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暗黒報道㊻第五章 青木ヶ原の決闘

■楓からの強烈な質問状


 後藤田武士が青木ヶ原の樹海で瀕死の重傷を負ったことは、蓮見内閣官房副長官からすぐに下河原総理に連絡が入った。
 「あいつは不死身だと思っていたのに……」。電話を切った後、下河原はうめくようにつぶやいた。官邸の総理執務室で1人、椅子に腰かけていたが、足はぶるぶる震えていた。

 政権を握る5年前から後藤田とは二人三脚で活動してきた。青木ヶ原の拠点とは専用回線を敷き、リモートでたびたび情報交換してきた。
 「孤高の党」が大いなる野望を抱いて突き進むのにどうしても排除しなければならない存在を、後藤田はいともたやすくこの世から消し去ってくれた。きれいごとで革命は起こせない。なくてはならない存在になっていた。 

 後藤田は殺人容疑で指名手配された後、海外に逃亡中に自殺したことになっていた。半年前、知人の代議士が「会わせたい男がいる」と言って恰幅のいい男を連れてきた。「後藤田武士だ」と言われて驚愕した。骨格がしっかりしていて威圧感のあった顔は、整形してどこか丸みのある柔和な表情に変わっていた。

 「手伝えることがあればなんなりと言ってくれ。組織の一員になっても、フリーで動いても構わない」。後藤田はそう言った。2人の志は一致していた。冷徹非情な男の使い道はいくらでもあった。各地で組織化されてきていた国民自警防衛団(民警団)のボスになってもらった。後藤田は会長として活動する際には、「武宮」を名乗った。民警団の団員から優秀なメンバーを選抜して「精鋭部隊」を新設した。任務は暗殺だった。邪魔なジャーナリストの排斥から始めた。
 
 逮捕されれば間違いなく死刑が待っているという自分の立場を理解していた。「黒子に徹してくれ」という下河原の要請を受けて、政治、経済の表社会にしゃしゃり出ることはなかった。民警団の会長としての職務に徹した。

 民警団総会はマスコミの取材を断った。大神にはエサをまいたので、必ず来ると踏んでいた。大神は照明のバイトとして変装して潜入していた。だが、後藤田は至近距離で対面しながら見逃した。信じられない不手際だ。今から思うと、後藤田の賞味期限が近づいていたのかもしれない。
 
 一方で、大神は、民警団会長の武宮が後藤田だと見破った。報告を受けた「虹」がその情報をネットで広めたため、武宮としての活動も封じられることになった。

 後藤田は、富士山麓の青木ヶ原のわずかな民有地を買い取り、新築の屋敷を構えた。そこを拠点にして各地の民警団に指示を出していた。攻撃用の「空飛ぶクルマ」を庭に置いておきたいと言うので、「ノース大連邦」が戦場で使っていた「空飛ぶクルマ」を購入してやった。深夜に富士山や青木ヶ原の樹海上空を飛んでいたようだ。

 人の「死」が栄養剤だった。それも残虐な死であればあるほど全身が打ち震えるほどの快感を得る男だった。下河原が「表の権力者」であるならば、後藤田は「影の支配者」だった。
 
 「まったく、後藤田が殺人を指示し、その遺体を鮫島が食する。なんで俺の周りには異常な連中ばかりが集まってくるんだ」。下河原は何度もため息をついた。もっとも、そういう連中を集めて要職につかせたのは下河原本人だった。
 
 後藤田は今、手術を受けて面会謝絶になっている。警察による事情聴取も受けられる状況ではない。
 青木ヶ原の事件捜査は、山梨県警が担当するが、警察庁の差配で、警視庁捜査一課の捜査員5人が派遣された。後藤田が過去の事件で指名手配中というだけでなく、今、全国各地で起きている不可解な殺人、傷害事件、行方不明事案のカギを握る人物でもあるという見方からだった。捜査一課のエース、鏑木警部補も現場を視察した。

後藤田は面会謝絶。厳重な警備がしかれた

 下河原にとって、警視庁刑事部だけは思い通りにならない。いっそ、後藤田も死んでくれればよかった。後藤田が回復して捜査一課の聴取でペラペラと供述し出したら一大事だ。過去の殺人事件で、下河原も共犯として浮上してくる事態になりかねない。早めに息の根を止めるか。
 だが、後藤田が入院している病院は厳重な警備態勢が敷かれていた。病室には刑事や地域課の警察官が何人も張り付いている。「暗殺者が後藤田の命を狙っている」という情報を受けた警視庁捜査一課の意向だった。
 
 下河原は内閣官房副長官の蓮見を官邸に呼び出し、青木ヶ原事件についての詳しい報告を受けた。広報・宣伝担当の岸岡は、河野に対する傷害事件を自供し逮捕された。河野を投げ飛ばしたのは警備員だったが、岸岡はその前に河野を殴ったり蹴ったりしていた。江島は銃刀法違反容疑で逮捕された。

 「虹」のメンバー3人の逮捕については発表されなかった。3人の身柄は警察庁に移され、取り調べは警察庁警備局の特別チームが担当した。2人は完全黙秘だったが、1人は供述を始めた。その供述に基づいて、特別チームは複数の拠点を急襲した。あとの2人が供述し始めるのは時間の問題であり、「虹」壊滅の突破口になる、と蓮見は言った。3人の逮捕は、「虹」にとっても大きな打撃だった。
 
 江島と岸岡の供述内容についての説明を受けている時、下河原は、信じられない名前を聞いた。
 「大神由希」。後藤田を追い詰めた張本人だという。虹による「白蛇島」上陸にも大神が参加していた。
 「また、あいつか」。何度この言葉を口にしたことか。いらだちから、机の上に置かれていた書類の束を手あたり次第に投げ捨てた。卓上の最新鋭のパソコンも床に落ちて破損した。
 
 青木ヶ原の事件から5日がたった。
 下河原は逮捕された岸岡の代わりに急きょ、特別秘書を広報・宣伝担当に任命した。特別秘書が総理執務室にあわてた様子で飛び込んできた。
 「何事だ、バタバタして」
 「大変です。総理が『ノース大連邦』と密約を結んでいたという情報を報道機関がかぎつけて、総理大臣宛に質問状を出してきました。どうしましょう」
 「なんだと。どこの誰からだ」。下河原の頭に「大神由希」の名前が浮上し、緊張で体がこわばった。

 「えーと、質問状を出してきたのは、スピード・アップ社の伊藤楓です」
 「伊藤楓だと? スピード・アップ社は、政権のPR機関も同然なんだぞ。なんで俺に質問状なんかを出してくるんだ」。下河原の怒りは頂点に達した。着任したばかりの特別秘書は萎縮しておどおどするばかりだった。
 「もういい。早く見せろ」。下河原は、質問状を奪い取った。
 
内閣総理大臣 下河原信玄さま
 
日本と「ノース大連邦」との関係についての取材を重ねた結果、重大な事実が判明しました。国会での審議もなく、国民への説明がなされないままに総理の独断で結ばれた「密約」です。その内容は、日本の防衛、外交のルールを踏み外したものであり、総理がとった行為は、日本の国益を大きく損ねるものであります。どうしてこのような密約を結んだのかについての説明を聞かせていただきたいと思います。3日以内に文書での回答をお願いします。よろしくお願いします。
 
「ノース大連邦」の大統領と、下河原総理との間で結んだ「密約」の主な内容は以下の通り。
①   日本が専制国家になるために「ノース大連邦」はあらゆる手段を尽くす
②   軍事協力を進め、日本は「ノース大連邦」の兵器を購入する
③   「ノース大連邦」はエネルギーを優先的に低価格で日本に提供する
④   北海道に「ノース大連邦」の軍事基地を設置する
⑤   ミサイル、核開発についての技術的な協力態勢を組む
 
スピード・アップ社報道記者 伊藤楓

「質問でーす」。伊藤楓が手をあげた。内容は強烈だった

 「なんなんだ、これは」
 国家の最高機密が新人同然の記者の質問状に列挙されている。密約の内容と、口頭での申し合わせがごっちゃになってはいるが、概ね正しかった。「密約」の原本が盗まれたのではないか。あわてて、執務室の後ろにある据え付け金庫を開け、中を探った。「ノース大連邦」と交わした「密約」の文書は確かにそこにあった。

 「鮫島だ」。下河原は「ノース大連邦」との間で交わした約束事についてはごく数人にしか話していない。そのうちの1人が、爆死した内閣府特別顧問の鮫島だった。鮫島が自分のパソコンに交渉経過を記録しておいたのだ。大神たちが白蛇島に上陸した時に、鮫島のノートパソコンを持ち出したことは確認されている。そこからデータを盗み取ったに違いない。

 下河原は特別秘書に言った。
 「これは、密約の中身を漏れ聞いた人物からの伝聞情報だ。密約文書そのものを入手したものではない。当事者の『ノース大連邦』大統領と私が全面否定すれば、記事にはできないはずだ。こちらが動揺することを狙って質問状を出してきた。大神がよく使う手法だ。すぐに全面否定しろ。『ノース大連邦』には俺の方から言っておく」
 
 特別秘書は「大神ですか。伊藤ではなくて」と聞いた。
 「大神がバックで動いているのは間違いない。そんなことはお前が気にしなくていい。否定のコメントだけすぐに出しておけ」
 特別秘書は「全くの事実無根。密約などかわしていない。質問状に書かれている内容はすべて虚偽である。虚偽内容を並び立て、総理大臣に対して質問状を出してくる行為はマスコミ規制法に明確に違反する。会社と質問状の執筆者は厳罰に処す」とコメントを書いた。回答先は伊藤楓名のメールアドレスになっていた。

 「とにかく、早急に手を打とう。マスコミ規制法違反で、スピード・アップ社を摘発しろ」。下河原は相当焦っていた。
 
 その日夕方、スピード・アップ社は家宅捜索を受けた。しかし、新人の総務部の女子職員1人がいるだけだった。関連する資料を押収しようとしたが、すでに持ち出された後だった。伊藤楓に出頭命令が出されたが、職員は「伊藤さんがどこにいるのかわかりません」と困ったように言った。
 
 3日後、スピード・アップ社のネットニュースで、「『ノース大連邦』大統領と下河原総理が密約? 軍事協力など5項目 総理は全面否定」という記事が流れた。そして、岸岡社長が開発して評判になっている「岸岡システム」が使われて、記事は瞬く間に世界中に流れた。
 マスコミ規制法を恐れて静かだった新聞社、テレビ局は裏付け取材に走り出した。

 「ウエスト合衆国」は怒り心頭だった。相互防衛条約を結んでおきながら、敵対する「ノース大連邦」とも「密約」を結んでいたことに激怒するのは当然だった。大統領補佐官から下河原に電話があり、「密約についての真偽とその内容について説明するように」と強い口調で言ってきた。「密約なんて存在しない。スピード・アップ社というのは、フェイクニュースを書き散らかしてきた会社だ」と下河原は否定するのに躍起だった。

 世界各国から問い合わせが殺到した。「孤高の党」の幹部からもどうなっているのかという声が出てきた。国会でも追及された。下河原は、密約について否定を続けた。

 一方、「ノース大連邦」大統領の報道官は「日本の下河原総理とは就任当初からさまざまな分野で協議を続け、信頼関係は築かれている。密約など必要はなく、堂々と表舞台で交渉をしている。エネルギーについての経済協力については合意に達し、先日、東京で共同記者会見をしたばかりだ」とコメントを出した。

 密約の存在については明確な否定はなく、下河原との蜜月を匂わせただけだった。

(次回は、■大学教授の死)

         ★      ★       ★
         小説「暗黒報道」目次と登場人物           
目次
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発
第四章 孤島上陸
第五章 青木ヶ原の決闘
第六章 暗号解読 
第七章 戦争勃発 
第八章 最終決戦
エピローグ

主な登場人物
大神由希 
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
下河原信玄 
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
後藤田武士 
国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。

★朝夕デジタル新聞社関係者
橋詰 圭一郎 
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
井上 諒   
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
興梠 守   
警察庁担当キャップ。
★大神由希周辺の人物
河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。

★下河原総理大臣周辺の人物
蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。        
鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。

★事件関係者
水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。






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