暗黒報道㉚第四章 孤島上陸
■「東京湾プロジェクト」とはなんだ
スピード・アップ社社長の河野が大阪から東京に戻ってきた。すぐに、伊藤楓を呼んだ。
「『和歌山Eプロジェクト』の書類を送ってくれてありがとう。認証カードがあればすんなり入れただろう」
「そうですね。認証カードはオールマイティですね。あのカードを持てるなんてよほど総理の信頼が厚いんですね」
「俺が入れるのは、全日本テレビ最上階の執務室だけだ。うちの会社に近いのでね。総理もけっこう、あそこを使っている。信頼が厚いからではない」
「あそこにも室内を撮影する防犯カメラは設置してあるのですか」
「そうちょくちょく使わないし、録画はしていても、年中チェックしているわけではないと思う。なんでそんなことを聞くんだ」
「いえ、重要そうな資料が雑に置かれているようだったので、大丈夫なのかなと心配になりました。ところで、『和歌山Eプロジェクト』って何ですか?」
「何回も聞くなよ。俺も詳しくは知らない。防衛に関することかな。紀伊半島とか紀淡海峡あたりで、今後のミサイルの新しい設置場所とかを決めるんじゃないか。用地買収とかで、地元の政財界との連携が必要になるんだろう。国家機密に関することは、あまり深く関わらない方がいいぞ」。河野は楓が相手だとつい口が軽くなる。
「記者をしているのだから、機密事項に興味を抱くのは当然だと思いますが。それと『東京湾Fプロジェクト』ってなんですか?」
河野がびっくりしたように楓を見た。一瞬にして険しい顔に変わった。
「君がなんで『東京湾Fプロジェクト』のことを知っているんだ」
「私は何も知りません。だから聞いているんです」
「その名称を誰から聞いたんだ。取材のネタ元は誰だ」
「そんな怖い顔をしないでください。取材ではありません。『和歌山Eプロジェクト』の封筒の下に、別の封筒が置かれていたんです。表紙に『東京湾Fプロジェクト』と書かれていたので印象に残っているだけです」
「中身は読んだのか」
「読んでいません。すべてが暗号なんでしょ。読んでもわからない」
河野は少し、ほっとしたようだった。楓は、スマホで撮影したことについては黙っていた。
「『東京湾Fプロジェクト』の内容についても詳しく知らない。君もその件については取材はするな。禁止だ」
「取材するのもダメなのですか」
「ダメだ。業務命令だ」
「何を書いてもいい、政府の方針を批判するのもOKだと言ったじゃないですか。約束違反です」
「『東京湾Fプロジェクト』だけはだめだ。約束にも例外はある」。気まずい沈黙がしばらく続いた。
「この話はやめる。君も忘れろ。そんなことより、これを見てくれ」と河野が言い、楓にパソコンの映像を見せた。楓は納得がいかず不満げな顔のまま映像を見た。すぐに頭が切り替わった。
国民自警防衛団(民警団)の総会の模様が映し出されていたのだ。画面は次々に変わる。会場周辺の様子、開会前の客席の全景、来場者の顔をアップにした映像……。
「これは楓もわかっていると思うが、民警団の総会だ」
「わかります。それがどうしたのでしょうか」
「ここを見てくれ」。集会が始まる3時間前の様子だった。スタッフが入場してくるところが映し出された。グレーのレインコートを着て帽子を深々とかぶった人物がアップされた。続いて大会がまだ開催中の人影がまばらな出入り口の映像に移った。レインコートを着る前のストライプの入った地味な制服姿の女性。スタッフかアルバイトのように見える。出口から出て行くところが映し出された。
「誰だがわかるか?」。河野が聞いた。
「いえ」
「大神由希だと思うんだ」
楓は嫌な予感がした。河野は、大神が総会に潜入したことを知っていたのか。
映像を改めて凝視した。体形は確かに大神に似ていたが、ちらっと見えた横顔は全くの別人だった。
「顔が全然違う」と楓は言ったが、「俺は由希だと思う。このなで肩、体形、歩き方は由希だ。変装しているんだ」
「どういうことですか。なぜ、こんな映像を河野社長が持っているのですか」
「実はあの総会に俺も行っていたんだ。大神由希が来るはずだと睨んでいた」。河野はすべてお見通しだったのだ。総会に来たところを捕まえる算段だったのだ。
「民警団総会が開催されるという記事は大神先輩を誘い出すためだったのですか」。楓は問い詰めた。
「偉い人から頼まれたんだ。でも結局、捕まらなかった」と河野は淡々と言った。内閣官房副長官の蓮見から広報用として総会開催のメモを手渡されていたのだ。大神が民警団にねらいを定めて取材していることは政権側にはすでの情報が入っていた。内閣の広報・宣伝担当として、蓮見から言われたら、必ず記事にしなければならなかった。
「総会開催のニュースが掲載されたのは、私が書いたスピード・アップ社の短信だけだと思います。なぜ大神先輩がそれを読むとわかっていたのですか」
「由希は毎日、ありとあらゆる情報に目を通す。どんな小さな記事でも決して見落とすことはない。すごいところだ。由希にとっては当たり前のことだが、普通はできない。尊敬するよ。今、雲隠れしてしまったが、このルーティーンは変わらないはずだ」
「婚約していただけに、詳しいですね。でも尊敬するとか言って、なんで大神先輩を追い込むんですか」
「確かに婚約者だった。だが、由希は俺の能力を評価していなかった。哀れみの目で見ていた。それがたまらなく嫌だった。見返してやろうと思った」
「見返すならば堂々と報道の世界で勝負すればいいことでしょ。なぜ、『孤高の党』の広報、宣伝をするのか。なぜ、大神先輩を捕まえようとする勢力に加担するんですか」。いつものように河野の姿勢を批判した後、最も聞いておきたいことを尋ねた。
「民警団総会の後、大神先輩を誰かが尾行したのですか」
「だから、わからなかったんだ。参加者一人一人は別の人間がチェックした。俺は、スタッフに成りすましてくると思い込んでいた。変装していたとしても俺にはわかる。自信があった。だが、運営側の女性スタッフは全員入念に見たが、大神はいなかった。それで警戒を解いてしまった。この映像に映る人物に目をつけたのは、すべてが終わった後だ。会社に戻って再度、映像を見直した時だった。なんと照明のアルバイトだったんだ」
河野は悔しそうに言った。
楓はほっとした。大神は罠にかからなかったのだ。
河野はすべてにおいて詰めの甘い人間だった。河野自身が言っていたが、何事も70パーセントまでは達成する力とやる気を持っている。だが最後のもう一押しのところでいつもこける。
「大神先輩を見たら通報するつもりだったのですか。捕まったら殺されるかもしれないんですよ」
「殺される? そこまではしないだろう。多少痛い目には遭うかもしれないが」。なんという楽観的な見方なのだろう。
「まさか、総理が持っていた『ターゲット・リスト 報道機関』に大神先輩の名前を入れたのは、河野社長ではないですよね」
「もちろん、俺が入れた。由希もそのことは知っている。由希と別れるきっかけになった出来事だ」
「信じられない。軽蔑します」
「何とでも言え。君は今でも由希と接触しているのではないか。潜伏場所は一体どこなんだ」
「わかりません。私なんかが簡単にわかるようなところにいるはずないでしょう。もっとも私が知っていたとしても言いません。信じられないのであれば、秘密警察を使って拷問しますか」
「君が知っていればそれもありかもしれない。だが、知らないようだしな。君をそんな目に遭わせたくない。君はうちの会社の一員なんだ。重要な戦力なんだ。何度も言うが、記事で勝負したらいい。もっと取材力を高めろ。ただし政治的な活動はするな。政権に対しておかしな行動はとるな。俺を裏切ることになるからだ。もし俺を裏切ったらどうなるか。その時は容赦しない」
河野は楓に念を押した。本気だった。
だが、楓は独自の行動をとった。
河野は「容赦しない」と言ったが、後々、とんでもない行動を起こすことになる。
(次回は、■世論誘導システム)
★ ★ ★
小説「暗黒報道」目次と登場人物
目次
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発
第四章 孤島上陸
第五章 暗号解読
第六章 戦争勃発
第七章 最終決戦
エピローグ
主な登場人物
・大神由希
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
・下河原信玄
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
・後藤田武士
元大手不動産会社社長。大神の天敵。
★朝夕デジタル新聞社関係者
・橋詰 圭一郎
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
・井上 諒
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
・興梠 守
警察庁担当キャップ。
★大神由希周辺の人物
・河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
・岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
・伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
・鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
・永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
・田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。
★下河原総理大臣周辺の人物
・蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。
・鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
・江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
・香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。
★事件関係者
・水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
・水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。