【目印を見つけるノート】296. お城のニュースに思うこと
雪かきをされている皆さま、おつかれさまです。
今回こちらは降りませんでしたが、私はなぜか前の世紀から場所は変われど1階に住んでいたりしますので、降ったときのおうち周りの雪かきは必須科目です。
やらなければドアが開かない、雨どいや庇からドサッと後で落ちてくる。ある程度の通路、私道まではやらなければ自分もコケる……屋根の上まではしていないので偉そうなことは言えませんが、本当に腰にくる作業です。
どうか作業、安全に、お気をつけて。
⚫胸にきいてみる
お城に傷をつけられたというニュースを最近よく目にします。岡山城や福山城が最近の事件でしたが記事によれば松山城や高知城、福山の鞆(とも)でも文化財が同様の被害を受けているようで、たいへん悲しいことだと思います。
朝日新聞のニュース
https://www.asahi.com/articles/ASP1Q34JWP1PPITB00Y.html
私がそう思うのは、それらの場所を小説で書いているからというのも多少はありますが、おしなべてそのような匿名の行為のもとになる「気持ち、気分」に対して、悲しいと感じます。
ここで「正しさ」を出すと方向が違ってしまうと思うのですが、端的に、他の人やものを言わない器物(お城もそうですね)に攻撃的になってしまう空気がときどきあることはずっと感じています。
どうしたらいいのでしょう。
最近はあまり聞かなくなった(ような気がする)言葉に、「良心」(conscience)というのがあります。
調べるとこう書いてあります。
「道徳的判断をなし,自己の行為,心情にかかわって正善を意志,命令し,悪を悔い退ける全人格的意識。中世スコラ哲学では,善への肯定的態度と悪への否定的態度を直接に示す人間の生得的能力の総括概念をいう。この生得説はプロテスタンティズムや,17世紀の R.カドワース,18世紀の J.バトラーらに受継がれた。近代になって,カントにより,これら従来の説は批判的に集大成された。東洋における良心は,まず『孟子』告子編に認められる。現代では,ハイデガーやヤスパースによって,実存主義的な良心論が展開されている。」
引用
https://kotobank.jp/word/%E8%89%AF%E5%BF%83-150005
ひゃ、難しくなりました。
ひとつ言えるのは、良心は「自分の内で善いと判断するもの」であるということです。状況で変わるものではない。
正義や正しさというとぶれてしまうように思いますが、良心という言葉はもう少し咀嚼されてもいいのではないかと思います。
ああ、他の日本語にもあります。
「自分の胸に聞いてみる」ですね。
さて、福山城のお話に戻ります。
(ガラケーの頃の写真で粗くてスイマセン)
傷をつけられた筋鉄御門(すじがねごもん)は江戸時代初期のまま残っている数少ない遺構です。
福山城は昭和まで、天守などはほぼ元の状態で残っていましたが、1945年8月の空襲で大半が焼け落ちてしまいました。
それを市の皆さんの尽力で再建するまでに20年余りの月日がかかりました。
古いというだけで大事にされているわけではなく、それを大事にずっと守ってきた人々の歳月も加わったものなのです。それはどの文化財にも通ずることなのです。
⚫今日の1曲
そうですね。少し前に映画の主題歌になって大ヒットしたエリー・ゴールディングのこの曲を。
ELLIE GOULDING『Love Me Like You Do』
やっぱり、愛でしょうか。
それではまた、ごひいきに。
尾方佐羽
追伸 愛だと思います。