暗黒報道㊺第五章 青木ヶ原の決闘
■サイコパスは小型核爆弾を持っていた
大阪で起きた毒物混入事件で実際に鍋の中に毒物を入れたのは誰なのか。
「真相解明のカギを握っているのはこの小娘だ」と後藤田武士は言った。
「セイラちゃん、知っていることがあるのなら教えて、お願い」。大神はセイラに呼びかけた。
セイラはスマホから目を離して大神を見た。笑みを浮かべていた。
「さあね、真相は藪の中よ。前にもヒントをあげたけど役には立たなかったのかな。1つだけはっきりしておくわ。ママはホテルに行ってから怖くなったのよ。怖気づいたのよ。だから私が代わりに白い粉末がいっぱい入った瓶を持って調理場に入って行った。言えるのはそこまで」
かわいらしい女の子の顔ではなかった。時々見せる冷徹さを秘めた大人の顔をしていた。
「それで、その後どうしたの? 調理場にいた誰かに手渡したの? それともあなたが間違って入れてしまったの?」
白い粉末の入った瓶を調理場に持って行ったというセイラの発言は衝撃だった。当時、宴会場には母親の水本夏樹がいたことは確認されている。調理場には国民自衛防衛団(民警団)本部事務局長の江島が入り込んでいたと大神はみている。核心まではあと一歩のところまできた。
「どうなの?」。大神はセイラに詰め寄った。すると突然、セイラが大声で泣き出した。不敵な物言いをしていた少し前からは、考えられないような泣き声だった。まるでイヤイヤをする赤ん坊が泣いているようだった。
「もうやめたらどうだ。鬼気迫る勢いでまるで取り調べだ。真相究明が必要だとか言って、小学生の女の子を脅してスクープネタをとろうとする。悪党はどちらだ。これは恐喝という立派な犯罪だ」。後藤田が醒めた表情で言った。
「小学生に罪を被せようとするなんて、ひどすぎる」。大神が後藤田に向かって言った。
「罪を被せようなどとはしていない。言っておくが、セイラは何度も大阪府警捜査一課の刑事や児童相談所の職員から話を聞かれている。リモートで会話もしている。最初は完全黙秘だったが、今では、自分の言葉で説明しているんだ。お前はいつもですぎた真似をする。警察ごっこはやめたらどうだ。事件の捜査は警察に任せればいいんだ」
すでにセイラは泣き止んでいた。そしてまた、何事もなかったかのようにスマホをいじり出した。セイラが調理場に入って行ったのは間違いなさそうだ。脅されて言わされている感じではない。これ以上、話す気はないようだ。
大神は時計を見た。すでに20分が過ぎていた。話題を変えた。
「白蛇島での大量虐殺は、後藤田会長の仕業ですね。民警団がいて、後藤田会長もスクリーンに登場した」
「フフフ、伊藤楓を捕らえたという情報が飛び込んできた。処刑ショーを観賞できるので興奮して、この屋敷からリモートでつないだ。そう俺に言わせたいのだろう。大量虐殺とか言ってるが、証拠はあるのか」
「私がこの目で見たのです。井上さんも見ました。報道機関で働く記者を連れて行って処刑していた。なんてひどいことを。楓も間一髪、危なかった」
「本当に遺体だったのか? マネキンではないのか。君が見たという遺体は今、どこにあるんだ。目撃証言だけでは弱いな。それから、河野からも情報を得ているのだろう。あいつの会社には、巨額の資金を提供してきたのに裏切りやがって。一般論として聞け。国が前に進もうとしている時に、邪魔をする奴は死ねばいいんだ。報道記者といううざい職業はなくなればいい。政権が国民を正しい道に歩まそうとしている。その方針を国民に伝えるだけでいいのだ。政府の宣伝、広報機関になればいいのだ」
「報道の自由、言論の自由は、民主主義の根幹です。それは歴史が物語っている。権力が暴走した時はどうするんですか。記者を次々に殺していくなんて絶対に許せない。民警団の会長を後藤田武士が務め、政権が支えている。そういう事実を国民のみなさんに示していく。報道機関の役割であり使命です」
後藤田が突然、笑い出した。
「許せないとか言っているが、かつてのフィアンセに拳銃を向けたのは誰だ。しかもぶっ放した。いい腕をしているそうじゃないか。ヒットマンとしてスカウトしようか。そんな暴力の極みに達した人間が、正義の名の下で行っている処刑を批判などできるのか。『言論の自由』が民主主義の根幹だとか、使い古された文言はもう結構だ。民主主義を標榜する国々を見ろ。『ウエスト合衆国』は世界中の国々から嫌われている。なぜか。強大な武力を誇示して、有無を言わさず従わせようとしているからだ。それが民主主義のお手本だとか笑わせるな。民主主義の時代は終わったのだ。選ばれた有能な人間がスピード感をもって政策決定し、実行していく時代に移行するのだ」
河野を拳銃で撃ったことを後藤田が知っているのは意外だった。「虹」にも後藤田のスパイが潜んでいるのか。いても不思議ではない。
「私が拳銃を撃ったことは認めます。その河野さんですが、総理執務室で先日殴られて重体になったことはご存じですよね」
後藤田と民主主義について長々と議論している時間はなかった。
「ああ、聞いた。バカな奴だ。忍び込んで、一体なにを盗もうとしていたのか。金目のものでも置いてあると思ったのか」
「いえ、泥棒ではありません。正義に基づく行動です。その河野さんを殺そうとしたのは岸岡、あなたね」
「えっ、いきなり何を言い出すんですか」。突然名指しされ、岸岡は驚いた表情を浮かべた。
「河野さんが総理執務室に入って間もなく、岸岡が入室したことは裏がとれている。警備員ら複数の人が証言しているんです。あの時間帯、あの部屋には、河野と岸岡の2人しかいなかった。岸岡は河野さんが幸福公園付近で生活していた時から行動確認をしていた。そして総理執務室に向かうのに気付き、後を追って入室し犯行に及んだ」
「違う、俺じゃない。俺は注意しただけだ。勝手に総理執務室に入って資料をあさっているから、『バカなことはやめろ』と言っただけだ。しばらくして駆け付けた警備員が河野を殴り、投げ飛ばしたんだ。そして動かなくなったんだ」
「警察に出頭して事実関係をきちんと供述してね」
「警察?」。岸岡は一瞬、怪訝な顔をした後、笑い出した。「警察なんかなにもこわくない。下河原総理が命令すれば、なんとでもなるんだ。マスコミと同じだ」
「報道機関の最上階で起きた事件の真相まで包み隠せると思っているの? 真相はかならず暴かれる。マスコミの力をバカにしないでね」
大神は腕時計を見た。35分が経っていた。後藤田の言ったことが本当であれば、武装した民警団の精鋭部隊3人が間もなくやってくる。限界だった。
「時間が来た。ここを出ましょう」。大神は井上に向かって言った。井上はゆっくりうなずくと、上着の内ポケットから拳銃を取り出した。
「えっ」と大神が驚きの声をあげると、井上は、天井や窓に向かって拳銃を3発、撃った。
「何をしているんですか」。大神が叫んだ。井上の行動は全く予期せぬことだった。その直後、「ゴーン」というすさまじい破壊音がした。玄関ドアが爆発して破壊されたのだ。ぽっかりと空いた穴から大勢の人間がなだれ込んできた。みな手に武器を持っていた。
井上の拳銃発砲は、急襲の合図だったのだ。
「なんだ、一体、何が起きたんだ」。後藤田が叫んだ。大神も茫然を立ち尽くしていた。
「後藤田、『虹』のメンバーがお前を捕まえに来たんだ」。井上が叫んだ。
「どういうことだ。大神、お前たち3人だけではなかったのか」
「私は……」。大神が何かを言おうとするのを井上が遮った。「大神には急襲の件は言っていない。タクシーの後を『虹』のメンバーがついて来てくれたんだ。今、この時しか、お前を捕まえることはできないと俺が考えた上での行動だ」
「話が違う。岸岡、貴様も知っていたのか。裏切ったのか」
「いや、私はなにも知りません」。岸岡は否定した。「井上はどこに行くのかと車の中で何度も大神に聞いていたし。まさか『虹』がついてきたとは知らなかった。そうか、あれは井上の演技だったのか。俺を騙したのか」
大神は後藤田の居所を突き止めた後、「1人で行ってくる」と井上に伝えた。井上は「危険すぎる」と反対した。結局、井上がついていくことで青木ヶ原に行くことが認められた。後藤田を少しでも油断させるために、井上と大神は対立しているように岸岡には見せかけていた。井上は大神には言わずに、「虹」のリーダーに相談した。
後藤田は立ち上がり、近くにあった黒いスーツケースを手に取った。
「近寄るな。これがなんだかわかるか」。さらにスイッチのようなものも手にした。
「なんだ、それは。札束でも入っているか? もう観念しろ」。井上が言った。
「驚くな。中には、小型核爆弾が入っているんだ。鮫島が『白蛇島』の研究所で完成させたものだ」。後藤田が小型核爆弾のボタンを押す仕草をした。
「待って。本当に核爆弾なの?」。大神が聞いた。
「フフフ、お前も井上も、鮫島が『白蛇島』で何を研究していたかを知っているだろう。そして、その成果物がこれだ」。スーツケースを広げて見せた。極小の機器類がぎっしりとはめ込まれていた。
「鮫島は天才だ。そして悪魔だ。このボタンを押せば、今ここで爆発すると同時に東京都内の繁華街に仕掛けた爆弾も同時に破裂する。下河原から、小型核爆弾の試作品を手渡された。いざという時に使っていいと言われている。お前たちが変な動きをすればボタンを押す。一瞬で、何十万人も死ぬ威力がある」
「あなたも死ぬのよ」
「覚悟の上だ。こんな立場にいれば、いつでも死ぬ覚悟はできている。お前たちにみすみす捕らわれるなんてまっぴらごめんだ」
「わかったわ。だからボタンは押さないで」。大神が言った。井上が、『虹』の兵士たちの動きを止めた。
後藤田は、セイラの手をつかみ、大きな窓を開けて外に出ようとした。岸岡と江島が付いて行こうとした。後藤田は岸岡を足で蹴とばした。岸岡はもんどりうって床に倒れた。江島も茫然と立ち尽くした。
「お前たちには、もう用はない」
「セイラは離してよ。核ボタンを持っていればいいでしょ。私たちは動かないから」
「そうはいかん。お前らはなにをしでかすかわからんからな」
大神が「セイラを返して」と言って真正面から近づいた。「寄るな」と後藤田が叫んだ。大神に気を取られた、その一瞬の隙をついて、井上が横から後藤田に飛び掛かった。そして持っていたナイフで後藤田の腕を刺した。小型核爆弾のスイッチが床に落ちた。
周りで待機していた男たちが走りよった。後藤田はセイラを連れて庭に飛び出した。
「セイラはいっちゃだめ」。大神も後を追って庭に出た。ヘリコプターのような機体が停まっていた。だが羽根がない。
「えっ、『カブトン?』」。大神が驚いて叫んだ。だがよく見ると、「カブトン」ではなかった。翼と車輪を装着した外国製の「空飛ぶクルマ」だった。前方には機関銃が装着されていた。後藤田がまさに乗りこもうとする寸前、大神はセイラにアタックするようにしがみついた。後藤田の手からセイラが離れた。ナイフで刺されていたために動きが鈍くなっていた。大神はセイラを抱えて「空飛ぶクルマ」から遠ざかった。
「空飛ぶクルマ」は垂直に飛び立った。同時に前方に備え付けられた機関銃から銃弾が乱れ飛んだ。後藤田が発射ボタンを押したのだ。大神の肩に銃弾があたった。大神は仰向けに倒れ、セイラも地面にたたきつけられた。
「虹」のメンバーも下から応戦した。「空飛ぶクルマ」が水平飛行に切り替え速度を上げた。樹木の上を飛び、遠ざかっていく。「虹」の狙撃手が狙い撃った。3発のうち1発の銃弾がエンジン部分にあたったようだ。煙が噴出した。バランスを大きく崩して、樹海の中に墜落した。
大神のセーターの右肩部分が破れ、血が滲みだしていた。足に怪我をしたセイラを抱きかかえた。
「大丈夫か」。井上が興奮した状態で言った。
「かすめただけだったので助かった。痛みは少しあるけど大丈夫。『虹』の戦闘部隊が来ているなんて全く知らなかった」
「君は反対するだろう。居場所を言わずに1人で行ってしまいそうだったから言わなかった」
「民警団の精鋭部隊3人はもう到着しているはずだけど」
「外に警戒要員を配置しているが、民警団が来たという報告はない。屋敷周辺の異常事態に気付いて分が悪いと思い引き返したのかもしれない」
後藤田の捜索は難航した。樹海に足を踏み入れることを躊躇するメンバーもいた。右肩をタオルで押さえつけた大神が言った。
「後藤田は絶対に生きている。みんなで捜すのよ」
岸岡と江島は「虹」のメンバーに捕らえられた。縄で縛られて床に転がされていた。
「いつから俺を疑っていたんだ」。岸岡が近くにいた大神に聞いた。
「楓と日本庭園で会っていた時、あなたは楓の後を付けていた。あなたが日本庭園の外でうろついているところを、『虹』の運転手が写真に撮っていたのよ。下河原の手先に成り下がっていたことを知った。そして、民警団精鋭部隊の訓練のニュースを楓に書かせたわね。私をおびき出そうとしたわけ? 河野さんと同じ手口。いくら私が鈍感であっても見抜くよね。岸岡、あなたはITの世界では天才かもしれないけど、権力争いに明け暮れる政治の世界にクビを突っ込んだら全くだめ。経営者にも向かない。駆け引きはできないし、悪知恵も働かない。企むことがあってもすぐに顔にでる」
「いたぞ」。樹海で、捜索していたメンバーが叫んだ。後藤田は墜落する寸前、パラシュートで脱出したのだった。大木の枝にひっかかり、ぶら下がった状態でぐったりしていた。瀕死の重傷を負っていた。
「後藤田を死なせちゃだめ。これまでの悪事のすべてを語らせるのよ」。後藤田発見の報せを聞いた大神が叫んだ。
山梨県警の捜査員が大勢駆け付けた。消防車、救急車も次々にやってきた。後藤田は救急車で病院に搬送された。江島と岸岡は警察が身柄を確保した。大神や井上ら「虹」のメンバーの多くは警察が到着する直前、樹海に入り込んで逃走した。しかし、逃げ遅れた「虹」のメンバー3人は洞窟に隠れているところを発見され連行された。
セイラは警察に保護された。核爆弾のスイッチは本物だった。一歩間違えれば、大惨事になっていたことになる。大神は警視庁捜査一課の鏑木警部補に連絡して、青木ヶ原樹海で起きた一部始終を報告した。
(次回は、■楓からの強烈な質問状)
★ ★ ★
小説「暗黒報道」目次と登場人物
目次
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発
第四章 孤島上陸
第五章 青木ヶ原の決闘
第六章 暗号解読
第七章 戦争勃発
第八章 最終決戦
エピローグ
主な登場人物
・大神由希
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
・下河原信玄
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
・後藤田武士
国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。
★朝夕デジタル新聞社関係者
・橋詰 圭一郎
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
・井上 諒
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
・興梠 守
警察庁担当キャップ。
★大神由希周辺の人物
・河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
・岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
・伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
・鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
・永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
・田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。
★下河原総理大臣周辺の人物
・蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。
・鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
・江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
・香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。
★事件関係者
・水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
・水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。