書籍【20歳の自分に教えたい資本論】読了
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◎タイトル:20歳の自分に教えたい資本論
◎著者: 的場昭弘
◎出版社:SB新書
資本主義が今後どうなるのか。現時点で、資本主義に置き換えられる〇〇主義を、我々は見つけられていない。
それでは資本主義がこのまま永遠に続くのだろうか?
現実的には、様々な点で限界点を迎えているのも確かだと思う。
そう考えると、本当に未来はどうなっていくのだろうか。
本書内に「ロシア・ウクライナ戦争」についての解説部分があったが、日本で見るニュースでは、本書に記載されているような切り口で解説をしてくれたものはなかったと思う。
我々はどれだけ西側の考え方に毒されているのだろうか。
あたかも西側諸国が正義のようになっているが、ウクライナ地域を歴史で見てみると、本当に難しい土地柄であることが分かる。
しかし、こういう揉めている地域の方が普通であって、むしろ日本が世界から見て相当に珍しい国であることは間違いない。
領土と国民(日本人)とがほとんど一致していて、それが歴史の中でずっと変わらずに今に至っている。
そもそも民族が入り乱れている訳でもないし、文化が違うとか、民族同士が争って元々の民族が土地を追われたとか、そういうこともない。
もしかすると細かい部分はあるかもしれない。
本当は江戸と大坂だって別民族と言えたのかもしれない。
逆に朝鮮半島は、同じ民族にも関わらず北と南に分断されてしまった。
日本は幸いなことに、今でも国土の分断がほとんどなく、民族の違いもほとんどない。
(重ねて記載するが、厳密は様々あるとは思う)
多くの日本人が生まれた時から日本国であり、日本人であるのだから、他国の事情を深くまで理解することは難しいかもしれない。
そんな状況もありながら、世界の中で日本がそれなりのポジションを維持して生きていくことを模索する必要がある。
深く理解しづらいとしても、他国の事情について知識として認識することは必要だ。
その上でどう振舞えばよいかという、したたかさが必要なのではないだろうか。
世界は残酷だ。
綺麗事だけで生きていけないのが現実なのだ。
我々日本人も、各民族の間を上手に渡り歩かなくてはいけない。
特に経済は、いまだにキリスト教的価値観が世界の主流となっている。
これが今度どういうバランスで進んでいくのだろうか。
資本主義は限界に来ているはずなのに、資本は人間の欲求のままに今でも拡大を続けている。
すでに、国境を超えて世界を覆い尽くしているはずなのにだ。
超先進国は、販売する商品を製造するために、今までは原材料費の提供国家を、敢えて発展途上国のまま据え置き、安価な資源をむしり取るだけむしり取っていた。
しかしいよいよ超先進国も自国内だけでは販売先が足りない。
もちろん、それでも資本の拡大欲求は止まらない。
だからこそ、今度は手のひらを返したように、発展途上国を資本主義化させ先進国にすることで、自国商品の販売先を作り上げ、拡大していった。
本書では、これがグローバリズムの実体だと説く。
それでは、すでに販売先が世界を覆いつくした先、資本拡大欲求は次にどこを目指すのだろうか?
こういう風に物事を見るだけでも、今まで我々が常識と思っていた景色とは相当に違って見えてくる。
人権について声高なヨーロッパ諸国でも、過去にはアフリカを植民地化していた。
そして本書内でも出てくるが、いまだにアフリカでは鉄道すら引かれていない。
水道だって電気だって、引かれていない地域がほとんどなのだ。
これでどうやって経済発展すればよいというのだ。
我々はもっともっと物事の見方を変えていかなくてはいけない。
横から真上から斜めから見てみる。
視野を広げる。視座を高める。
もしくは非常に細かい点まで注意して見てみる。
それらを検討した上で、きちんと自分の考えとして答えを選択するべきだ。
今は情報が多すぎて、検索をすればすぐに答えらしいことが出てきてしまう。
しかしそれは本当に正しい答えなのだろうか?
特に、それは本当にあなたにとって最良の答えなのだろうか?
結婚相手すらアルゴリズムでマッチングしてくれる時代だ。
AIの判断が絶対に正しいならば、マッチングした1人目がアルゴリズム上で正解のはずなのだ。
それなのに「いい人だけど、何か違う」と言って、次々に出会いを求めてしまうのは、人間のどういう心理から来るものなのか?
つまり我々の世界は、コンピューターやAIでは結局答えが出せない世界なのではないだろうか?
「そんなことは当たり前だ」と思うかもしれないが、普段の生活の中で、コンピューターの判断に一切委ねずに、自分の意識の力だけで本当に判断をしているのだろうか?
やはり「前提を疑ってみる」ということは、ものすごく大事なことではないかと思う。
我々が見ている世界は実はほんの一部であって、本当は違うカタチが存在しているのではないだろうか。
やはり、広く知識を集め、深く思考することは、ものすごく意味のあることなのだ。
例として本書内でも出てきているが、戦争が儲かるという話だ。
頭では理解していたが、「ここまで資本主義の中に組み込まれていたのか」と奥深く感じてしまった。
今までの私の薄っぺらい認識が露呈した訳であるが、こう考えると戦争とは何が原因で起きるのか分からなくなってくる。
国家同士が憎しみ合って戦争に発展することは、現実的にあり得ないだろう。
戦争の真実は「誰かの利権」という極々限られた小さな所から端を発していることがほとんどなのではないだろうか。
普通に考えれば、一度でも戦争が始まれば、弾薬だって兵器だって必要になる訳だから、軍需産業が儲かるのは分かる。
もちろん兵站だって必要だから、軍隊の生活必需品も平時以上に必要となるだろう。
しかし、資本論での記載は斜め上をいっていると思った。
平時であっても、軍需産業は資本主義の中で必要不可欠ということなのだ。
むしろ資本主義が軍事産業を生み出したとさえ説いている。
確かに資本主義が生まれる遥か昔は、自分の土地で自分たちの食べるものだけを作り消費していた訳だから、略奪が起こるはずもなかった。
土地を持ち、そこに小作人を働かせるシステムを確立させてから、資本家の欲望は拡大の一途をたどる。
ここで土地の略奪が起こるのは、当然の成り行きだと言える。
そして資本家の欲望は産業革命によって、益々増大することとなる。
持つ者と持たざる者の差。
そして持つ者の、果てしなき欲望。
それが戦争をという錬金術を生み出し、資本家は益々肥えていく。
肥えた資本がしていることは、結局は「略奪」だ。
ヨーロッパ諸国がアフリカ・アジアを植民地化したのはまさにその例である。
最近こそ「フェアトレード認証のコーヒー豆」などが売られているが、この道のりはまだまだ遠いだろうと思う。
それだけこの問題は根が深い。
つまり、フェア(公平)になったら、資本家が困るからである。
あくまで資本家が上に立つから資本を独占できるのであって、決してフェアであっては都合が悪いのだ。
こういう文脈で世界を見ていくと、本当に限られた人に都合よく世界は作られているものだと感じてしまう。
残念ながら資本主義は人々を幸せにする完璧なシステムとは言い難い。
しかし、それに代替するシステムが存在しないことも確かなのである。
そんな状況下で我々庶民はどう生きていけばよいのか?
都合よく作られた世界で、ルールを完璧に把握して「資本家」の側になるのも戦略の一手だ。
それともこのルールが適用されない場所を見つけて、そこで生きていく道を模索するのもあるのかもしれない。
「そんな道程あるの?」と思うかもしれないが、テクノロジーの超進化は、今までのルールを破壊するだけのインパクトを持ち合わせている。
資本家側に回っても、そこで安穏としていたら、進化したテック人民に足元をすくわれゲームチェンジを起こされるかもしれない。
現代の我々は相当戦略的に人生を見据えなければならない。
しかもそれは絶対に計算通り行かない。
途中で軌道修正することを計算の上で走り続けるしかないのである。
これを無理ゲーと呼ぶのかどうか分からないが、生き抜くためには戦うよりしょうがない。
今もこれからもそういう時代だということなのである。
(2023/10/30月)
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