【目印を見つけるノート】263. 「たまたま」もお道具です
きのう、川崎フロンターレ・中村憲剛さんの引退セレモニーの模様をテレビで見ました。お子さんのスピーチ、立派です✨
下のチビと同じ年なのを思うとなおさら……。
たまたまですが、きのう所用で川崎にいて、
ヴィジョンボードで告知しているのを見ました。
等々力には行けませんでしたけれど、感無量でした。
2017年の優勝パレードを思い出すなあ
(*´∀`)。
おつかれさまでした(まだ試合はあるけれど)。
⚫「たまたま」の効用
きのうたまたま川崎にいたのもそうですが、木星土星もたまたまなのです。PTAの防犯パトロールの帰りに買い物をしたときに撮れました。もっといえば、ケプラーを出しましたが、彼が生きているときにも、木星と土星の大接近があったようです。それも知らずに書いていて、「ああ、ケプラーも見たんだ」と感無量になりました。
noteに毎日書いているテーマも、たまたまのことがほとんどです。ですので、ときには重複しますがあまり気にしていません。写真もandroidスマホの自前です。自分で見たものがベースなので、上手い下手も気にしていないです。
「たまたま」にとても感謝しています。
▲くまさんが十字架を持っているように見えます😅たまたま
SNSなりネットには意識するしないに関わらず、ある指向性がありますね。それは前からしばしば感じていて、哲学者のマルクス・ガブリエルさんのご本にも類似のことが出ています。
そこを受け入れるでも拒むでもなく、自分のありようを考えたり、実行する道具として使えるのがいいのかなと思ったりしています。少なくともきのうの「たまたま」はネットが関与していないものです。
未知の部分というのは何にでもあって、「たまたま」というのはそこにつながる扉なのかもしれません。
ふっと思い出したのは、THE POLICEの『GHOST IN THE MACHINE』(1981)です。ほぼ40年前、Windows95もスマートフォンもカケラもない時代によくこれだけのコンセプトアルバムを作れたものだと感心します。もちろん、シンセサイザーが一般的になっていたこと、当時もあったディストピアSFは念頭にあったと思いますが、うまい具合にここまでの40年を語っていると思います。
THE POLICE『Too Much Information』
ある意味、人が想像できることであるといえるのかもしれません。
これから、何を想像しましょうか。
私はとりあえず、これから書くことと、生活のことでも考えましょうか。
考えること、考えて表現すること、考えて行動することは、これからいっそう大切な武器になるかもしれません。
「たまたま」も道具もどこかから、誰かから人に与えられたものですから。
それをどのように受け止めるかは、人しだいです。
それではまた、ごひいきに。
尾方佐羽