暗黒報道㊿第六章 暗号解読
■セイラが記者会見
青木ヶ原で重傷を負った国民自警防衛団(民警団)会長、後藤田武士の安静状態は続いた。意識は戻ったが、本人はベッドの上で訳のわからないことを叫び続けている。よく知っているはずの部下を連れて行っても、「お前は誰だ」と真剣な表情でどなる。「記憶喪失の可能性が高い」という診断が出た。警察の事情聴取ができる状況ではなかった。
「命を狙われている」という情報もあり、警戒は厳重だった。警察官の制服を着た不審人物が病室のすぐ近くまで来て、刑事に見破られて逮捕されるという事態が起きた。そのニセ警官はナイフを所持していた。ネットで闇バイトに申し込んだ若者だった。一定の時間が過ぎると文字が消える暗号メールでのやりとりで、グループのリーダーが誰かを若者は知らなかった。
後藤田が大けがをした時に、現場にいて逮捕されたスピード・アップ社の社長、岸岡雄一は傷害罪で起訴され裁判が始まっていた。
岸岡の警察での供述では、河野が岸岡に頼み込んで、2人で全日本テレビ最上階の総理執務室に入った。河野が棚に置いてある文書を次々に引っ張り出してはスマホで撮影しだしたため、岸岡が非常ベルを押した。2人は言い合いになり、岸岡が河野を殴ったり蹴ったりした。しばらくして駆け付けた警備員に扮した男が河野を一方的に投げ飛ばし、首を絞めた。河野はその場でぐったりとなった。ニセの警備員は、民警団のメンバーであることがわかり殺人未遂罪で起訴された。
裁判の中で、岸岡は聞かれたことについては淡々と話した。達観したような雰囲気だった。なぜ2人で入室したのかについては、「河野に問題を起こさせて逮捕されればいいと思い、自分の認証カードで入室した」と話した。さらに、下河原総理から「河野は役に立たなかった。殺してもいい」と言われたことも暴露した。
傍聴した記者が、下河原総理にコメントを求めたのに対し、総理の広報担当は「そんなことを言うはずがない」と否定した。しかし、裁判の中での証言として記録され、記事にもなった。
首相公選に向けた下河原陣営の動きはすでに激しくなってきていた。
野党側の公選首相候補として名前が浮上した大神由希に対してはイメージダウンを狙って個人攻撃を展開した。
大阪の毒物混入事件で朝夕デジタル新聞に掲載された「重要参考人浮かぶ」の記事は、水本夏樹を犯人視した「誤報」であり、大神が書いたと断定した。大神について「スクープ優先で人権に全く配慮しない記者」と批判した。
陣営側の社会評論家は「水本夏樹さんは大神記者が書いた記事にショックを受けて亡くなったのではないか。大神が夏樹さんを殺したのも同然だ。冤罪記事を書きながら、訂正もお詫びもしない記者が公選首相になる資格があるのか。真実の追及を疎かにする人物に務まるはずがない」とコメントした。
このコメントはネットで拡散された。「非合法の暴力組織に所属しているテロリストだ」「男をダメにする美魔女」などというスレッドが複数立ち、誹謗中傷が繰り広げられた。野党に対して、公開質問状まで出された。さらに、「事情通」というハンドルネームで、「大神は射撃の名手。一発百中で敵を撃ち抜く」と言う書き込みもあった。
大神は精神的に追い詰められていた。事実であるならばともかく、嘘っぱちの情報がどんどん広まっていくことについては堪えられなくなった。「立候補はしないという会見をして、その場で弁明もしたい」と申し出たが、田島からは「次の候補者が決まるまでは発言しないで欲しい」と言われた。ほかの野党の代議士からも「今、中途半端に発言したら、火に油を注ぐようなものだ。返答や反論はしない方がいい。我慢することだ。それが政治の世界だ」と言われた。
霞ヶ関の日本記者クラブで記者会見が開かれるという連絡が報道機関に突然、入った。「毒物混入事件について当事者からの説明」という会見内容だった。誰が会見するのかは、会見する人物の希望で書かれておらず、記者からの事前の問い合わせにも記者クラブ事務局は明らかにしなかった。「こんなことは初めてだ」と疑心暗鬼になりながらも記者たちは会見場に集まって来た。大神のさらなるイメージダウンをねらった評論家による会見かもしれないと噂された。
満員の会見場に登場したのは、水本夏樹の一人娘、セイラだった。「興味深いが小学生じゃないか。記者を呼びつけるとは何様だ」「いまさら何を言うんだ」。各社の報道記者たちは拍子抜けした様子で囁き合った。
「おだまり」。いきなり壇上から甲高い声が響いた。異様な迫力だった。ざわざわした会場が一瞬にしてシーンと静まり返った。
「聞くなら、黙って聞け。聞きたくない奴、おしゃべりしたい奴は立ち去れ」。セイラが一喝した。誰も会場から退出する記者はいなかった。
驚いたのは警察関係者だった。セイラは病院で警察の保護下にあった。子供でもあり、警護は緩いものだったが、いつの間にか、病院を抜け出していた。しかもゲリラ的に記者会見を開くという。記者クラブ側も突然の会見申し出に戸惑ったが、夏樹の娘であり、「毒物混入事件について語る」ということなのでOKした。
刑事が会見を中止させるために記者クラブに向かったが、到着した時にはすでにセイラは話し始めていた。
「母、水本夏樹は大神由希記者に感謝していたんです。大神記者は全然悪くない。母を直撃取材して書いた『一問一答』が問題になっているようですが、それは間違っています。母はあの記事が掲載されたことを喜んでいました。きちんと言い分を載せてくれているからです。これまで母が進めてきた事業を悪徳商法と決めつけて書き散らかす記者とは違うと言っていました。あの一問一答は私も読みましたがなんら問題はありません。取材の仕方も礼儀正しく、的を射ていました。足で稼いで書いた記事でした。記者会見だけに来て、発言だけで記事にして満足してしまう記者とは違う。『重要参考人浮かぶ』という本記を書いたのは大神さんではありません。ごちゃまぜにして批判するのは間違っています」
理路整然と話すセイラに記者たちは圧倒された。後ろで見ていた刑事たちが一番驚いた。こんなにもよくしゃべるセイラを見たのは初めてだったからだ。
突然、会場が暗くなり、前面のスクリーンに映像が映し出された。公園で夏樹と大神が親しげに話しているシーンだった。場面が変わり、いきなり男2人がやって来て、大神を投げ飛ばす場面が流れた。激痛で顔を歪める大神の姿がクローズアップされていた。
セイラが大阪で撮影した動画と、松本の公園に設置されていた固定カメラの映像を繋ぎ合わせて編集したものだった。
大神と夏樹が映っているシーンはマスコミの格好の題材になった。テレビで何度も取り上げられ、ネットで拡散した。「大神は悪くないんだ」「悪漢にぶん投げられているではないか」「大神が悪人にされているのはフェイクだ」。大神に同情が集まった。
(次回は、■少女悪魔が明かした衝撃真相)
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小説「暗黒報道」目次と登場人物
目次
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発
第四章 孤島上陸
第五章 青木ヶ原の決闘
第六章 暗号解読
第七章 戦争勃発
第八章 最終決戦
エピローグ
主な登場人物
・大神由希
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
・下河原信玄
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
・後藤田武士
国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。
★朝夕デジタル新聞社関係者
・橋詰 圭一郎
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
・井上 諒
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
・興梠 守
警察庁担当キャップ。
★大神由希周辺の人物
・河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
・岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
・伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
・鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
・永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
・田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。
★下河原総理大臣周辺の人物
・蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。
・鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
・江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
・香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。
★事件関係者
・水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
・水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。