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巨椋池の蓮見船 その4

久御山町中央公民館に展示されている漁船と、宇治市歴史資料館収蔵の蓮見船の写真をもとに「巨椋池の蓮見船」をたどる試み。

宇治市歴史資料館の写真から新たに設計する

宇治市歴史資料館所蔵の写真を注意深く見てみる。

02加筆

赤い破線が船梁(ふなばり)。これらの船梁の間に乗れる人数を想像してみた。

黄色の破線が人。前にもう一人、後ろは一人か無理してさらにもう一人乗れそうである。
船の幅は、後ろの船梁上の船頭の足から推測すると、足の長さの4倍くらいはあるのではないか。

女性が正座した際の幅は40~45cmくらいだろう。
船頭の足の長さを、25cmくらいと想定する。

これから推測して、長さを変更する。尺スケールで切りのいい寸法に。

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この変更を設計図に反映したものが下の図。変更前のものと重ねている。薄い赤が「漁船」で、黒が写真から推測した「蓮見船」。

巨椋池の漁船

どうだろうか。私はこちらの方が伸びやかで好みだ。
もう一尺伸ばしてもいいかも知れないが、6m近くなって、取り回し悪くなるかも。

伝統的な日本の船を、勝手に設計変更していいのかと思われる人もいるかも知れないが、これは全然構いません。基本的な設計に沿って、注文主の要望で船を長くしたり広くしたりすることは普通に行われていた。
木の船は手で作るもので、オーダーメイドなのだ。

もちろん、寸法が割りと厳格に規定されていた船はあった。これは幕府によって統制された荷船で、淀川水系では茶船などがそうだった。しかしこれとてオーナーは少しでもたくさんの荷を運びたいので、船は少しづつ大きくなったとのことだ。過積の禁止や船の間尺を延ばすことを禁じる触書が出された記録も残っている。
詳しくは川名登著、近世河川水運史 近世日本の川船研究を読んで見てください。水運が政治によって統制されるものであったことが良くわかります。
船は軍事力でもあるので、いろいろ制度上の規制は受けていた。
しかし、この船はそんな規制とは無縁だったんだろう。

それはともかく、、

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この三枚の写真を見比べても、一番上は幅も広いように見えるし、一番下は窮屈そうで、これは久御山中央公民館の船と同じくらいではないか。

今回作成した設計図は二枚目の写真を参照した。最後に、今回の図面の喫水を計算してみる。
Jw-cadで測定したところ、この船の底面積はほぼ3㎡だった。参照した写真では6人が乗船。喫水は、、相当浅い。10cmくらい?

今回設計の船で、湾曲した船底の最も低いところからの喫水10cmだと排水量が180kgだ。
15cmだと排水量が300kgほど。
黄色の点線で300kg積載。6人とも今の人から比べたら小柄そうだし、
6人×50kg=300kg。いいところじゃないかな。

スクリーンショット 2020-09-10 18.43.08


巨椋池の蓮見船、多分いろいろな大きさの漁船がもともとあって、漁師達が副業で蓮見船の船頭になりお客さんを乗せて船を出していたんだろう。

ということで、今回図面を引いたような船もあったはずです。
薄くて、伸びやかで、太古の船の面影も残す巨椋池の船。ベトナムあたりの船のようでもある。平らな広い水面で遊ぶ姿は麗しく、そんな光景にいかにも似合う。

実際に作って、浮かべて見たい船だ。

欲しい人いませんか?
注文は大歓迎。オープンな作業場で、造船の歴史や道具、巨椋池にまつわることを聞いたり話したりして公開制作できたら楽しいと思います。
材料等の提供も大歓迎です。

興味ある方はこちらからお問い合わせ下さい。
https://ogawa-tomohiko.com/contact.html


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この記事は
*新型コロナウイルス感染症の影響に伴う京都市文化芸術活動緊急奨励金
を受けた調査報告の一環として執筆しています。




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