【目印を見つけるノート】693. バンクシーさんの表現は21世紀的だと思います
朝の電車で中学生が3人、地図のプリントを広げて勉強をしています。地理のようですね。目隠しペンの緑が遠巻きに伺えますが、私たちの頃とは変わりましたね。あれ、いや、あったかもしれません。使っていなかっただけでしょう。情けないことに、とことん試験勉強をしない人でした😅 気がそぞろになってしまって。
ですので一生学び続けることになったのでしょうか。
このシジフォスの石運びはいやではありません。
定期テストの時期ですね。
これが終われば、次は卒業式、春休みです。
毎年繰り返されるこの光景に、今はひどくホッとするのです。
あ、ホッとしていたら富士山観測ポイントを通過してしまった😵💧
インスタグラムでBanksy_Archiveのけさの投稿を見ました。ピースマークを描くのに武装している2人の男性の絵です。
URLだけ置いておきます。
https://www.instagram.com/p/CaXqLGnLIhx/?utm_medium=copy_link
いろいろな表現がありますが、
どのような方かは存じませんが、Banksyさんの表現方法は訴求力が高いといつも思います。拡散は別にして、もともとがデジタルで作られていないひとつの作品であることも含めて。
キャンベル缶をアートに仕立てたのはアンディ・ウォーホルさんですが、デジタルではないのにデジタルな手法だったと思います。シルクスクリーンでの大量プリントは拡散と同義のようでした。広告、マーケティング的とも取れます。
Banksyさんは20世紀後半のウォーホルさんやキース・ヘリングさん、ジャン=ミシェル・バスキアさん、ジャスパー・ジョーンズさんの影響を受けているように素人の私には思えますが、ウォーホルさんが旗頭だった「ポップ・アート」とは異質だと感じます。
拡散されつつも、やたらと広まることを拒むようなアンビバレンツも感じます。Hide and seekでもあります。
(ですので何となくURLだけにしました)
そこが21世紀的な表現なのでしょう。
今日的な「表現」というものについてしばし考察しています。
アートに詳しくないのに、専門家に怒られるかもしれません。今日のは切り口だけです。今度はもっともっと調べて長文を書きますね。
今日の1曲はこちらです。
THE CRANBERRIES『ZOMBIE』
この前引用してからまた増えましたね。10億ビューになるまでしばらく見守っていたのです。
花はどこに行ったのでしょう。
彼女たちが摘んでいきました。
彼女たちはどこに行ったのでしょう。
恋人が迎えに来て連れていきました。
彼らはどこに行ったのでしょう。
…………
(『花はどこへ行った』より一部さわ意訳)
それでは、お読みくださってありがとうございます。
尾方佐羽
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