【目印を見つけるノート】155. ウェス・モンゴメリーのハードな柔らかさ
天候がこれから荒れるようです。
みなさまどうかお気をつけて。
きのうはちょっと書く量が多すぎたようです。
1日に10000字を超えると、後でぼうっとしたりします。400字詰め原稿用紙で単純に50枚ぐらいでしょうか。自分の場合、そこまでが適正なのかなと思います。毎日20000字書くという方もいらっしゃるでしょうけれど、私は無理かな。きっと続きません。
⚫ハード・ワーカーのウェス
私はふにゃふにゃですが、ハード・ワーカーとしてまず思い浮かべるのはジャズ・ギタリストのウェス・モンゴメリー(1923~1968)です。
これは多くのジャズファンが知っていることかと思います。ウェスはハンプトン楽団を27歳のときに退団してそこから凄まじい日々を送ります。時間割は単純なのですけれどこのような感じです。
7時半~15時 工場勤務
21時~翌日2時 バーで演奏の仕事
それ以降~ クラブでジャズ(セッション)
夕方に寝ていたのだろうなと想像できますが、演奏レパートリーの仕込みもあるでしょうし、ごはんをいつ食べていたのでしょう。家族もいるから稼がなければならないゆえのハードワークです。
この生活を数年(5年ぐらい?不確かです)続けたといいます。そこが凄まじい。一週間ぐらいならできる人もいるでしょう。でも5年できる人はほぼいないと思います。
このハード・ワークの日々の中で、ウェスはメロディをオクターブ上でも同時に弾く『オクターブ奏法』を身につけたと言われています。
でも、この頃の無理がたたったのでしょう😢
後年は周囲に内緒でニトログリセリンを服用していたというので、たびたび心臓の痛みに襲われていたのだと思います。
1968年、心筋梗塞を起こして故郷のインディアナポリスで亡くなります。
45歳でした。
このエピソードの大まかな部分を中学のときに知って、たいへん衝撃を受けました。これぐらいやらないと達人にはなれないのだろうかと思いました。
『FULL HOUSE』と『A DAY IN THE LIFE』というアルバムも聴いてみました。
『FULL HOUSE』(1962)からタイトルチューンを。
その激しいエピソードとは対照的な、優しく穏やかな音を奏でる方でした。ピックを使わず指で弾いているので、柔らかい音色になるのです。
詳しいプロフィール、こちらが読みやすいです。
https://www.hmv.co.jp/artist_Wes-Montgomery_000000000001038/biography/
後年の『A DAY IN THE LIFE』(1967)ではより音が柔らかくなっているように聴こえました。所属しているレコード会社との関係などもあるのかもしれません。カバー曲が多く、ジャズファンでなくても自然に聴くことができるようなアルバムです。
この中に『WILLOW WEEP FOR ME』という曲があります。この曲もカヴァーですが何か、もの悲しいのです。ニーナ・シモンのヴァージョンも聴きましたが、やはり悲しい。
あからさまな悲歌ではないですが、ものがなしい。
今ごろになって思うんです。
ウェスは自分の寿命が分かっていたから、晩年となる時期に精力的にレコーディングしたのだろうなって。
それが分かるようになりました。
きのう投稿した小説でヨネダが、「ウェス・モンゴメリーみたい」とヤナセのことを評したのは、そのハード・ワークをさしてのことです。
補足的に。
さて、途中のものにも取りかかろうかな。
⚫お籠りクラフトとばら
今日はスウェード風コードでシンプルなブレスレットです。チェコガラスビーズのエルダーベリーという色を使いました。いい具合にマット(ツヤナシ)です。
ばらは土がやせているなと感じます。つぼみが出る前にと思って、液肥をあげることにしました。
それではまた、ごひいきに。
おがたさわ
(尾方佐羽)