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別の意味で衝撃的だった… | 「いなくなっていない父」(著:金川晋吾)

こんにちは
イデアレコードの左川です。

先日、新宿の紀伊國屋書店で大人買いした本の中に「いなくなっていない父」(著:金川晋吾)があった。とはいえ、買ったはいいものの気分的にどうしてもなかなか読むには至らなかったのだが、翌日を気にしなくていい土曜の夜ということもあり一気に読んだ。

気鋭の写真家が綴る、親子という他人。
千葉雅也氏(哲学者、作家)、小田原のどか氏(彫刻家、評論家)、
滝口悠生氏(作家)、激賞! 著者初の文芸書、衝撃のデビュー作。

その後のことを知っている私には、父のことを「失踪を繰り返
す父」と呼ぶのはどうしても過剰なことに思える。私がそう思
うのは、「父がやっていることなんてそんなにたいしたことで
はないんです」と謙遜するような気持ちもあるが、本当のとこ
ろは、「父という人は、『失踪を繰り返す』という言葉で片づけ
てしまえるような人ではないのだ」と自慢げに言いたい気持ち
のほうが強くある。――(本文より)

『father』にて「失踪する父」とされた男は、*その後は失踪していない。*
不在の父を撮影する写真家として知られるようになった著者に、
「いる父」と向き合うことで何が浮かび上がってくるのか。
時に不気味に、時に息苦しく、時にユーモラスに
目の前に現れる親子の姿をファインダーとテキストを通して描く、
ドキュメンタリーノベル。

amazonの紹介文より引用

父と自分に関することを延々と描き続けるということは自分では到底できないと思う。
自分の気持ちのちょっとした変化を語ることは、すぐに忘れてしまう自分では無理だ。自分の中での葛藤や対話的なものを語ることは、気持ちを表す語彙が足りない自分では無理だ。自分の家族について赤裸々に語ることは、恥ずかしがり屋の自分では無理だ。

本書ではいなくなっていない父とひたすら向き合った詳細な経緯が続いていく。だが、自分としては最終章が衝撃的過ぎた。。。

一体、これは何なのだ?
それまで延々と語られてきたことのすべてが吹っ飛んでしまった…

ある意味、今年一番の衝撃作であった。
興味のある方は是非、最初から1ページずつ飛ばすことなく読んで欲しい。

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