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一緒に進んでいるような感覚。

『迷走戦士 永田カビ』永田カビさんの新刊です。
その前の『現実逃避してたらボロボロになった話』も
まだ読んでいなかったので、一緒に購入。

ボロボロになった方は、アルコール性急性膵炎で入院して、もうエッセイは描かないと決めていたのに、なぜ描いたか…という話。
迷走戦士の方は、「愛し愛される」ことに憧れて色々やってみて、色々考えたこと…という話。

ボロボロの入院生活が、懐かしい。

点滴外れて、しばらくは「ねじ式」をしていた気がするけど、あんまり記憶に残ってないから、すぐ普通に外れたんだろうな。
「そこ外れるんだ!」って思った記憶はある。

ネット情報などでこの病気にこの食べ物はダメ!って見ても、病院食に出てくるのは、どの病気でもあるんだね。
きっと食べる量の問題なんだと思うんだ。
昆布(出汁も)10年くらいは我慢したけど。

薬一生飲むのは分かってて手術したから、カビさんのようにショックは受けなかったけど、やっぱりショックなのかなぁ。
最初に手術の可能性を出されて調べたのが中学生だったからなぁ。

そして、私は「この日に退院です」って決まってて入院してたから、退院決まって喜ぶこともなかったんだけど
1度目の入院のときに、女子高生かな?脳外科で急に入院になっちゃった子が同部屋で、毎日お母さんに「帰りたい」って泣いてるのをカーテン越しに聞いてたのを思い出した。
私が退院する日に、同部屋のおばさんと話してたら、たまたま出てきて少し話せたけど、可愛らしい子でした。

入院懐かしい!に偏ってしまった。
素晴らしいのは退院後に自分と向き合うところです。

こういう「やりたいこと」が本当は分かっているのに、自分で見えなくなってぐるぐるすることって、みんなあるんじゃないだろうか。
私はある。とてもある。

その過程をしっかり作品にできるカビさんがすごいと思う。

さて、迷走戦士。

何年か前に「自分と結婚式をする」という、1人でバージンロードを歩くシュールな絵面をTVで見たことがあったので、それかと思ったけど、違いました。

こういうエッセイに出てくるデリカシーない先生って、なんで先生やってるんだろう。
小学校、高校で体罰はあったけどな。私は遭ってないけどな。

「生きづらさを克服する系のエッセイ」において、しれっと登場する「主人公の理解あるパートナー」という存在、この存在はどっから出てきた…?と、まるで手品でも見るような気持ちで拝読していた

これ、すっごい分かる!(°∀°)

そして私は「パートナーがいないと克服できないんだな」と思い込み、カビさんと同じような迷走をしました。

おひげくんが現れて、よかったね。

今の私は「赤ちゃん」を見ると悔しくて泣いたり怒ったりします。
ヴェプショクネドロゼロより情報を持ってしまっているんだな、赤ちゃん。

カビさんが今、「味噌汁うめー!」って過ごせていることが嬉しいな、と思うのは、勝手にすごく似ていると思っていて、親近感を持っているからです。

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