暗黒報道62 第八章 最終決戦
■投票直前の批判記事 確証はあるのか
朝夕デジタル新聞社編集局長室では、局長と部長、デスクの間で緊迫した議論が繰り広げられていた。選挙戦が大詰めを迎える中、選挙本筋やドローンによる爆破事件とは別の取材をするチームがあった。日本海での日本と『北方独国』との衝突について、下河原総理による謀略だったという疑惑を追いかけていた。
大神が重ねてきた取材結果を参考にしながら、朝夕デジタル新聞社会部の7人の精鋭チームは、疑惑の裏をとることに専念してきた。取材班には、「謀略説」を裏付ける情報が次々に入って来た。だが大半は証言だった。集まって来たデータで記事化が可能かどうか議論を重ねた。北海道のミサイル着弾に続いて、日本海での衝突もやらせだったことが表面化すれば、政権にとって大きなダメージになる。しかも選挙戦の終盤だ。下河原陣営は即座に記事の停止を求めてくるだろうし、強制捜査に踏み込む可能性もある。選挙妨害だとして裁判に訴えてくるのは確実だ。裁判で勝訴できるだけの証拠、証言が最低限必要だった。だが、取材の中心だった大神がドローン攻撃に巻き込まれて重傷を負い、チームは柱を失った。
「記事の出稿を見送らざるをえない。選挙期間中だ。しかも最終盤だ。選挙妨害と言われて訴えられる。選挙後の出稿でも十分に意味がある」。精鋭チームの担当デスクが言った。これに対して、大阪社会部から参加した小林デスクは反対した。
「訴えられるのが怖いのであれば、新聞社はいらねえ。今、現実に疑惑があるのだから記事にするべきだ。その上で読者、有権者に判断してもらおう」
「選挙期間中は一段とハードルが高くなる。投票に多大な影響を及ぼすわけだから、慎重になるのは当然だ」
「選挙期間中でなければ今集まったデータで出稿するか」
「ゴーサインを出すかもしれない」
「選挙中だからと出稿を見送ったとなると、選挙が終わった後、なぜ見送ったのかと追及されるだろう。権力に屈した、怖くてビビったといわれる。そちらの方が長い目で見ればダメージは大きい。新聞社の存亡にかかわってくる」
「なぜ見送ったのかについては、確証が得られなかったからだと言えばいい。最後の詰めができなくて見送ったネタは過去、いくらでもある。今回は証言の中でも、肝心なものは匿名だ。裁判で証言してもらえるものは少ない」
「有権者に事実を伝えて何が悪いのか。嘘八百であれば当然罰せられるだろう。だが、事実であれば選挙当日になっても公開するべきだ」
「事実だと判断する基準はデスクによって違う。さっき俺は普段ならゴーサインを出すかもしれないと言ったが撤回する。やはり最後の決め手になる確証が欲しい。動かぬ証拠がほしい」
「言うのは簡単だが、これ以上、どこにそんなもんが転がっているのか。生死を彷徨っている大神に頼むか。確証を取ってきてくれと」
「不謹慎なことを言うな。大神も出稿する時はいつも慎重だ。だからこれでもかというほどの取材を積み重ねているんだ」
記事化についての結論はでなかった。
そんな激論が交わされている時、弁護士の永野洋子が田之上社会部長を訪ねてきた。田之上は会議の席をはずして永野に会った。
永野は1枚のペーパーを差し出した。
そこには、「北方独国」と日本とが日本海で衝突するという筋書きが書かれていた。
「これは一体……」。社会部長が言葉に詰まるのを見て、永野が説明した。
「日本海での衝突の前に、下河原総理が側近に話した内容よ。日時、場所ともにここに書かれた通りの衝突が起きている。下河原総理のもくろみ通りに事が進んだことが鮮明にわかるわ」
このやりとりは、下河原が話した内容を岸岡が録音していたものだった。岸岡は盗聴の意識はなく、総理の指示を正確に把握するための手段だった。大神と永野が拘置所で面会した時、岸岡は日本海での衝突について大神が取材した情報を否定せず、肯定の意味でうなずくだけだった。だが、下河原との会話の内容を録音して保存しておいたことについては話さなかった。
その後、岸岡は大神がドローンの爆発の被害者となり、生死を彷徨っていることを知った。すぐに永野に連絡して、録音データのありかを伝えた。
「下河原総理の声だ。だが、このデータが衝突の前に録音されていたことが証明できなければ意味をなさない」。社会部長が言った。
「その点は大丈夫。録音した人物はITに関しては天才で、用意周到な性格なのよ。スマホのほかⅠCレコーダーでも録音しているし、実は小型カメラで動画もきっちりと撮影している」
「この下河原総理の発言はいつのことなんだ」
「ノース大連邦の外務大臣が来日して下河原と会見した直後よ。記者会見の模様も撮影されている。本物かどうかは、動画や音声の専門家が調べれば一目瞭然よ」
「すごい。一級品の証拠資料じゃないか。この会話を録音した人物は一体誰なんだ」
「今は言えない。本人は今、微妙な立場なので匿名を条件にしている。だが、真偽を巡って裁判で争うような事態に発展すれば、証人として出廷すると言っている。大神さんもよく知っている人物で、身元については弁護士である私が責任を持つ」
「わかった。記事にする際は表現に気を付ける。だが、なぜ、今、この資料を提供する気になったのだ」
「大神さんが以前取材した時ははっきりとは話さなかった。でも、ドローン攻撃の写真を見て、気が変わったみたいよ。何事にも命を賭けて取り組んでいる姿に感銘を受けた、と言っていたわ。録音データと動画は大神さんに渡して欲しいって。でも本人は入院中で受け取れる状態じゃないから、社会部長が受けとってくれればいい」
「わかった。確かに預かった」
岸岡からの情報提供は、記事化に向けての決定的な証拠になった。取材陣は活気づいた。関係者に再度総当たりした。記事化が前提だと、取材に熱と勢いがこもる。取材を受ける側も真摯な態度で対応し、核心部分をはぐらかしたりしなくなる。
「日本海での日本と『北方独国』との衝突は、下河原総理の謀略だった」
朝夕デジタル新聞の朝刊がスクープで埋め尽くされた。選挙戦最終日の2日前だった。
「またしても出来レース。下河原総理が『ノース大連邦』に依頼して企てたものだった」という衝撃的な記事だった。
日本海での「北方独国」との交戦について、下河原はまたも完全否定したが、信じるものが少なくなっていた。防衛関係者の中からも反発してくるものがいた。言論弾圧も限界にきていた。
下河原は激怒した。
「選挙妨害だ。事実無根だ。名誉棄損で訴える。投票日直前の候補者への攻撃はありとあらゆる法律に違反する。田島と朝夕デジタル新聞社は共同戦線を張って政権を倒そうとしている。マスコミ規制法を適用して新聞の発行を止めさせろ」
翌日から、朝夕デジタル新聞社の輪転機は止められ、強制的に新聞の発行が禁止された。デジタル配信も禁止された。
編集局長の鈴木は、報道機関から取材を受けた。
「記事がすべてだ。端緒をつかんでから総力を挙げて取材を重ねてきた。裏取りができた段階で記事にした。それがたままた選挙中だった。現政権が関わる問題で、記事を書くだけの材料を手にしているのに、選挙中だという理由で記事にしないのはおかしい。あえて掲載を選挙後にする方がマスコミとしての本分を問われることになる。権力が新聞の発行を禁止するなどという暴挙は許されない」
(次回は、■ドローン事件の真相。そしてホテルのスイートルームに現れた女の正体は)
★ ★ ★
小説「暗黒報道」目次と登場人物
目次
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発
第四章 孤島上陸
第五章 青木ヶ原の決闘
第六章 暗号解読
第七章 戦争勃発
第八章 最終決戦
エピローグ
主な登場人物
・大神由希
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
・下河原信玄
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
・後藤田武士
国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。
★朝夕デジタル新聞社関係者
・橋詰 圭一郎
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
・井上 諒
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
・興梠 守
警察庁担当キャップ。
★大神由希周辺の人物
・河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
・岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
・伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
・鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
・永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
・田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。
★下河原総理大臣周辺の人物
・蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。
・鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
・江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
・香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。
★事件関係者
・水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
・水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。