【目印を見つけるノート】684. にんにくこぞうと勘についてのエセー
小説のほう、日付変更線前にできました🎵
話の流れで、水野勝成さんのお父さんをちょこっと出しました。藤十郎さん。勝成さんと同じ通称。家康さんと一緒に戦っていたひとでした。福山にお墓があります。
さて、
アンパンマンに「にんにくこぞう」というキャラクターがいます。
♪お寺の修行はつらいけど、修行をすれば和尚さん~が口癖で猪突猛進、よく失敗をしています。
以前はその様子を見て、「自分にそっくり」と思っていました。考える前に行動に移してしまうということですね。にんにくはそれほど得意ではないですし、今はそれほど自分にかぶらなくなったかもしれないのですが、ときどき、にんにくこぞうを思い浮かべます。
考える前に行動に移す、といっても動くきっかけがないわけではありません。何かを受信して、そのまま動くのです。その受信が勘とかひらめきというわけです。
これには経験もそれなりに反映されるのかもしれません。白菜一玉78円とあったら、とっさに手が伸びているとか🥬😆これはもう経験上、買うしかないと瞬時に判断するということです。
「にんにくこぞう」の勘というのは経験の刷り込みがない状態なのですね。
私がnoteでフォローしている星野廉さまのように書くことを許していただけるなら、勘は感であり、観、間、閑、寛、幹、環とつながっていくようにも思います。星野さま、もう書かれていたら引用とさせてください。
「かん」の連なりを見ているとどことなく仏教的でもあります。お経などに出てくるかも。曼陀羅になりそうかも。にんにくこぞうがお寺で修行しているのは不思議と納得できます、やなせ先生😊
「勘」と「感」は「かん」以外の読みを使いませんが、それは何か理由があるのかな。勘解由(かげゆ)という言葉はありますけれど。
「勘」はgoo辞書によれば、
1 物事の意味やよしあしを直感的に感じとり、判断する能力。「―が働く」
2 古文書で、内容の了解を示す符号や点。
とあります。
「了解」というのは興味深い。応じるというアクションです。そうすると、感応と同義かとも受けとれますね。
自分の例で恐縮ですが、
昨晩のnoteの冒頭にジェフリー・アーチャーさんの小説を出しました。あれはまったくの勘です。そして、その数時間後にバイデン大統領が演説を行いました(ニュースで見ました)。
偶然ですが、タイミングは合っていました。
「今」という勘が小説の映像を引っ張り出してきたのかもしれません。シナプスが連動したのかな。
もちろん、侵攻を止めてほしい、戦争はたくさんだという意思がないと書けませんが。
ちょっと舞台裏な例でした。
小さい頃はそれこそ「にんにくこぞう」で勘があらぬ方に行きがち、親をハラハラさせていたように思いますが、今は自分に与えられた素敵な贈り物かなと思っています。
ただ、この勘は自分の利益、私欲方面ではまったく作動しないのです。くじとかギャンブルにはさっぱり使えません。そして、いまだによく道に迷うのでその方面にも作動していないようです。とほほ。
「それでいいのだ」(byバカボンパパ)
私の知人の女性で、異性と付き合う前に亡き祖父母に伺いを立てるという人がいました。すると、可否を夢で知らせてくれるのだそうです。
そのようなことにも無縁ですが、
きっと
「あなたに言っても聞かないでしょ。自分で選びなさい」、
あるいは、
「いいんじゃないの、いずれにしてもいい経験よ」
ということなようにも思います。
何にでも使えるものではありませんので、結局使いようという結びになりますね。
ああ、noteも小説もすべて勘で書いているような気になってきました😅
今日の1曲もきのう、フィギュアスケートを見ていてピピピと来てしまいました。素敵な曲ですね。
Yiruma『River Flows In You』
今日は面白い空でした。
このような感じだったのが、
このように変わっていくのを移動しながら眺めていました。これは電車内から恐る恐る撮りました。
太陽の力は偉大です。
ソーラーパワー✨
今夜は満月です。
勘ですけれど😆
ニュースでウクライナの月も見ました。
同じ月です。
それでは、お読みくださってありがとうございます。おやすみなさい。
尾方佐羽