暗黒報道IFストーリー59 第7章 最終決戦■リーサルウェポンが動き出す
■「こんなものは見たくもない」。蓮見に言い放った
下河原は公開討論会にはもうでないと関係者に言った。大神の政治家としての未熟さを突いていこうと考えて臨んだが、市民運動家が北海道へのミサイル攻撃について下河原と大神に質問した時からおかしくなった。
下河原には大きな懸念があったのだ。ミサイル攻撃が話題になれば、その流れで、日本海沖での「北方独国」との衝突についても追及されるのではないかという不安だった。
すでに、衝突についても下河原が積極的に関与したやらせであるという記事が朝夕デジタル新聞に掲載されるという情報が下河原の耳に届いていた。大神の取材が根拠になっているという情報だった。北海道のミサイル攻撃報道でも痛手を被ったが、「北方独国」との衝突まで真相を暴かれると相当な打撃になる。しかも対立候補はその疑惑を取材してきた大神だ。公開討論会の場で徹底的に追及してくるに違いないと瞬間考え、話題を変えようと「虹」を持ち出した。
下河原は、内閣官房副長官の蓮見を呼んだ。蓮見には危機管理の一切を任せていた。
「北海道へのミサイル攻撃に続いて、『北方独国』との衝突の件が新聞に書かれたら、たとえ全面否定しても致命傷になりかねない。朝夕デジタル新聞社は、大神の取材をもとにして再取材をし直して、具体的な証拠を握った可能性がある。なんとしても記事化を阻止しろ。金はいくら使ってもかまわん」
「はっきり申し上げますが、具体的な証拠を握ったとしたら記事化を阻止するのは大変難しい。大神はもちろんだが、朝夕デジタル新聞社の編集局長や社会部長も偏屈な奴らで金ではなびかない」
「じゃあどうするんだ。みすみす記事になるのを指をくわえて待つのか。お前の役割はなんだ。どんな困難な状況でもなんとかするのが役目だろう。今回は誰かにやらすのではなく、お前自身が乗り出せ。非合法手段を使っても構わない」
「最初から非合法手段を使った方がどんなに楽だったか。出頭の時が絶好機だったが逃した。そして、大神が対立する候補者になった。もはや失敗は許されない」。蓮見はそうつぶやくように言った後に決心したように言った。
「わかりました。強硬手段に訴える前に、やるだけのことはやってみます。選挙情勢を見ながら、危なくなるようであれば大神陣営に入り込みます。大神にも直接会って内情を探ります。同じ朝夕デジタル新聞記者の興梠のように、ころっと騙されてくれればいいのですが」
「『リーサルウェポン』の異名をとるお前ならば不可能なことはないだろう」
2人で部屋にこもって長い時間、密談を続けた。
選挙戦の中盤。知名度に勝り、緊迫した国際情勢の中で、政治経験豊富な下河原の優位は動かないと見られていた。
大神陣営は最初は、あいさつ回りを中心に旧態依然とした選挙戦を展開していたが、下河原陣営による金を使った宣伝、広報に押されまくっていた。誹謗中傷も激しく、選挙の怖さを思い知った。
途中から、伊藤楓が通っていた大学の友人が中心になって市民団体や若手の企業人がボランティアを買って出て、SNS戦略の練り直しがされた。弱点とされた大神の若さを逆に全面に押し出して売りにしようという闘いに変えた。新しいSNS戦略が功を奏して一時的なブームを引き起こした。大神は選挙権を持たない子供たちの中にも入っていき、笑顔で支持を訴えた。子供の心をつかむと、その親の世代の心も揺り動かされ、支持が広がっていった。
大神陣営の幹部の方針で、大神の街頭演説は極力少なくしていた。下河原陣営は何を仕掛けてくるかわからない。テロに遭う危険性を少しでも回避しなければならなかった。それが「怖がっている」というイメージがついてしまっていた。それを払しょくするためにも選挙戦中盤から街頭には積極的に出るようにした。
その結果、政党が実施した情勢調査では、大神が激しく追い上げる展開に変わってきた。30歳の公選首相候補者に新鮮味を感じた有権者が徐々に増えていった。
「大神に当選の可能性が出てきた」。そんな見方が出回って以後、大神に面会を希望する人が殺到した。政治家、役人、経済団体代表、企業経営者から選挙ブローカー、詐欺師、反社会的勢力のような胡散臭そうな人物までが選挙事務所に押し掛けた。予約もなしにいきなり陣営事務所に来て面談を希望する者については、民自党や立憲民政党のメンバーがいったん話を聞き、面談を許可した者だけに絞るなど、最小限に留めた。しかし、大物からの紹介で会わずにはいられない者もいた。
民自党代表の紹介で、意外な人物がお忍びで大神の事務所を訪れた。
内閣官房副長官の蓮見だった。応接室に、大神と蓮見、民自党代表の3人だけになった。
「蓮見君が大神さんにぜひともお会いしたいと言うのでね。私が与党の代表だった当時、彼は警察庁警備局長だった。よく情報交換したものだ。彼の情報はなにより貴重でね。話を聞いてやって欲しい」と民自党代表が言った。
蓮見は、水本夏樹が重要参考人だという情報を警察庁担当キャップの興梠に伝えた男だ。そして手のひらを返したように朝夕デジタル新聞を攻撃した張本人だ。マスコミ規制法の運用責任者でもある。
「大神さん、選挙戦では激しく追い上げているようですね。下河原陣営が2候補に絞って独自に極秘調査したところによると、下河原53ポイントで、大神さん47ポイントだったようです。接戦と言ってもいい」
「それをわざわざ私に言いに来たのですか」。大神は冷たく言い放った。
「実は、国家公務員で重要な業務に携わる人物たちの中にいる強硬な反大神由希の連中を洗い出したのです。それがこのリストです。ご覧になりますか」。分厚いファイルをカバンの中から取り出して机の上に置いた。
「それはすごい。蓮見君にしかできない芸当だ」。民自党代表が感心したように言った。
「さらに、下河原総理についてのスキャンダルをいくつか提供しようと思って来ました」
「なるほど」。大神はそのリストを受け取ったが、中身を見ようともせずに言った。
「なぜ、私にこのような情報を渡そうとするのですか。あなたは下河原総理直属の部下であり、マスコミ規制法を成立させた立役者のはずですが」
「大神さんはもはや記者ではない。有力な公選首相候補の1人です。私はお役に立てるのであればなんでもするつもりです。実はここだけの話ですが、私は下河原総理とは袂を分かったのです」
「なんだって」。民自党代表が大声を出した。「ということはこちらの陣営に君がついてくれるということか。それは百人力だ」
「大神陣営に入っても構いません」
「にわかに信じられません。何があったのですか」。大神は疑っていた。
「信じられないというのはその通りでしょう。実は、大神由希候補に対する暗殺命令が出たのです。私はこれまでさまざまな場で権謀術数を用いてきたことは認めます。だが、腐っても警察官僚出身です。人を殺めたりすることについては断固反対です。暗殺命令をめぐって総理と激しいバトルを演じました。一歩も譲らない私の態度を見てクビを宣告されました」
「そんな辞令は発表されていませんね」
「辞令は選挙後に発表になります。今、内紛のようなことが表に出るのはまずいとの判断のようです。票をさらに減らすことになる、と思っているのでしょう」
「なるほど。それで蓮見さんの望みは何ですか」
「ポストです。大神さんが当選した暁には、今の内閣官房副長官の地位を保証していただきたい。そして私が次の衆議院選挙にでて当選した暁には、内閣官房長官の座も検討していただきたい。私は使い勝手のいい人間ですよ」。民自党代表はうれしそうにうなずいた。
「私が勝てるとは決まっていません。はっきり言って情勢は厳しいと思います」
「それならば最終盤の選挙戦で、大神候補を逆転で勝たせましょう。日本中の公務員、業界団体に『大神候補に票を入れるように』と号令をかけます。「大神有利」との情報を直前に流しておけば効果は絶大です。過去、国政選挙でたびたびやってきたことです。予算をえさに圧力をかけるのです。確実に票は伸びます。今の差であれば、逆転は可能です」
「そんなことをしたら、下河原氏に睨まれるだけです。身に危険が及びますよ」
「だから号令は、投票日直前に行うのです。後は『勝てば官軍』。勝利して実権を握れば、下河原なんて逮捕するか、国外に追い出せばいい。今から私は隠密に大神陣営の参謀になりましょう」
「なるほど、まだ私が首相になる前から次の手を打っているのですね。私を勝たせる代わりに、地位を保証しろと言う。さすがですね。選挙戦略も含めて魅力的な提案ですね」。そう言うと大神は受け取ったリストを見もせずにぱっと机の上に放り投げた。
「こんなものは見たくもありません」。蓮見は茫然とした。民自党代表も目を丸くして驚いた。
「あなたは私たちを罠にはめたんです。『夏樹さんを取り調べて逮捕する方針だ』と興梠キャップに言ったのはあなたですよね。あなたの言うことを信じろというのは無理な話です。私はあなたを決して許しません。こんなリストも全く信用できません。持って帰ってください。万が一私が当選しても、内閣官房副長官に任命しません。可能性はゼロです」
自信満々に話していた蓮見の表情が一変した。邪悪な顔が現れた。下河原の信頼を得て以後、面と向かって「ノー」と言う人間はいなかった。それが、目の前の30歳の女性から、なんの躊躇も迷いもなく提案を拒絶された。プライドを大いに傷つけられた。
「水本夏樹の件は、私の耳には、『犯人で間違いない』『逮捕する方針』と入っていた。それを伝えただけだ。記事にするにあたってはもっと慎重な書き方があったはずだ。それをあんなにストレートな表現で書くなんて。悪いのは興梠の方だ」
「私でも信頼していた人から情報を提供されたら記事にしていたと思います。書かせておいて、国会で痛烈に批判し、マスコミ規制法違反で摘発しようとした。最初から誤報を書くようにそそのかしたとしか思えません。政府の方針に厳しい論調を展開していた朝夕デジタル新聞のイメージダウンを図るという意図があったと見ています。しかもあなたは今まで、下河原総理のブレーンだった。手のひらを返し、私にポストを要求するような人物を信じることはできません」
「政治の世界をわかっていないようだな。私を怒らせたらどうなるのか。思い知らせてやろう」
「どうするというんだ」。民自党代表があせって言った。
「大神由希は、公選首相には決して就任することはない。それだけのことだ」。それだけ言うと、蓮見は部屋から出て行った。
「蓮見を怒らせていいのか? あいつは強欲だが、敵に回すと恐ろしい男になる。ポストを与えてでも、手なずけて置いた方がいいと思うぞ」。民自党代表は心配そうに言った。
「嫌です。真実を歪めても平然としている人は許せません。しかも手口が卑劣すぎます。私たちの陣営に入るなどあり得ない。すべて下河原と練りに練った策略です。油断させて、こちらの情報を入手しようとしたに違いありません」
民自党代表が何を言っても、大神の気持ちは変わらなかった。
(次回は、選挙カーがこなごなになる)