北極特製チョコレート」はこんな感じ↓↓↓

味覚とは何か?

味覚は、完全に環境に影響される。

美味しいもの、美味しくないものというのは、その物自体が美味しいか否かではなく、それを食べる自分の状況によって大きく左右されるということだ。

100年ほど前、南極大陸横断を目指しながら遭難し、全員が奇跡的に生還したアーネスト・シャクルトンの探検記「エンデュアランス号漂流記」にはこんな記述がある。

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「人間という動物の味覚はなんでもおいしく食べられるようになっている、と私は考える。」

もう、これは完全に同意である。

私は極地を単独徒歩で旅する際には、毎日5000kcalを摂取する。しかし、それでも2ヶ月後には10〜15kgほど体重が落ちるのだ。毎日の消費カロリーは7000〜8000kcalに及ぶ。カロリー収支に大きな差があるため「痩せる」わけである。つまり、食べている分では足りていない。冒険前には体重を増やし、体に備蓄燃料(脂肪)を蓄え、それを利用して収支の不足分を補う計算の元での食料計画であるが、やはり単純に腹は減るし、日々の消耗が激しいのだ。

そうなっていくと、何が「美味しい」と感じるかと言えば「カロリーの高い順」に美味しくなってくるのである。

口から摂取できる、最も高カロリーなものといえば「脂質」である。つまり脂だ。動物性、植物性、とあるが、ラードやバターなどが死ぬほど美味くなる。バターはブロックのまま齧り付くものだ。

毎日同じ物を食べる理由

では、なぜ毎日同じ物を食べるのか?

それは「味覚の変化が体の消耗によるものなのか、味付けによるものなのかを判断しやすくするため」

どういう事か説明する。

毎日5000kcalを摂取しながら消費が8000kcalだとしても、冒険の序盤はまだ体が元気なのだ。体には脂肪もたっぷり蓄えているし、疲労の蓄積もない。

すると、5000kcalを摂取するのも、日常生活から比べれば明らかに食べる量が多く、なかなか食べきれなかったりする。食べることも義務というか、作業的になる。必要に迫られて、今後のこともあるので一生懸命に食べる。味付けも、大して凝っていないので、美味いとはあまり感じない。

ところがだ、冒険の日々が進むに連れて、体は見る見る脂肪が落ち、あれだけ食べるのに苦労した5000kcalの量が「あれ?もう今日の分終わり?」と思うくらいにあっさりと食べきってしまう。

そして、ある日を境に、美味しくもなかった食事が「あれれ?なんだか異常に美味いぞ」と感じる瞬間が訪れるのだ。

その瞬間が「俺の体も消耗が極まってきたな」と客観的に判断するタイミングになるのだ。そして、これまでの経験から「今回のタイミングはいつもよりも早いな、遅いな」という判断ができる。引いているソリの重量、気温などの環境、行程の難易度、それらによって消耗が極まるタイミングは変わるのだが、そこで事前の想定と現実的な事実の誤差を調整することができる。

そこで大事になるのが、食べる物の味付けを変えないことだ。味付けが大きく変わってしまうと「美味しいな」と感じる要因が、自分の体の状況に依るものなのか、それとも味付けに依るものなのかの判断がつき難くなる(気がする)ためだ。

美味しいものをより美味しく食べるには

砂漠を放浪し、渇死寸前のところで飲む水は何よりも美味いことだろう。

私がこれまでの人生で、口にした物の中で「あれが最高に美味かった」という瞬間は、ずいぶん昔にグリーンランドを犬ぞり隊で2000km縦断した時のことだ。

2ヶ月ほどの旅の間、途中で一度だけ物資補給を受けたのだが、その時の物資の中にあった「缶ビール」を、1ヶ月の猛烈な死闘の末に飲んだ時のあの感動は、42年間の人生で未だにあれを超えてくるものはない。「昇天」ってこういうことかと、心底思ったものだ。

その時の詳しいことは、一冊目の拙書「北極男」の中にある↓↓↓

美味しいものをより美味しく食べるには、どの環境で食べるのが一番であるかをよく吟味することをお勧めする。

そうすると、なんてこともない食べ物が、人生最高の食事に大変身すると約束する。

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