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なんで、そんなにみんなに読まれたいの?
もっと多くの人に読まれたいんです。フォロワーさんをもっと増やしたいんです。そんな声をたくさん見かけるようになって、ちょっと不思議に思う。
なんで、そんなにみんなに読まれたいの?
これってさ、前提条件が抜けてないかい?
(とても役立つことだったから)もっと多くの人に読まれたいんです。(知ってもらって、みんなが役立ててくれればみんなちょっとだけ幸せになるし)
(自分が困ったことだから)もっと多くの人に読まれたいんです。(困ってたときに情報がなくて調べるの苦労したから、同じ苦労をする人を減らしたくて)
この、( )の中のことが抜け落ちたままの「読まれたい」は成立しづらい。
もっと読まれたい=もっと自分に興味を持って欲しい、なぜなら寂しいし認められたいしチヤホヤされて楽をしたいから、と言われたらどう思うかな?
読まれたい割に読まない人たち
読まれたいと言っている人に限って、ぜんぜん人のnoteを読んでいないな...と思ってしまうことも多い。
人のnoteを読んでいないから、人が読みたいと思うnoteを書けないんだよね。
なのに、自分のは読んで欲しいって思うわけだ。自分は読まないけど、人には読んで欲しい。これは時間と価値の交換じゃなく、他人の時間の略奪なんだけどね。
役立つことだったり、困ったことだったり、初対面でも読みたい内容なのか...それとも、初対面じゃない人との読んでもらえる関係性が築けているのか...
関係性が築けていれば、内容は別に役に立たなくてもいい。あの人が今日も元気で暮らしているなら、その暮らしをちょっと覗き見できればそれで十分だったりする。
親や親戚や友人からの手紙、そこにコンテンツの質とかはさほど必要ない。
誰とも関係性を築こうともしないで、役立つ内容もおもしろいことも書けず、かといって悩みや苦しみをさらけ出すほどの勇気もなく、でも見つけてほしいと願う。
そんな人が、意外に多いのかもなぁ...と、まだ見ぬ名作を求めて検索して探し回りながらふと思った。
下心の使い方
別にSNSをやる上で誰もが清廉潔白に誰かのために動こうだなんて言うつもりはない。壁の落書きも、無意味なつぶやきもあっていい。
損得勘定とか、稼ぎたいとかモテたりとかチヤホヤされたりとか、まぁそう言うドロドロした人間っぽい欲望があるのは別に悪いことじゃない。
その上で、そのドロドロをそのまんま無加工で陳列しちゃって読まれたいとか言っちゃうのは、読む側のことを考えてる?というのが疑問なんだよね。
同じようなケースで、日頃ず〜っと自分の宣伝しかしない人も見かける。
自分の宣伝ばかりで、人の宣伝はほとんど手伝わなくて、なのにフォロワー数の多そうな人に「拡散をお願いします!(無料で)」と言ってきたりする。
なかなかストレートな下心っぷりだけれど、これはナシだよね。
人のことを助けていないのに、助けてもらえることはまずない。こういうのは持ちつ持たれつ、助け「合う」ものなのだから。
影響力が欲しいとか、時代の激変のタイミングで物理的な営業が弱くなるからSNSを強化したいとか、まぁ色々あるよね。
でも、こういうのって順番が大事。
トリッキーな方法もなくはないけれど、やっぱり地道に人間関係を築きながらコツコツと誰かの役に立つことを書いていくのがいいんじゃないかな?
そんな風に、たくさんnoteを書いていて思っています。
読まれたいならまず人のを読もうよ。
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