暗黒報道㊽第六章 暗号解読
■国家反逆罪に問える案件があるよ
大神は「虹」の拠点に戻ってから、大学教授竹島剛太郎の妻冬子から預かったメモリーカードをノートパソコンに取り付けた。発売されたばかりカードで特殊なロックがかかっていて、パスワードの解明が必要だった。冬子から聞いてきた数字や文字を組み合わせても開かなかった。井上、伊藤楓や同僚に頼んでみたがやはりわからなかった。
パスワードや暗号の解読に苦労したことはこれまでにもあった。
後藤田武士が率いた日本防衛戦略研究所に殺された伊藤楓の父親、青磁のパソコンを読む許可を青磁の妻からもらいながら、なかなか解明できなかった。その時は、取材チームを組んでいた河野と岸岡と3人でチャレンジした。相次ぐ著名人の殺人事件を解明しようと、3人で飛び回っていたことが思い出された。みな、正義感に満ち満ちていた。
岸岡は、暗号解読をライフワークにしていて、その世界でも「プロ中のプロ」とあだ名がつくほど有名だった。「岸岡君にやってもらうしかない」。大神は警視庁捜査一課の鏑木警部補に連絡をとり頼み事をした。青木ヶ原の事件現場も踏んだ鏑木は今、国民自警防衛団(民警団)による報道関係者や有識者に対する殺人事件の捜査にあたっていた。そのため、白蛇島で起きた騒動にも重大な関心を寄せていた。
翌日、大神は、永野洋子弁護士に頼み込んで、一緒に岸岡が収監されている丸の内警察署の拘置所を訪ねた。岸岡はすでに山梨県警から移送されていた。鏑木警部補から岸岡についての特殊事情について聞いた捜査一課長から丸の内警察署長に「捜査中の事件の解明に役立つ可能性があるので永野弁護士に協力してほしい」と連絡が入っていた。警察署長は捜査一課出身で鏑木の先輩でもあったので、鏑木からも個人的に頼んでいた。
大神は岸岡に面会した。面会の申請は永野が行い、大神は永野の助手という立場だった。変装は十分にしていた。岸岡は戸惑った表情を浮かべ、下を向いていた。
「いったい、何事ですか。また、俺を責めに来たんですか。俺は河野さんの後を継いで社長になって、総理の指示に従っただけなんだ」。なぜか怯えていた。大神に対してではなく、永野の方をチラチラと見ていた。
状況を察して永野が言った。
「夫の田島が反社会的勢力と癒着しているっていう記事を週刊誌に書かせたのはあなたね。暗躍していると書かれた暴力団の顧問弁護士は私なんだけど。実名でよく書いてくれたわね。あることないこと書かれたおかげで仕事のほとんどがキャンセルになった。なんか私に言うことないの?」
「いや、その、あの記事が出てしばらくしてから、なんか怖そうな人たちにつけ回された。生きた心地がしなかった。拘置所にいる方が安全な気がします」と岸岡はしどろもどろになっていた。
「若い衆が暴走するのを押さえるのが大変だったわ。でも安心して。岸岡君が1人でいる所を襲ったりしないようにちゃんと言っておくから。それでは本題にはいろうね」。完全に永野のペースだった。岸岡は全く安心できない様子でどこかおどおどしていた。
「実はメモリーカードのパスワードを突き止めて欲しいの。私が取材先から預かった新製品のメモリーカードにロックがかかっていて私たちにはどうしようもできない。中のデータをどうしても読みたいのよ」。大神が言った。
「なんで俺が。まもなく死刑になるのに」。岸岡はほとんどやけになっていた。
「なに言っているの。傷害罪で死刑なんかならないわよ。辣腕の永野弁護士に弁護を担当してもらえばいいから」
「そんな簡単に解けるものではない。しかもパスワードが仮に判明しても、フォルダごとにロックがかかっているかもしれない。文書ファイルだってそうだ。もし、俺が引き受けて解決することができなかったら、罪がもっと重くなるのか」
「なに訳のわからないことを言っているのよ。解けなかったら解けないでもいいから。パスワードもそんなに複雑ではないはず。とにかくチャレンジしてみて」
「拘置所に入っていてそんなことをしていていいのかな」
「その点は根回しができているから大丈夫。捜査一課の捜査のプラスになることだから特例として認めてもらっている」
「そもそもなんで俺のところに来たんですか。俺は大神さんを裏切った男ですよ。顔も見たくないのでは」
「だってこのミッションをこなせるのは、私の周りには岸岡君しかいないんだもん。お願い、頼む。この通り」。そう言うと、大神は両手を合わせて拝むような格好をした。隣の永野は呆れるような顔をして2人のやりとりを聞いていた。
結局、岸岡は、竹島教授夫人から大神が預かったメモリーカードとヒントになる数字と文字の一覧表、そしてノートパソコン一台を受け取った。岸岡は、作業部屋に1人で入り、黙々とパソコンに向かってキーボードをたたいた。
時間が過ぎていく。夜、消灯の時間になった。
「岸岡君、私は引き上げるから。このパソコンとメモリーカードは渡しておくからね。頼むわよ」
岸岡が独自でパソコンを使うことも警察署長の了解を得ていた。特例中の特例の措置だった。
岸岡は「夜は眠るから、暗号解読はやらない」と言っていた。だが、ここではなにもやることがないはずだ。パソコンさえ渡してしまえば、かつての暗号解読のプロとしての血が騒ぐはずだ。大神はかならず解明してくれると信じていた。
3日目の朝。拘置所から永野に連絡が入った。大神が永野と一緒に駆け付けた。
拘置所の職員からメモリーカードとノートパソコンを渡された。メモが一緒にはさんであった。
「随分とかかってしまった。でもこんなに楽しかったのは久しぶりだった」と書かれていた。幾種類ものパスワードが記され、フォルダ内の文書の読み方が丁寧に記されていた。
岸岡はもともとコンピューターをいじっていれば幸せな男だったのだ。政 治や経営の世界に入り込んでからおかしくなった。礼を言おうと思い、警察署員に面会希望を伝えたが、岸岡は会う気はないようで断られた。
大神はメモを書いて職員に預けた。
「刑を終えたらまた、一緒に取材活動しようよ。暗号解読は任せるからね」
メモリーカードの中の文書から、「密約」が出現した。コピーだった。
① 「ノース大連邦」は、「孤高の党」が政権を握るためにいかなる支援も惜しまない
② 「孤高の党」が政権を握った後、日本は「ノース大連邦」と防衛上の協力体制を構築する
③ 日本は「ノース大連邦」から兵器を購入する
④ 互いに他国から攻撃を受けた場合は、軍事的支援をする。北海道に「ノース大連邦」の拠点を設置する
⑤ ミサイル開発、核技術についての情報交換を行う
「ノース大連邦」大統領と下河原の署名があり、公印が押されていた。
戦後日本の政治、外交の根幹を揺るがす「密約」の存在だった。鮫島のパソコンから引き出した内容とは微妙に違っていた。何度か似た内容の文書を取り交わしていたようだ。
これで下河原は否定できなくなるだろう。記事に説得力がでてくることは間違いなかった。
大神はほっと胸をなでおろした。密約のコピーを印刷したものを井上と楓に渡した。
「一級品の資料だ。署名と押印が本物であることが確認できれば、関係者にあたった上で、ニュースにすることができる。今度こそ、新聞もテレビも取り上げてくれるだろう」と井上から返事が来た。
「すごいスクープですね。これってスピード・アップ社として最初に流していいのですか」と楓からも連絡が来た。
「もちろん。最初の一報を裏付ける資料だから。どーんと派手にいってね」
3日後。大神に井上から連絡が入った。署名と押印が大統領と総理の過去の公文書と照らし合わせて、本物であることが確認されたという内容だった。外務省関係者からの裏もとれた。
「密約文書のコピーを入手 全貌が判明 大統領と総理の署名と押印も」
楓の署名記事が再びネットで流れた。
「ノース大連邦」との「密約」が表面化して以後、下河原内閣の支持率は下がる一方だった。政府関係機関による世論調査でも、支持率が一時80パーセントあったのが65パーセントまで下がった。
新聞、テレビ各社も報道し、国民の間から怒りの声があがった。
それでも下河原は否定し、「捏造だ」と主張したが、与党の代議士の中からも批判が出始めていた。
大神は、さらにメモリーカードの中の文書ファイルを順番にチェックした。教授は世界中の語学に堪能で、文書も外国語が入り乱れていた。大学の講義記録もびっしりと含まれていた。その中で、ふと気になる記述に目が止まった。
「ミサイル発射」と、「ウエスト合衆国」の言葉で書かれていた。開いて文章を読み進むうちに、頭が混乱してきた。
北海道に打ち込まれたミサイルについてで、「ノース大連邦」の潜水艦から発射されたことになっていた。驚いたことにその発射について、「日本側のトップの指示」と書かれていた。
事実であれば、まさに「自作自演」だ。「発射した相手国は判明しているが、発射したことを否定しているので明かさない」というのが政府のスタンスだったはずだ。明かせるはずがなかった。そもそも、下河原が「ノース大連邦」側に依頼していたのだから。政府が真っ赤な嘘をついて国民を騙していたことになる。
しかし、ミサイルが北海道に着弾したのは10月11日。竹島教授はすでに通訳を辞めていた。どうして「ノース大連邦」の潜水艦から発射されたことを知っているのだろうか。耳に入って来た情報をメモとして残していただけなのだろうか。
井上に連絡して説明した。
「事実だとしたら下河原総理はなぜ、こんなことをしたんだろう」という大神の問いに、井上は「国民に危機感をもたらすためだろう。それしかない」と答えた。
「なぜ、北海道だったのか」
「さすがに最初から、都心に打ち込むことまでは考えていなかったのではないか。北海道の山奥に打ち込んでもけが人はでない。それでも十分な効果があった。あのミサイル攻撃の後に内閣の支持率は急上昇したんだからな」
北海道へのミサイル攻撃については、取材を積んでしっかりと裏をとることになった。下河原は全面的に否定するだろう。竹島教授も亡くなり、鮫島もいない。裏取り取材は困難を極めることが予想された。大神は自分が正面切って堂々と取材できないことが悔しくてしかたなかった。
大神は、白蛇島の事件捜査に当たっていた警視庁捜査一課の警部補鏑木に連絡をとった。自宅に夜回りをしていいかと尋ねたが断られた。その代わり、鏑木がよく行くスナックを指定された。行ってみると、奥の個室に案内された。
「なんじゃい、その顔は。変装か、それとも整形か」。鏑木が大神の変装姿を見るのは初めてだった。
「変装です。どれが本当に自分の顔がわからなくなる時があります。間違いなく大神由希です。今日は、時間をとっていただきありがとうございます」
「自宅になんか夜回りされたら困るんだ。この前も言ったが、大神は政権から睨まれている要注意人物だからな。こっちのクビが飛んでしまうわ。反逆罪に問われてしまうかもしれん」
「国家反逆罪に問える案件がありますよ。確度が高い情報です」
「なんだ、言ってみろ」
「容疑者は、下河原総理大臣。ミサイルを日本国に撃ち込んで、国土を損壊し、国民をだました疑いです」
「なんだ、そりゃ。もう勘弁してくれ。そんな話は報道機関がすっぱ抜けばいいだろう。俺は聞かなかったことにする」
「丸の内署の拘置所の件ではお世話になりました。岸岡君はさすがです。貴重な情報を入手できました」
「密約か。それにしてもあれは本当なのか。『ノース大連邦』に魂を売ってしまっているようなものだ」
「本当のことです。表面上は『ウエスト合衆国』と相互防衛条約を締結していながら、水面下では『ノース大連邦』と密約を交わしていた」
「全く信じられないことばかりだ。竹島教授のメモは受け取った。白蛇島で起きた殺人事件の被害者の可能性は高いな」。大神は、竹島夫人の了解を得て、メモリーカード内の文章の中で必要な部分を提出していた。
「とにかくわしらの仕事は、殺人事件の証拠を積み重ねて一件、一件、地道に立件していくことだ。殺されたり、行方不明になったりした対象人数が多すぎて、大変な作業量だ。『今の残業時間は日本一だ』と刑事たちがぼやいている」
「お疲れ様です。ところで後藤田の容体はどうなのでしょうか」
「意識は戻ったが、まだ取り調べもできない。記憶喪失にかかってしまっているようだ」
「記憶喪失? 装っているということはないですか」
「それはわからない。その可能性も考慮に入れて慎重に捜査を進めている。とにかく闇社会の超大物だからな」
「大阪の毒物混入事件の捜査は進展しているようですか?」
「江島はいったん大阪に移送された。事件への関与を認めたようだが、毒物を混入したことについては否定している」。民警団がからむ事件のついての情報はすべて鏑木に入るようになっていた。
「じゃあ、誰が混入したのですか」
「それがな」
「水本セイラなのですか?」
「江島はそうほのめかしている。しかし、それを信じていいのか」
「セイラからも事情聴取していると聞きました」
「自分が毒物を入れた瓶を持って調理場に入ったところまでは認めた。しかし、その後、その毒物をどうしたかについてはなぜか口を閉ざす。その仕草があまりにも堂々としていて、取調官が困っている、というか、気味悪がっている」
「夏樹さんではないことは確かなんですか? セイラちゃんがかばうとしたら母親しかいませんよね」
「水本夏樹は違う。防犯カメラにすべての行動が捉えられている。ビーフシチューの鍋には一度も近づいていない。ホテルの従業員の話でも裏はとれている」
「後藤田がセイラちゃんに近づいたのはどのような理由だったのでしょうか」
「セイラがどんな証言をするのか気になったのだろう。だが、実際にセイラを連れて来て、気に入ってしまったようだ。頭の回転が速いのに驚いたようだ。後藤田が預かり育てることになった。親戚の家には相当な金を渡したようだ」
「セイラちゃんは今、どうしているのですか」
「警察が保護している」
「警備が大変なのでは」
「ああ。だが、後藤田が入院している病院の警備の方がよほど大変だ。口止めするために後藤田を殺そうとしているグループがいるようだ。人の命を狙う連中はなんでもありだ。関連はわからないが、別の日には、『病院を爆破する』と電話がかかってきた。医師や職員はみなビクビクしている。とても異常な状態が続いている」。そういいながら鏑木は時間を気にするようになった。午後9時を回っていたが、まだ仕事が残っているようだ。
大神は最後に思い切って言ってみた。
「セイラちゃんに会わせてもらえませんか。本心を聞いてみたいのです」
「ああ、そうくると思った。実は水本セイラは、大神のことを『おねえちゃん』と言って会いたがっている。OKが出るかどうか、警察庁の偉いさんに聞いてみるわ」
すぐに「だめだ」と断られると思ったが予想外の返答に驚いた。セイラの扱いに警察は相当困っているようだった。
(次回は、■公選首相候補)
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小説「暗黒報道」目次と登場人物
目次
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発
第四章 孤島上陸
第五章 青木ヶ原の決闘
第六章 暗号解読
第七章 戦争勃発
第八章 最終決戦
エピローグ
主な登場人物
・大神由希
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
・下河原信玄
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
・後藤田武士
国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。
★朝夕デジタル新聞社関係者
・橋詰 圭一郎
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
・井上 諒
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
・興梠 守
警察庁担当キャップ。
★大神由希周辺の人物
・河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
・岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
・伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
・鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
・永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
・田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。
★下河原総理大臣周辺の人物
・蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。
・鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
・江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
・香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。
★事件関係者
・水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
・水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。