暗黒報道54 第七章 日本海海戦
■2週間の取材許可
新宿副都心のビルの一室。がらんとした空間の真ん中に置かれたソファに大神は座っていた。向かいに座る朝夕デジタル新聞社編集局長の鈴木、社会部長の田之上は、気難しい顔をして大神を睨んでいる。
前日夕方、大神が田之上の携帯に電話して「明日から新聞社に出社します」と伝えた。田之上はあわてて止めた。内閣府と警察庁から出頭命令が出ている大神が、のこのこと会社に現れたら大騒ぎになるのは間違いない。
だが、大神が相当な覚悟をもって電話をかけてきたことは予想できた。言い出したら聞かない性格であることもわかっていた。田之上は鈴木編集局長に相談して、3人だけで極秘裏に会うことにした。場所は、グループ企業が所有するビルで、現在使用されていない空き室を指定した。大神は時間ぴったりに現れた。素顔だった。
「尾行はついていないだろうな」。田之上が切り出した。
「大丈夫です。正体を隠して行動することは、『虹』で鍛えられましたから」
「変装もしていないでよく言うな。昨日もいきなり電話をかけてきて、『明日から出社する』はないだろう。君が置かれている立場を考えればもっと慎重な行動をとるべきだ」
「出社したらだめなんですか。すぐに取材に取り掛かりたいのです」
「だめに決まっているだろ。君には出頭命令が出たままなんだぞ。今は、逃げたことになっているんだ。我々も休職扱いにし、政府機関からの問い合わせに対しては、どこにいるのかわからないと答えている。それが社としての公式発表だ。君が休職を終えて出社するのであれば、その旨、国にも警察にも、そして世間にも公表して、これまでの経過を説明しなければならない」
「それから、公選首相選挙の方はどうなっているんだ」。編集局長の鈴木が神妙な顔で言った。「君は一時、公選首相の野党統一候補者として名前が上がった。その後、田島氏の立候補が有力視されたが、それも醜聞で消えたようだな。はっきりと聞かせてもらおう。君は立候補するのか、しないのか」
「立候補はしません。野党公選協から立候補要請を受けたことは確かです。でも私は最初から立候補しないと断っています。その気持ちは変わっていません。突然、社から消えたことについては申し訳なかったと思っています」と言った大神は、社会部デスクの井上諒と共に、逃げるように社から消えた経緯、その後の生活ぶり、「虹」に匿われていたこと、変装して取材活動をしていたことについて説明した。
鈴木と田之上は大神の話に聞き入った。井上から「大神は元気にしている」という情報はたまに暗号メールで入ってきていたが、問い合わせには井上は答えないので、2人がどこで何をしているのかについては知らなかった。想像をはるかに超える大神の体験談に2人はただ驚くしかなかった。
「地下組織『虹』については、政府もある程度の実態を把握しているはずなのに公表していないし、ニュースにもなっていない。得体の知れない反政府の抵抗勢力が存在しているようだという認識しかなかった。君はその組織のメンバーとして活動していたのか」。田之上が聞いた。
「いえ、私はメンバーになったという認識はありません。匿ってもらってはいました。共に行動したこともありました。しかし、メンバーではありません」
「共に行動したというのであれば、れっきとしたメンバーではないか」
「組織の内情を知り、役割を与えられた人のことをメンバーというのではないですか。私は組織の実態について聞かされていないし、役割もなかった。なので、変装して取材活動をしていました。会議に出た時にはオブザーバーとしての参加と言われました」
「井上はどうなんだ」。尋問のようになってきた。
「それは……。私にはわかりません」。井上は組織の主要なメンバーの1人だと考えられるが、それを大神が言う訳にはいかなかった。井上が自分で説明するべきことだ。
「組織の拠点はどこなんだ」
「それもわからないのです。各地を転々としていました。私が場所を聞いても『知らない方がいい』と言われて教えてもらえませんでした」
「わからないことばかりだな。とにかく、君は一時期であっても地下の抵抗組織と行動を共にしたわけだ。社会部記者の名刺を持って表社会で堂々と取材して回ることはできないし許さない。そういう立場だということを理解する必要がある。私の方は、君を出頭させるように説得しなければならない難しい立場にある」。田之上は語気を強めて言った。少しの間、沈黙が部屋を覆った。
「出頭の話は後にして、『すぐに取材に取り掛かりたい』というのはどういうことなんだ」。鈴木が聞いた。
「社会全体がおかしくなっている。北海道へのミサイル着弾にしても、「北方独国』との日本海での衝突にしても不自然なことが多すぎます。報道機関はどこがおかしいのかを取材して詰めていかなければいけないのに、動きが鈍い。国民は大事なことを知らされないままに、憲法改正の国民投票に行き、今度は、公選首相選挙という重要な選択をしなければならない状況に追い込まれている。いてもたってもいられないという気持ちになったのと同時に、一体私は何をしているんだという焦りが募ってきました。記者として正々堂々と取材したいと思いました。そうする必要を痛感しました。取材のとっかかりはあります」
鈴木と田之上は顔を見合わせて黙り込んでしまった。しばらくして田之上が口を開いた。
「ということは君が今やりたい取材は、北海道へのミサイル着弾と『北方独国』との衝突という戦争取材ということか」
「いえ、まずは、大阪の毒物混入事件です。『虹』にいる時も、変装をして取材を続けてきました」
「毒物混入事件だって。まだ、取材をしていたのか。もう大阪に任せて東京からの応援組はとっくに撤収しているぞ」。田之上が言った。
「お願いします。やらせてください。あと一歩なんです。もう少し取材すれば事件の真相が突き止められるんです」
「あの事件の真相を解明することに今、どんな意味があるんだ」
「今の政権の闇の部分につながってきます。ファクトの積み重ねで、闇が明らかになる可能性があるのです」
「政権の闇だと。君は驚くことばかり言うな。それならば、警察に情報提供して任せればいい。記者の仕事の範囲を超えているんじゃないか」
「キーパーソンは、セイラという亡くなった水本夏樹さんの一人娘なんです。でもセイラは警察からの事情聴取で、肝心なことについては話していない」
「君には話すというのか」
「はい。インタビューもして、事件の核心に迫ることができました。でもあと一歩なんです。セイラは小学生ですが、とんでもなく頭が切れます。私には話すと言いましたが、こちらが情報を持っていなければ相手にされません。セイラが話さなければならないぐらい追い詰めていく必要があります。そのために、最後の詰めの取材が残っているんです」
「何を言っているのかさっぱりわからん。小学生が事件解明のキーパーソンだとか、追い詰めるとか、あまりにも現実離れしている。君は『虹』と一緒に行動して頭がおかしくなってしまったのではないか」。田之上があきれたように言った。
「確かに理解してもらえないことかもしれません。私を信じてくださいというしかありません」と大神が言う。
「そのセイラとかいう少女の取材には応援がいるのか」
「1人でやらせてください。派手に立ち回ることはしません」
「どれぐらいの日時が必要なんだ」
「2週間で目途をつけます」
「2週間か」。田之上が天井を見上げた。困難な問題を抱えて困っているときにとる癖だった。
「取材のとっかかりがあると言ったのは毒物混入事件についてだけか」。今度は鈴木が質問役に回った。
「北海道へのミサイル着弾事案でも重要な資料を見つけました。『自作自演』という話がすでにでていますが、この件も取材を進めました。さらに裏付け取材をして真相を暴きます」
「その件は、1人では無理だな。今、編集局全体でチームを立ち上げて取材を進めている。君が独自につかんでいるネタがあれば、情報交換していく必要があるな」
鈴木は田之上に合図して2人で隣の部屋に入って行った。10分ほどして2人が再び戻ってきた。
「2週間の取材を認める。政府機関への出頭については2週間後に改めて私と社会部長の2人で決める。この間、くれぐれも危険は冒さないように。取材は変装をして隠密にすること。なにか異変があれば社会部長にすぐに連絡するように」
「了解です。ありがとうございます。ひとつだけ教えてください。社会部の山本デスクはまだ司法担当として仕事をしているのですか」
「司法担当は外した。地方版を担当させているが社内にはいる」
「山本デスクは政権側のスパイです。すぐに辞めさせるべきです」
「スパイという情報は入ったが具体的な証拠がない限り、辞めさせるわけにはいかない」。田之上が言った。スパイという指摘は、井上からの情報だろう。
「私の扱いはお任せしますが、私が今ここで話したことを部長がデスク会などで話されると、山本を通して下河原政権側にすべて伝わります。気を付けてください」
「わかっている。すでに山本には社内の機密事項は伝わらないようにしている」。田之上が言った。
「今日からの2週間、君に護衛をつける必要があるかどうかを社会部長と話した。君の考えはどうだ」。鈴木が聞いた。
「護衛の必要はありません。慎重に行動します。なにかあればすぐに取材を止めるし、部長に連絡します」
「わかった。2週間は、君はまだ休職の扱いのままにする。今日、我々と会ったことも秘密だ」。鈴木が念を押した。
(次回は、■「禁じ手」使い動画入手)
★ ★ ★
小説「暗黒報道」目次と登場人物
目次
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発
第四章 孤島上陸
第五章 青木ヶ原の決闘
第六章 暗号解読
第七章 戦争勃発
第八章 最終決戦
エピローグ
主な登場人物
・大神由希
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
・下河原信玄
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
・後藤田武士
国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。
★朝夕デジタル新聞社関係者
・橋詰 圭一郎
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
・井上 諒
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
・興梠 守
警察庁担当キャップ。
★大神由希周辺の人物
・河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
・岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
・伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
・鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
・永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
・田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。
★下河原総理大臣周辺の人物
・蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。
・鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
・江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
・香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。
★事件関係者
・水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
・水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。