【No.19】水の声 水泳部員をぶっち抜く帰宅部員の奇跡の物語
新木は新しく買ったばかりのような、それこそお嬢様の服装で座っていた。
新木の前に立っても、俺の姿に気が付いていなかった。
時折、その真新しいピンクのスカートに涙を落としていた。
俺は声がかけられなかった。
しばらくその場に立っているのがやっとだった。
マスターが新木にハンカチを持ってきてくれた。
『安物だけど、使ってね』
その言葉で、俺に気が付いた。
新木『…んね…ごめんね』
泣きながら彼女は必死に何かを伝えようとしていた。
その姿から、俺は何も言葉が出なかった。
俺『…なんか飲むか?』
新木『…パフェがいい』
俺『うん。俺も食うかな』
俺は一度席を立ち、マスターにパフェを二つ頼んでまた新木の所に戻った。
少し落ち着いたのか、少し強がって俺の顔を見ようとはしないで横顔だけを俺に見せていた。
新木『お父さんね…』
新木はゆっくり話し始めた。
新木『私のお父さんは一年位前に仕事をクビになって、仕事探したりしていたんだけど、そのまま何もしないでいたの。お母さんの収入を当てに生きていたの。それからしばらく経って、お父さん…他の女の人と…』
俺『もう話すな。いいよ…もうそんな辛い事話すな…』
新木はうつむき、うんうんとうなずいた。
俺はなんとなくだったけど、新木の家の大人の事情がわかった。
俺は今の新木が聞いてくれるかどうか、そんなことはお構いなしに自分の想いを伝える事にした。
俺『小学校3年の時、あれ覚えてっかな?』
ふっと新木が俺の顔を見る。
俺『初めてのクラス替えの初日にな、俺、教科書全部家に忘れてきてたろ? あの日、お前全部の授業の教科書見せてくれてたじゃん。机くっつけて…』
新木『あたし、最初なんていう人って思ったよ。だって教科書持ってこないでマンガしか持ってきてないんだもん。この人が隣なんていやだって思った』
俺『ありゃ? じゃ、何で見せてくれたんだよ?』
新木『お情け』
俺『お情けかよ』
新木はすこしずつだが笑い始めてきた。
いいタイミングでパフェが来た。
二人で食べながら話を続ける。
俺『あと、あれだ。お前妙に頭いいからさ、テストはほぼカンニングさせてもらってたのよ。いやぁ、あの時は点数良かった。あの後席替えでお前から離れた時からテストの点数ガタ落ち。もうね、どうしようもなかったね。』
新木『あ、やっぱりそうだったんだ。絶対見てるって思ってた。』
俺『どうも、助かってました。』
新木『ひどーい。自分で努力しなさい。』
俺『はいはい。』
俺達はこんな採りとめのない話をするのは初めだったのかもしれない。
恐らくは校内水泳大会を機にお互いの心がわかっていたからかもしれない。
俺は本題に入った。
俺『お前と席が離れて、気が付いた事があったんだ。』
新木『ん?』
俺『俺な…あの時からお前の事好きだった。そん時ははっきりとわからなかったけど、そんな・・・なんかそんな感じがしていた』
新木は俺の目を見ていた。
俺は顔が赤くなっていたと思う。
パフェのアイスが妙に冷たく感じていたからだ…。
新木も話し始めた。
新木『あたしはね、小川君と席が離れてホッとしたの。授業中は寝てるか隠れてマンが読んでるかだし、正直、こんな人がいること自体信じられなかったの』
酷い言われようだった。
新木『でも、水泳の検定試験の時、何でか小川君がいて、何でか受かって…。その時の泳ぎがとっても綺麗に見えたのね。あのガサツな小川君が唯一見せた綺麗なもの。とっても気になってたの。水泳部に来るのかなって思ったら来なかったし。』
新木はパフェを一口食べて続けた。
新 木『あの後の…そう小川君が100メートル泳いだ、あのとっても綺麗な姿を見て、あたし本当に凄いって思ったよ。でも、あの後凄く悲しそうな顔をしていたのを見て…今はその原因は水の声だったんだってわかるからだけど、とっても不思議な人だなって思ってたの。何か、触ったり近づいちゃいけない気持ちがあったの』
俺『俺いきがってたからじゃねぇの?』
新 木『ん~、それもあったけど、でも、小川君が凄く気になっていた。5年と6年は違うクラスになっちゃったけど、今年、中学に入って、クラスに小川君がいて… そう思ったらもう一回あの泳ぎが見たいなって思ったの…。あたしの勝手で、あたしが小川君の泳ぎを見たいって言うだけで選んだの。』
意外だった。学級委員長としてではなく新木個人として選んだ選手が俺だったのだ。
新木は話し続けた。
新木『あの後友達にね、小川はやめてほしいとか、何であんなヤツとか、色々言われたけど、でも、あたしは小川君の泳ぎが見たいって言う気持ちがあったから…あたしも小川君が好きだったから…』
そこから、話は止まってしまった。
俺『…でも、もうどうしようもねぇんだな。』
新木『…うん。もっと早くに言えばよかった』
俺『…』
新木『…』
しばらくの間沈黙が空間を支配していた。
新木『転校はね、昨日の夜に聞かされたの。急すぎてどうしていいか分からなかったの。小川君倒れちゃうし…』
一瞬はっとして俺に言う。
新木『怪我…大丈夫だったの?』
俺『あ、うん。何も問題ないんだって』
新木『よかったぁ。』
俺『これで少しは頭良くなるかな?』
新木『バカ!すっごく心配したんだよ!頭から血が出てて、救急車で運ばれて…あたし泣いてたんだから!』
俺『ああ、いやぁ、そりゃすまん…』
新木『もう、小川君といると、なんだか問題ばっかりで少し怖いけど、なんか…とっても楽しかったよ』
俺『…ん』
新木『最後になんか凄く楽しかった。小川君、大好きだよ。』
俺『…もう会えねぇのか?』
新木『…そうかもだね。でも、手紙書くよ。』
俺『俺、凄く字が汚いけど…それでもいいのか?』
新木『うん。』
その後、校内水泳大会の話とか、俺と鈴木の対決の新木から見た感想とか色々と話した。
その日が、中学時代に新木と会った最後に日になった。
この日、喫茶店には俺達以外客は来なかった。
もしかしたらマスターが気を利かせてくれていたのかもしれない。
この日の出来事は俺の人生の中でも特に忘れられない一日になっている。
きっと、新木も同じだと思う。
その後…
翌日、新木の姿は学校にはなかった。
新木の席はなくなり、その後ろの席のヤツが前につめるような形でなくなってしまったのだ。
水泳大会の後、俺と小松の事件はひた隠しに隠され学校では何もなかったかのようになっていた。
学校側は体制と面子を守るために必死だった。
水泳大会はなかったとまで言わんばかりの体制だった。
だから、この大会の事はあまり世間には知られていない。
故に、俺のこの時の奇跡にも匹敵する話はあまり知られていない。
同級生も、水泳大会の結果よりも、俺と小松の事件の方が頭に残っているせいもあるのだろう。
小松はあの事件以降、茂野一派から除外され、そのまま一人荒れ狂い、ナイフで教師を切りつける事件を起してしまう。新聞にも載るような事を起してしまった小松は、その後少年院に入ってしまう。
流石にこれは学校側も体制や面子ではすまなかった。
マスコミは来るわでそれはもう大騒ぎだった。
その事件をきっかけに茂野一派は自然消滅。
意外にも、俺と茂野はその後意見が合い、お互いに普通に過ごしていた。
中田はあの後、何度か学校に来たが、不登校に戻ってしまった。それは、もう俺にはどうしようもできなかった。
鈴木はそのまま水泳部に所属し、好成績を収める。
俺は…実は水泳部にいた。
しかし、水の声が聞こえないのと集団行動ができないのとが重なり、一週間もしないうちに辞めてしまう。
そして、また水泳大会以前のような退屈な学校生活が始まっていた。
とにかく高校受験が最重要項目の、それはくだらない3年間になっていった。
俺にはまた外の景色を見ながら、過ごす日々が続く。
ふと、新木の席を見る。
しかし、新木はもうクラスにはいないのだ…。
あのブティックのテナントもなくなっていた…。
俺達は、たった数時間だけだったが、お互いの気持ちを伝えた。
そして、お互いに好きあっていたことを認識した。
でも、付き合った時間はほんの数時間。
あの喫茶店での短い時間だけだった。
その後何度か手紙のやり取りをした。
しかし、それも束の間だった。
中学生はまだまだ子供だ。
文通などそう長くできるものじゃなかった。
いや、そこまで好きあっていなかっただけなのかも知れない。
時が経ち、高校生になった頃、実は鈴木は選手生命が終わりに近づいていた。
全国まで行った男だったが、高校生ともなると強豪たちも違うのか、はたまた鈴木自体が問題だったのか良くわからなかったが、あまりにも早過ぎる選手生命だった。
高校は違かったが、何度か電話を貰い、相談に乗っていた。
彼は、大好きな水泳に食われていたのかもしれない。
彼自身に後悔はなかったらしいが…。
水泳の面白さを教えてくれた鈴木が水泳を辞めると言った時、俺は本当に悲しかった事を今でもよく覚えている。
そして、俺自身、水泳から遠のいていってしまう。
水の声の事は頭から離れはしなかったが、時間がその事を消し去ろうとしていたのかもしれない。
俺の水泳の奇跡は、ここで終わってしまうかのように見て取れた。
次回最終回拡大版へつづく