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冒険クロストークvol.6 画家 諏訪敦「遠ざかる対象、動き続ける絵画」

昨年10月から、私の冒険研究所に各分野からゲストを招いての対談トークを行なっている。会場は少人数、オンライン配信主体だ。

後日の録画視聴も可能なので、当日の都合が悪くても後から見ることができます。

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いま私はかなりこのクロストークに力を入れて取り組んでいる。色々な分野も方と話すことで知る、広い世界に触れると、自分の世界が広がっていく感覚がある。見ている皆さんにも、私とゲストのやりとりから、そんな想いを持ってもらえたらと考えている。

これまでを振り返ると、第1回がフォトグラファーで登山家の小松由佳さん。日本人女性初となる、世界第2位の高峰K2(8611m)に登頂し、植村直己冒険賞も受賞した彼女が、やがて山頂から山麓に住む人々へ興味が移り、写真を通して人々と触れ合ううちに、内戦前のシリアと出会う。そこで出会ったシリア人男性と結婚、内戦勃発、難民となった夫との生活、凄い人生を濃厚に生きている。

第2回は、農学博士で渋沢栄一の曽孫である澁澤寿一さん。日本各地で森づくり、まちづくり、人づくりに尽力されている方だ。ハウステンボスの取締役を経て、自身のNPO法人を設立して高校生や大学生、若者たちと多く関わってこられた。里山資本主義を地域内経済循環という、ただのお金の動きだけではなく、人の心や思いやり、愛や赦しに至るまでの本当に深いお話をいただいた。とにかく感動した。

第3回は、写真家の竹沢うるまさん。世界103カ国を3年ほどかけて旅をした日々と、そこで見た世界の姿。南米で出会ったシャーマンと、幻想のコンドルに導かれて知った真相の自分自身の姿。東チベットで出会った深い祈りの中に生きる仏教徒たち。見えるものとは何か、大切なものとは何か、深く考えさせられる回だった。

第4回は、戦場ジャーナリストの桜木武史さん。インドとパキスタンが領有をめぐって争うカシミール地方での取材中、戦闘に巻き込まれて顎に被弾。下顎を吹き飛ばされ生死を彷徨う。その後、シリア内戦を中心に取材を行う中で、アサド政権に対抗する自由シリア軍(反政府軍)に従軍取材を行う。戦地で生きる人たちの、リアルな姿を伝えてくれた。

第5回は、日本マイクロソフトの初代社長で、米国本社の副社長も務められた古川享さん。高校生の頃、麻布高校で学園紛争を自ら駆動し、学園の自由を求めて闘った日々。大学で学業に挫折し、アメリカ渡航を経てコンピュータの世界に飛び込む。若き古川さんが、今から40年以上前に書いたビジョンステートメントは、今の時代を見通す凄い見識だったが、何よりも「コミュニケーションの主体は人間であることを忘れてはならない」という一言は痺れた。

などなど、毎回、1部2部それぞれ2時間、計4時間に及ぶお話をいただいているので、要約するもの表面的になってしまうが、本当に素晴らしいお話を聞くことができている。まぁ、私の人選の妙かな、エッヘン(自画自賛)

そして次回、3月14日は第6回として、武蔵野美術大学教授で画家の諏訪敦さんをゲストにお迎えする。

もう、諏訪さんがまた凄い。絶対に凄い。

話の中心になってくるのは、諏訪さんご自身の祖母を描いた絵にまつわる話になる。

これは、2016年にNHKのETV特集で番組になっている。オンデマンドなどでは見れないので、録画を持っている人か、近くのNHK放送局でのアーカイブを探すしかないかもしれない。

番組の概要は、こちらのブログが詳しい。
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諏訪さんの祖母は、満州で若くして亡くなった。第二次大戦の末期の混乱の中、諏訪さんの祖父母一家は満州に入植していた。ソ連の侵攻を受け、逃げ遅れた一家はハルビンの収容所での過酷な生活を強いられる。数年前に亡くなった諏訪さんの父がまだ幼かった頃の満州でのことを、亡くなる直前にポツリポツリと話し、書き記していた記録によって、諏訪さんは自身の祖母が満州で飢えと病により亡くなったことを知る。

そこから、諏訪さんは祖母の足跡を辿る旅に出る。一家がなぜ満州に入植したか?収容所での生活はどのようなものだったのか?当時の状況を知る人を訪ねるうちに、同じ収容所で過ごし、祖父母一家と幼かった父を知る人を見つける。

諏訪さんは、写実絵画を専門とする画家だ。超絶技巧とも評され、リアリティを極限までに追求する。そして、その絵画スタイルは「ドキュメンタリー」として絵を描いていくとも言われる。

一見すると徒労とも思えるほどの取材を行い、描く対象の生い立ちや骨格、人間性や価値観に至るまでを深く探っていく。

一枚の絵を描き上げるまでのその姿を見ていると、諏訪さんは自己と対象の関係性を一度解体し、世界を再構築しようとしているのだろうなと私は感じた。再構築した世界において、それでもまた現れてくる自己と対象の間に立ち現れてくる表現として、そこに絵画が生まれてくる、そんなイメージを持った。

深い取材は、解体と再構築をするための、対象との自己同一化の過程だ。表現を変えれば「喰う」のかもしれない。自己に取り込み、やがて自己と対象は溶け入ってしまう。

これは私の解釈なので、そんなことを諏訪さんにはお話を伺ってみたいと思っている。

最近は、コロナの影響もあって社会全体がリアルなイベントを控えていることもあり、オンラインイベントが飽和状態だ。

聞く側の方々も、飽和状態の中でもうたくさんだよ、という感想を持っている方もいると思う。

私の冒険クロストークは、4時間をあっという間に(と言うと言い過ぎかもしれないが)見れるくらいに、深い話をたっぷり聞くことができる場だと思っている。何より、私が楽しくて仕方ない。

まだ参加したことのない方は、是非一度ご参加を。

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