【No.16】水の声 水泳部員をぶっち抜く帰宅部員の奇跡の物語
校内水泳大会 (決勝編)
俺は最後の7コース目だった。
この7人が選ばれたときの順位は秒数が早かった順位7人。
だからといって俺が7番目というわけではない。
くじ引きのような感じで7コース目で俺は泳ぐ事になった。
ある意味では最悪の場所である。
一番端なので、声援がうるさくて水の声が聞こえずらい場所だった。
しかも、隣の6コースは大嫌いな小松…。
全くもってついていない…。
不安になりながらも俺達7人はスタート台に立った。
最後の競技という事もあり、プールは大盛り上がりである。
各選手に大きな声援がおくられる。
俺はたった一人の水泳部員ではない決勝に勝ち進んだ選手。
その為、クラスからのみの声援だけがあった。
嬉しい反面、水の声が聞こえなくなってしまうから、静かにして欲しいという思いがあったことは言うまでもない。
俺は後ろの来賓席のオッサンに目をやり、オッサンはゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと大きくうなずく。
クラスの方に目をやると、新木が微動だにしない立ち姿で笑顔で俺を見ていてくれていた。
手を合わせてはいない。新木は既に俺を選んだことによるクラスからのプレッシャーを感じてはいなかった。
祈るのではなく、俺を信じていてくれていたのかもしれない。
放送が流れる。
『それでは、この校内水泳大会一年生の部、最後の競技、男子100メートル決勝を始めます』
俺は、スタート台の隅っこから選手全員を見た。
だが、俺の目には鈴木しか映っていなかった。
鈴木に勝つ。
無謀な俺の最初で最後の本気の勝負が今、始まろうとしていた。
ここに立つまでの事が一瞬で走馬灯のように頭を駆け巡った。
『よーい…』
鼻から大きく息を吸い込み息を止め、前かがみになり、水の声から教わった清水式泳法の飛び込み坂本久美子アレンジバージョンの最初で最後のお披露目が始まる瞬間だった。
『パーン!!』
ピストルが鳴った。
俺はいつものような飛び込む姿勢で水の世界へ飛び込む。
しかし、アレンジバージョンは既にここから違う。
さっきまでの清水式に加えて、最高位地での急降下を水に対して真っ直ぐではなく『斜めに入る』のだ。
正直に考えれば馬鹿の織り成す技である。
俺はこの飛込みをさっきの水の声が見せてくれた映像の割にはすんなりできてしまったことに驚いた。
体を斜めにする事でその分、水の抵抗を抑えることができる。
水に斜めに日本刀を突き刺したようなものと考えて欲しい。
しかし、その反面、水の中では斜めに進んでしまう。
その為、スタート位置を少しずらした場所からの飛込みだった。
水中に入った瞬間、いつものように水は押し進めてくれる。しかし、水面に対してどうしても少しだけ斜めに進んでしまうところを体を回し、水面に対し平行に直す作業がある。
そう。水中で一回転するのだ。
これではスピードが落ちると思われがちだが、実はこのほんの少しの動作がスクリューのようになり、水はこの動きに対し、抵抗を作るどころか、余計に押し進めてしまう。
やっていた自分が一番驚いた事は言うまでもない。
その後に清水式泳法の水中バタ足。
この瞬間だけは本当に変わらないし、最高の瞬間だ。
水の静寂が俺を包み込む。
隣の小松の汚い泳ぎのバシャバシャやってる音すら聞こえないほど、俺は深い場所を泳ぎ、水になることを宣言する。
そして俺は水の声を待つ。
声を頼りに、上に上がるタイミングを見計らうのだが、水の声は意外にもこのタイミングをいつもより早めに伝えた。
そして、ここでもアレンジが加えられる。
水面に上がる前の手だけ平泳ぎをやった後に肩を首に付くように持ち上げるのだ。
これは平泳ぎの選手が良くやるパターンの一種で、これにより体が細くなり、水に対する抵抗が抑えられる。
その後、肩を戻し、必ず右手からクロールをはじめる。
水をかく回数は必ず最初に右2回、その後に左、右と通常のかきかたになる。
右手で2回水をかく理由は斜めに飛び込んだ際、どうしても斜めに進んでいるためである、その為の方向転換も兼ねている。
これで、真っ直ぐ進めるようになるのである。
その後は、いつものように水しぶきを抑えた清水式の泳法を行う。
そう。水の声が聞こえるように行うクロールである。
そして、俺はいつものように水の声を待った。
一回目のターン。
ここにもアレンジは加えられる。
ターンをし、後ろの壁を蹴る際に、俺はいつもはプールの下のほうに進めるようにしてた。
これが清水式だった。
その後の水面の波とかを避けるためだった。
そんなことも考えなかった水泳ド素人の俺は声を待つためだった。
しかし、坂本久美子のアレンジはその全く逆で、水面に対して上になるように蹴り上げる事だった。
体が水面から飛び出るくらいの勢いを要した。
勿論、水面から体全部が出ることなどないのだが、それ位の気持ちで行かなければならなかった。
それはまるでイルカが水面を泳ぐように…。
そうする事により完全に水の抵抗を押さえ、空中を進むようにする。
水面の直上には抵抗も何もないからだ。
これだけで、一気に進める。
その後に水の中に入るという水中からの飛び込みのような感じだった。
25メートルプールだからあと2回このターンをしなければいけない。
これだけはけっこう大変だった事を今でもよく覚えている。
ターンの後、再びプールの最下位部に潜る事はしない。
横からの波があろうと突き進む事が清水式とこの坂本久美子アレンジバージョンの大きな違いだった。
隣から来る波は意外にも体に当たるとそれだけで速度が落ちるものだ。
例えるなら、高速道路のトンネルを出た際の突風に近い横風を受けるような感じで、安い作りの車ならハンドルを取られてしまい、アクセルから足を離してしまうそれに似ている。
俺の泳ぎはド素人の泳ぎだ。
安っぽい作りの車と同様、横波にはめっぽう弱い体のつくりだった。
坂本久美子が考え出した泳ぎは、波が来る以前にハンドルをしっかりと握り、例え、横波が来てもハンドルを取られないように、尚且つアクセルを大きく踏み込む方式だった。
車もその分燃料を食うように、体にもその体力の消耗は激しい。
水泳で言うハンドルとは上半身の体の体勢だ。
これを崩しては何も始まらない。
クロールの要は手かきと足のバタ足。
このスピードを水の声を頼りに強める。
そうして、横波を突っ切るのだ。
俺は、この坂本久美子のアレンジをイメージトレーニングもかねて短時間でマスターした。
隣の小松は遥か後ろだ。
幸い端っこの俺は片方からの波のみだったため、小松とすれ違う時のみこの動作をすればよかった。
本当にラッキーといえばラッキーだった。
水の声は俺に語りかける。
『前にいるのは一人だけ。あなたにならあの人を追い抜くことができる』
水の声は尚も俺に言う。
『清水先生の泳ぎとは別物のようになってしまったけれど、でも、きっとこの泳ぎを清水先生は認めてくれるはずだわ』
俺『あのオッサンはそんなにも凄い人だったんだ』
『ええ。素晴らしい方よ。水泳をこよなく愛していらっしゃる、かけがえのない先生よ』
50メートルでのターンを俺は意識しながら迎え終えた。
その辺りからだ…。
そう、周りの声援が大きくなってきてしまった事は。
ヤバイ、水の声が聞こえなくなってしまう。
水の声は俺に語りかける。
『あなたはもう、この時点で私の声なんかいらないくらいに成長している。自分の泳ぎに自信を持ちなさい。あなたはこの中では一番速いのよ』
俺には理解ができていなかった。
声がなくても泳げる…?
今まで経験した事のないとんでもない事だ。
俺は水の声があるからこそ泳げた。
その声があったからこそ、俺は泳ぎに本気になれたのだ。
俺は聞いた。
俺『また聞こえなくなるのは嫌だ。俺は水の中であなたといたいんだ』
水の声はすんなりと答える。
『私があなたに教える事はもう何もないの。それにあなたには特別な存在もいるはずよ』
水の声の言ってる意味はそれとなくわかっていた。
しかし、俺はその事を受け入れる事ができないでいたのだ。
確かに、俺の泳ぎはこの一ヶ月足らずで急成長を遂げた。
自分でもわかるほどの成長ぶりだ。
しかし、それは水の声があったからこそ成し遂げられた成長だ。この声が聞けるから、この声に包まれていたいから俺は泳ぎに本気になれた。
しかし、今は違う事を自分でもわかっていた。
水の声だけではなく、新木を喜ばせるために泳いでいた自分にいつしか気が付いていた。
水の声は言う。
『誰かの為に一生懸命になるって素晴らしい事よ。あなたは私の指導を通じ、その事をしっかりと知ってくれた』
怒涛のような声援の中にもかかわらず、水の声はしっかりと聞こえていた。
そして、続けざまに言うのだ。
『さぁ、あなた自身の泳ぎを私に見せて。私の力を借りずに、水になるあなたの泳ぎを…』
俺は聞いた。
俺『お別れなんかじゃないよな』
水の声は答える。
『約束するわ。私はあなたから離れない。』
どういう意味だったのか、その時はわからなかった。
そう、この後20年程経った時に、その事実がわかるのだ。
つづく