暗黒報道64 第八章 最終決戦
■「お前は何者だ」 下河原は大神の首を絞めた
「なんで貴様がここにいるんだ。なんのつもりだ」。下河原は信じられないものを見た、という驚きの表情を浮かべた。
選挙戦最終日。選挙運動が終わり、ホテルのスイートルームで休んでいた時、チャイムを鳴らして現れたのは頭に包帯を巻いた車椅子に乗った大神由希だった。
「病院を抜け出して来ました。あそこは息苦しくて長くはいられない。失礼しますよ」。大神は電動の車椅子をぎこちなく動かして、ドアや下河原の体にぶつかりながら部屋の中に入り込んだ。
「まもなく警察幹部が来ると秘書から聞いたが、なんでお前なんだ」
「警察? 知りません。何かの間違いでは? うわー、豪華な部屋ですね。さすがは独裁総理。休息するのも半端ない場所でくつろぐのですね。ちなみにここの宿泊料金は自腹ですか、税金ですか。一泊いくらぐらいするのですか」。大神は部屋をぐるりと見て回りながら感心したように言った。
「お前はいったいなにをしているのかわかっているのか」
「なにか気に食わないことをしてますか」
「不法侵入だ」
「不法侵入? とんでもありません。取材です。記者としてのれっきとした取材です」
2人は互いの存在を意識しながら今まで来たが、対面したのは3年ぶりだった。当時、下河原は政党になる前の任意団体「孤高の会」の大幹部だった。大神が民自党本部で取材をした。
「どうしてもお会いしたかったのです。強引に押しかけたことは謝ります。すみませんでした」
「なぜ、おれがここにいることがわかったのだ」
「取材で突き止めました。下河原総理の周辺でも、総理に反発する人は出始めています。気を付けた方がいいですよ」。実際は、鏑木警部補から教えてもらった。下河原がこのスイートルームを年間契約で押さえていることは秘書から警察に届けている。今、大神がこの部屋の前まで来ることができたのも、鏑木の導きがあった。「部屋の中を調べる」と秘書を騙したのは鏑木と永野だった。大神が真正面から入ろうとしても排除されるのはわかっていた。
「ふざけるな。取材だと言えばなんでも許されるとは思うな。おれは何も聞いていない。今すぐ、ここから出て行け」。そう言うと、下河原はベッドの横にある受話器をとってフロントのボタンを押した。
「ドローンの攻撃を仕掛けたのは総理、あなたですね。田島さんを殺そうと謀ったのですね」。大神はいきなり核心をつく質問を繰り出した。とんでもなく大きな、怒気を含んだ声だった。
下河原は振り返って大神を見た。にこにこしていた大神の表情は一変していた。獲物を狙う鷹のような鋭くきつい目つきになっていた。下河原はいったんつながった受話器を置いた。
「何を言っているんだ。コメントは出している。あれがすべてだ」
「確認します。『選挙戦のさなかにあってはならないことが起きた。犯人を一刻も早く逮捕して欲しい。警察の奮起を期待する』ですね。さらに私に国民栄誉賞を授与していただけるとか」
「そんな内容だったかな。部下が書いたコメントだから覚えていない」
「民警団が関係する事件とドローン爆破の2つの事件でのあなたの関わりを伺います。民警団が報道陣を襲った事件は後藤田から、ドローン攻撃は蓮見から、それぞれ事案が起きる前に連絡を受けていましたね。はっきりしてください」
「おもしろい」。下河原は突然笑い出した。
「得意の引っ掛け取材だ。相手を怒らせてから本音を聞き出す。その手に乗るか。しかもすべてを録音しているのだろう」
「当然です」
「そんな状態で話すと思うか」
「録音機器はすべて出しましょう」。大神は車椅子の下に置いていたバッグの中からスマホとICレコーダーを取り出して電源を切り、机の上に置いた。
「隠しマイクを設置してあるはずだ。別の部屋でも会話が聞こえるようになっているのだろう」
「それはできない。この部屋を突き止めてから、ここまであの手この手でたどり着くのがやっとでしたから。事前にマイクを設置するなんてとてもできません」
「だが、なにか仕掛けているはずだ。丸腰ではないだろう」
「誓ってなにも仕掛けていません。頭の包帯を解きましょうか。全身に巻かれている包帯もとって、ここで裸にでもなりましょうか。傷だらけで醜い姿ですが」。実際になにも仕掛けはなかった。
「おもしろい。それもいい。俺も裸になるか。裸同士でやりあうか」。下河原は不敵な笑いを浮かべた。
「お前の応援団たちはどうした。いつも一緒にいる雑魚どもは」
「雑魚とはひどい言い方。撤回してください。確かに私がここに来ることができたのは、いろいろな人の理解と協力があったからです。今はこのホテルに別の部屋をとって待機してくれています」
「誰がいるんだ」
「弁護士先生と後輩です」
「永野洋子と伊藤楓か」。下河原は即座に言った。大神についての報告を受ける際、よく登場する2人だ。
2人が待機している部屋には鏑木警部補もいる。大神が下河原に突撃取材をすると相談した時は「危険すぎる」と反対したが、大神と永野の説得で協力してもらえることになった。だが、大神が今、捜査一課の警部補の肩書を出せば、下河原は必要以上に警戒すると思い、言わなかった。
「まあ、いいだろう。仕掛けについては信じよう。だが、言うことはなにもない。無駄な時間だ」
「先ほども聞きましたが、後藤田と蓮見から事件の発生前に連絡があったのかどうか、確認させてください」。核心部分を改めて尋ねた。
「聞いていない。あいつらが勝手にやったことだ」
「にわかに信じられません。政権に厳しい意見を述べるジャーナリストを抵抗勢力と位置付けるブラックリストを作っていたはずです」
「みなやっていることだ。要注意人物の洗い出しなど誰でもやっている。マスコミ関係者だけではない。あらゆる業界にわたっている。それをやらない奴がいたら、権力者として無能だということだ」
「弾圧だけでない。拷問、殺人まで犯している」
「すべては後藤田がやったことだ。あいつの頭はおかしいんだ。お前が一番良く知っているだろう」
「蓮見がドローン攻撃を考え付いた。蓮見の仕業だということは後からでも聞いていたんですね」
「知らん。聞いてない」
「私たちと違って、総理はすべての情報を入手できる立場にあります。事後にも報告を受けていないというのは信じられません」
「知らんと言っているんだ。なにも聞いていない。蓮見がドローンを扱えるなど全く聞いていなかった。リーダーと行動を共にしていたことも知らなかった」
「蓮見自身が襲撃の時にドローン操作の現場に立ち会い、リーダーと一緒にいたことは、誰も知らないはずです。蓮見が以前ドローンの研修を受けて操縦できることもごく一部の人間にしか知らされていない。やはりあなたはすべて知っている」
下河原は一瞬、しまったと言う表情を浮かべた。蓮見がドローンの研修を受けた経験があるというのを大神は興梠から聞いていた。
「くだらん。ひっかけはもういい。言葉のあやだ」
「言葉のあやで済ませないでください。多くの死者がでているんですよ」
「とにかく俺は知らんことだ。選挙戦を闘うのに必死だった。お前のせいで、思わぬ苦戦を強いられたからな」
「私のせいにしないでください。北海道へのミサイル着弾、日本海での『北方独国』との衝突は、すべてあなたが仕組んだことです。後藤田でも蓮見でもありません。国民の危機意識を煽ろうとしたことが、重大な事態を招いた。それを認めるのは、トップとしての責任ではないですか」
「調子に乗りやがって。俺が公選首相に再選されるまでは大人しくしていたが、それも今日までだ。明日になれば、すべてが変わる。おまえなどは一巻の終わりだ。今ここで息の根を止められないだけでも幸せと思え」
「再選されると思っているのですか」
「当たり前だ。俺には政治的な野望がある。日本を世界でも有数の軍事大国にする。力を背景に世界に向かって発言力を強める。世界平和の実現を力で成し遂げてやる。お前みたいな人の足を引っ張るだけで、日本の未来に責任をもたない立場でものを言う奴とは違うんだ」
「野望を達成したいのであれば正々堂々と闘ってください。あなたは、あまりにも姑息な手を使い過ぎた。権力を振り回しすぎた。その結果、多くの人の人生が狂わされた。再選されるのかどうかは24時間後にはっきりしますが、もし、再選されたとしても、ドローン事件への関与も含めていくつもの案件で罪を問われることになりますよ」
「笑わせるな。公選首相になれば、警察なんぞなんとでもなる。いずれ権限が集中した大統領になり、おれは独裁的な国家を作り上げる。すべての人間が俺の言うことを聞くようになる。もういい、これ以上話すことはない。消えろ。その不自由な体では出て行くこともできんか。哀れなことだ。俺が出て行く。場所を変える。今夜だけはゆっくり休みたかったが、お前が現れて台無しだ」。下河原はドアの方に向かって足早に歩き、ドアノブに手をかけた。
「後藤田が供述を始めましたよ」。下河原は立ち止まった。そして振り返った。
「今、なんと言った」
「後藤田が供述を始めた。私はそう聞きました」。大神がついた嘘だった。後藤田は記憶喪失のままのはずだ。下河原からもっと聞きたいこと、コメントをとりたいことがいっぱい残っており、引き留めるためについたでまかせだった。
「俺は聞いていないぞ」
「後藤田が報道関係者を襲えと命じたことについては認めています。それは私も直接聞きました。白蛇島での一部始終もあなたには報告したはずです。毒物混入事件についても発生直後には、後藤田からも総理に連絡がはいったはずです。総理はすべてを把握したのに沈黙した。わたしたちはすべてを書きます。下河原総理の言い分は掲載しますのでご心配なく」
下河原は大神の所まで近づいた。そしていきなり顔を殴った。車椅子が倒れ、大神は床に転がり落ちた。全身に激痛が走った。下河原は大神の首に手をかけて力を込めた。
「お前は何者だ。どうしてそんなに執念深い。孤高の会代表、後藤田、蓮見、鮫島。みなお前が行く手を阻んだ。そして今、俺の前に立ちはだかろうとする。一体なにが目的なんだ」
「く、くるしい」。大神はうめいた。
「田島か。田島を公選首相にして、お前はキングメーカーとして権力を操りたいのか。田島とは一体、どういう関係なんだ」
「手を放してください。今ここで殺人を犯す気ですか」。大神は声を振り絞った。下河原の手の力が少しだけ弱まった。
「記者だからです。記者として当たり前のことをしているだけです。記者として取材している限りは、公正独立です。田島さんを応援している訳ではありません。権力を握りたいとも思っていません」。話す言葉はとぎれとぎれになっていた。
「だが、現実には、泡沫同然だった田島を生き返らせた。お前が書いた記事がすべてだ」
「事実を取材しているのです。疑惑があればそれを追及しています。確かに私の中で取材の優先順位はあるのかもしれません。日本の行く末を左右する、社会的な影響力が大きい、悲惨な事態を招いている。そういった重大な事案に巡り合えば取材に入ります。取材を始めたら、事実関係を詰めていくだけです。真相を究明したくなるのです」
下河原は大神の首から手を離した。
「後藤田が供述を始めた、というのはでたらめだろう。お前の言う取材の時間稼ぎだったか」。静かな物の言い方に変わっていた。
「お前に止めを刺す時は必ず来る」。そう言うと下河原は部屋から出て行った。
大神は全身の痛みから意識を失った。しばらくして永野、楓、鏑木がホテルマンと共に部屋に入って来た。永野が大声をかけると大神は意識を取り戻した。そして言った。
「永野さん。私、嘘をつきました。下河原総理とのインタビュー時間を伸ばしたくて、後藤田が供述を始めたとつい言ってしまいました。取材相手に嘘をついたのは初めてです」
「総理大臣に噓をついた罪は重い。現行犯逮捕だ」。鏑木が永野の後ろから言った。
「国民に大うそをつき続ける男に対してついたうそとしては可愛すぎる。動機も理解できるので、無罪放免!」。楓が笑いながら言った。
(次回は、■僅差の接戦、そして亡命)
★ ★ ★
小説「暗黒報道」目次と登場人物
目次
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発
第四章 孤島上陸
第五章 青木ヶ原の決闘
第六章 暗号解読
第七章 戦争勃発
第八章 最終決戦
エピローグ
主な登場人物
・大神由希
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
・下河原信玄
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
・後藤田武士
国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。
★朝夕デジタル新聞社関係者
・橋詰 圭一郎
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
・井上 諒
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
・興梠 守
警察庁担当キャップ。
★大神由希周辺の人物
・河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
・岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
・伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
・鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
・永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
・田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。
★下河原総理大臣周辺の人物
・蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。
・鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
・江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
・香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。
★事件関係者
・水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
・水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。