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PDCAサイクルを“イノベーションの壁”にしない組織開発

 4月に新入社員を迎える組織の人事部の3月は、その準備に忙殺されることでしょう。そして、その中には、新入社員研修についての議論も含まれるのではないでしょうか。
 そこで、新入社員研修の鉄板テーマであるPDCAサイクルについて、少し考えてみたいと思います。


クレーンゲームから想うこと

 クレーンゲームをやったことはありますか?
 よほどの達人でない限り、大抵、1回目は失敗します。そこで、その失敗を反省し、もう1回、挑戦をするのではないでしょうか。
 しかし、1度、自分が動かした景品がある以上、そこは、先ほど失敗した状態と同じではありません。

 クレーンゲームは、このように少しずつ異なる状況に、過去の経験を活かしながら対処していくゲームと言えるでしょう。

 このようなクレーンゲームの、ゲームとしての構造は、挑戦者が失敗することを前提にしています。
 しかも、反省と修正のサイクルを、短期、それも超短期に捉えています。なぜなら、再挑戦の機会が1週間後であれば、おそらく、先の失敗から得た経験は、もう忘れてしまっているからです。
 これは、PDCAサイクルを体現していることと、同じではないでしょうか。

失敗を探しにいく

 クレーンゲームは、「1度成功したら終わり」とはならないでしょう。1度商品を手に入れた喜び、すなわち成功体験を手にした者は、おそらく、さらに同じようなクレーンゲームに挑むことになるでしょう。
 そして、その繰り返しにより熟達すると、徐々に簡単に取れるようになります。
 そうなると、取れたときの快感と、試行錯誤がなくなる“飽き”から、さらに別のタイプのクレーンゲームに挑むようになるのではないでしょうか。

 おそらく、PDCAサイクルが身に付くとは、このような状態になることを指しているのだと思われます。

 ただビジネスでは、「だいたい取れる」を、「必ず取れる」まで繰り返すことになると思われます。
 これは、換言すれば、「失敗を探しにいく」行為であるとも言えます。
 だから、部下・後輩指導において、出来たところを褒めるよりも、出来ていないところを探して指摘するような文化がある組織は、「PDCAサイクル」という呪縛に囚われているかもしれません。

失敗を許さない

 また、「失敗を探しにいく」組織では、失敗が許されないことのように考えるようになります。

 しかし、そもそもPDCAサイクルは、失敗することを前提に使用されるものです。にもかかわらず失敗を許容しないことは、PDCAサイクルを使用することと矛盾します。

 そこで“評価”(C)とは、失敗ばかりではなく、成功も含むと主張する人がいます。
 確かに、成功要因を他に転用することは、PDCAサイクルの考え方に合致します。ただし、それは、ある機種から別の機種に移るときの糧となるものでしょう。
 すなわち、「あのゲームでは、こうやって成功した」という成功体験を、そのままに活用し、失敗することで、「この機種なら…」という新たな発見を得るわけです。
 そして、このような経験が蓄積されることで、対処できる範囲が、加速度的に広がっていくわけです。

 しかし、やはり、それを実現するためには、失敗という経験を経なければならないのです。
 したがって、PDCAサイクルでも、成功体験は重要ではありますが、それは失敗を許容しないことにはならないと思われます。

 PDCAサイクルを強調することで、失敗への許容度が下がり、結果的にPDCAサイクルが機能せず、だからPDCAサイクルをより強調して、さらに成果が劣るという堂々巡りを繰り返している組織は、案外、多いように思われます。

大きな改善も無視される

 さらに、PDCAサイクルの本質がクレーンゲームにあるのであれば、長期的視点でPDCAサイクルを捉えることに、正当性は見出されないように思われます。

 おそらく工業製品を扱っている組織では、期間を大・中・小と区切って思考します。そのため、期間と連動して捉えられるPDCAサイクルもまた、大日程・中日程・小日程ごとに存在すると考えるに至ったように思われます。

 しかし、PDCAサイクルで得られる成果は、改善の範囲に留まります。したがって、超短期で起こる改善効果は、超短期で考えるから大きな成果とみなされるのであって、長期の視点で見れば、それは無視できる程度の成果となるでしょう。

 ただ、それが積み重なれば、大きな成果とはなります。
 例えば、10人が関与するラインで、1人1分の改善が図れれば、10分の改善となり、それで1日1個、多く生産できるとすれば、年間では360個も多く生産できることになります。

 このように、1人ひとりが、明確に連動している場合は、確かに小さな改善が大きな成果に繋がりますが、多くの場合、生産ラインのような直接的なつながりは持ちません。
 小口伝票の処理担当が小さな改善を行ったとしても、売掛金担当の改善と結びつくことはないでしょう。

 そのため、個々人の評価は高いのに、組織としての成果は上がっていないという組織もまた、案外、多いのではないでしょうか。

イノベーション(革新)に繋げるPDCAサイクル

 例えば、在庫チェックにかかる時間を、1時間から50分に短縮できた場合、新たに生まれた10分は、その改善を行った本人に帰属します。
 すなわち、その10分をどのように使って、どのような成果に繋げるかは、PDCAサイクルで検討することはできないのです。

 おそらく、その10分は、改善ではなく、革新に向かわせる10分とすべきなのでしょう。

 改善とは、現在の肯定から始まります。一方、改革は、現在の否定から始まります。
 ゲームは、ルールがあって初めて成り立ちます。すなわち、そのルールを否定してしまっては、そもそもゲームが成り立たないということです。

 東京オリンピック2020の開催で揺れたとき、体操の内村航平氏は、「出来るか、出来ないかの議論ではなく、どうしたら出来るかの議論をして欲しい」と訴えました。

 ビジネスでは、「現実的に」という視点が求められます。それは、クレーンゲームのルールのように捉えるかもしれません。
 しかし、改革を志すのであれば、まずは妄想を受け止め、「出来るか、出来ないかの議論ではなく、どうしたら出来るか」の議論が必要でしょう。

 そして、そのように、成果を生むかどうかもわからないことに費やす時間は、普通に考えていては生まれません。
 おそらく、PDCAサイクルが真に価値を発揮するのは、「乾いた雑巾を絞る」ことではなく、こうした余裕を生むときでしょう。
 だからこそ、PDCAサイクルを身に付ける必要があるのだと考えます。

 なお、リーダーシップについては、「憧れの管理職になれるリーダーシップ」をご参照ください。

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岡島克佳
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